今日の事は明日書こうと決めていた。もうビールを飲んでいる事だし。でもなあ、後2時間半もあるから、また奥の手で行けばいいじゃないか。
と言う事で、KOBAさんが私の昨日のブログの文章を褒めるもんだから、これは訂正しておかないとと思って、書く決断を下した。こんな文章でいいのだったら、作家の先生達に申し訳が立たない。
奥の手と言うのは、言わずもがな「編集手帳」であるが、4月1日から、ずうっと購読していた朝日新聞に換えたので、「天声人語」を載せる事になる。書き手により雰囲気が随分違うと思ったけれど、つまりは固いか柔らかいかの違いだけだと思う。何が? 文章だよ。
文章なら、この先生だ。もっと読みたかったけれど、亡くなってしまった。
「天声人語」2010.4.13
その執筆の遅さはつとに知られ、自ら「遅筆堂」を名乗っていた。劇作家の井上ひさしさんである。台本なしには芝居は稽古も始まらない。演出家の栗山民也さんはあるとき、焦る思いで、カンヅメ状態で執筆中の旅館を訪ねたそうだ。
ふすまの隙間から井上さんが見えた。裸電球の卓上ランプをともして原稿用紙を積み上げ、机に15センチほどまで顔を近づけて、必死のさまで一字一字を刻んでいた。言葉が生まれる血のにじむような光景に、「私は涙がこぼれそうになりました」と回想している(『演出家の仕事』岩波新書)。
戯曲に小説に評論に、幅広い仕事を残して井上さんが亡くなった。言葉の持つ力をとことん信じた人だった。戯曲を一つ仕上げると体の肉がげっそり落ちたという。平易な一語一語に最大の力を宿らせるための、命を削るような闘いだったのだろう。
4年前にお会いしたのは、庶民の戦争責任を問う「夢の痂(かさぶた)」を上演したあとだった。戦犯を悪者にして知らぬ顔を決め込んだ日本人の戦後を、滑稽味をまじえて問う劇である。
脚本を書くうち、日本語を問題にすることになったと話していた。「日本語は主語を隠し、責任を曖昧にするのに都合が良い。その曖昧に紛れて多くの人が戦争責任から遁走した」と。日本語を様々な角度から見つめてやまない人だった。
「むずかしいことをやさしく」と言い、さらに「やさしいことをふかく」と踏み込む。故人が求めた極意に、われ至らざるの思いばかり募る。遥かなその背中を、もうしばし追わせてほしかった。
これが「天声人語」の文章だが、井上ひさしさんの文章は血の滲む文章だったのだ。言葉が生まれる苦労は並みのものではない。私などは、もうそれを聞いただけでたじろぐ。「命を削るような闘い」。こんな闘いをした事があるかと自分に問う。少なくとも文章においてはないのである。紡ぐ事さえしていない。そんな私の文章を褒められたりしたら、もう書く事など出来ないのだ。
何処かで、何かで「命を削るような闘い」をしなくてはならないだろう。曖昧に死にたくはないし、命とは言わなくても、身をちょっとだけでも削った生き方の出来る対象を見つけなければならないと思う。それは私に取っては少なくとも文章ではない。
では何があるのか。可能性があるとすれば、オカリナ。しかし、何の可能性だと言うのだ。オカリナに限らず、プロと呼ばれている人達の凌ぎを削る努力を見れば、自分に可能性など見出せない。けれど何かを、と言うならオカリナと答えるしかないのだ。
本当に、よく考えて見ると繰り返し練習はしているが、それは「命を削る」程の闘いではなかった。信念を持ち、柔和で、微笑みを湛えている人。何事もなかったかに見える人。そんな人がとんでもない努力家だったりする。全く他人に見えない所で苦悩し、鬼の顔になり、血の滲む闘いを繰り返している。
ああ、私はなりたい。人の前では、いつも優しい微笑みを湛えていられる人に。これこそ私には、歩いても歩いても辿り着く事のないだろう、果てしない道なのだ。
と言う事で、KOBAさんが私の昨日のブログの文章を褒めるもんだから、これは訂正しておかないとと思って、書く決断を下した。こんな文章でいいのだったら、作家の先生達に申し訳が立たない。
奥の手と言うのは、言わずもがな「編集手帳」であるが、4月1日から、ずうっと購読していた朝日新聞に換えたので、「天声人語」を載せる事になる。書き手により雰囲気が随分違うと思ったけれど、つまりは固いか柔らかいかの違いだけだと思う。何が? 文章だよ。
文章なら、この先生だ。もっと読みたかったけれど、亡くなってしまった。
「天声人語」2010.4.13
その執筆の遅さはつとに知られ、自ら「遅筆堂」を名乗っていた。劇作家の井上ひさしさんである。台本なしには芝居は稽古も始まらない。演出家の栗山民也さんはあるとき、焦る思いで、カンヅメ状態で執筆中の旅館を訪ねたそうだ。
ふすまの隙間から井上さんが見えた。裸電球の卓上ランプをともして原稿用紙を積み上げ、机に15センチほどまで顔を近づけて、必死のさまで一字一字を刻んでいた。言葉が生まれる血のにじむような光景に、「私は涙がこぼれそうになりました」と回想している(『演出家の仕事』岩波新書)。
戯曲に小説に評論に、幅広い仕事を残して井上さんが亡くなった。言葉の持つ力をとことん信じた人だった。戯曲を一つ仕上げると体の肉がげっそり落ちたという。平易な一語一語に最大の力を宿らせるための、命を削るような闘いだったのだろう。
4年前にお会いしたのは、庶民の戦争責任を問う「夢の痂(かさぶた)」を上演したあとだった。戦犯を悪者にして知らぬ顔を決め込んだ日本人の戦後を、滑稽味をまじえて問う劇である。
脚本を書くうち、日本語を問題にすることになったと話していた。「日本語は主語を隠し、責任を曖昧にするのに都合が良い。その曖昧に紛れて多くの人が戦争責任から遁走した」と。日本語を様々な角度から見つめてやまない人だった。
「むずかしいことをやさしく」と言い、さらに「やさしいことをふかく」と踏み込む。故人が求めた極意に、われ至らざるの思いばかり募る。遥かなその背中を、もうしばし追わせてほしかった。
これが「天声人語」の文章だが、井上ひさしさんの文章は血の滲む文章だったのだ。言葉が生まれる苦労は並みのものではない。私などは、もうそれを聞いただけでたじろぐ。「命を削るような闘い」。こんな闘いをした事があるかと自分に問う。少なくとも文章においてはないのである。紡ぐ事さえしていない。そんな私の文章を褒められたりしたら、もう書く事など出来ないのだ。
何処かで、何かで「命を削るような闘い」をしなくてはならないだろう。曖昧に死にたくはないし、命とは言わなくても、身をちょっとだけでも削った生き方の出来る対象を見つけなければならないと思う。それは私に取っては少なくとも文章ではない。
では何があるのか。可能性があるとすれば、オカリナ。しかし、何の可能性だと言うのだ。オカリナに限らず、プロと呼ばれている人達の凌ぎを削る努力を見れば、自分に可能性など見出せない。けれど何かを、と言うならオカリナと答えるしかないのだ。
本当に、よく考えて見ると繰り返し練習はしているが、それは「命を削る」程の闘いではなかった。信念を持ち、柔和で、微笑みを湛えている人。何事もなかったかに見える人。そんな人がとんでもない努力家だったりする。全く他人に見えない所で苦悩し、鬼の顔になり、血の滲む闘いを繰り返している。
ああ、私はなりたい。人の前では、いつも優しい微笑みを湛えていられる人に。これこそ私には、歩いても歩いても辿り着く事のないだろう、果てしない道なのだ。