窓を開ければ港が見える・・。いえいえ、そんなロマンチックな所に住んでいるのではありません。

今朝起き上がって障子を開け、窓ガラスを開けた。さっと冷たい風が、待っていたかのように入り込んで来た。久し振りの、しっとりした雨だ。雨脚がアスファルトに当たり、小学校の頃に見た「田」の地図記号のような形に跳ね返っていた。

その頃、そんな風に見えて、飽きもせずじっと見ていた事を思い出す。すると、派手な模様を塗りたくったバスが上ってきて、すぐにまた、幼稚園の黄色いバスが続いた。

窓を閉めると、昨日の事を書かない訳には行かなくなった。


11日は、長いと思っていたが、すぐにやって来た感じがする。

11時10分のバスに乗り、三宮駅で50分にSさんと待ち合わせだ。ヴェスト付きの背広を着て黒いカバンを提げ、ダンディーに現れた。実際に現役を通している者は、生き生きとしている。私など、もう過去の事なので、よれよれに見えている事だろう。

神戸新聞社のあるミントの下のバスの8番乗り場が、それぞれのホテルへ向かうシャトルバスの停留所になっている。12時10分のバスを待つ人の列が膨れ上がっていた。バスが来た時 I さんの顔が見えた。乗れなかったら30分のバスに乗るように言った。

乗客数のカウントをしていた係員が、私とSさんの後ろで遮った。ぎりぎり乗る事が出来た。一番後ろの席に座った。「運がいい」とSさんは言っていたが、こう言う事もあるものだ。その後何人かが乗り込んで来た。彼らは補助椅子に座った。


受付を済ませホテルオークラ神戸の1階にある「平安の間」に入った。凄い会場の左端を通って、一番前の左側にある1番テーブルの方に歩んで行った。男女の従業員がずらっと並んでいる。20人位が目に入った。男女とも黒服が基本だが、女性は清楚な白のブラウスを着ていた。

Kさんがいた。マジシャンの息子のリハーサルは、とっくに終わっていた。私は、彼からのメールで、司会者と打ち合わせをしなければならなかったのだ。

ラジオ関西のアナウンサーと、極簡単なやり取りで済んだ。私の出番の紹介とかMCとかの話だ。私がその時お願いしたのは、スタンドマイクが要る事と、オカリナを置く台を用意して貰う事だった。

1番テーブルには9人が座った。8人の所もあるようだ。後で確認すると、51テーブルあった。初めの頃、ママは参加希望者が300人もいなくて寂しいと言っていた。それが蓋を開けると420名集まっていた。40周年も凄いが、420名も凄い。女性もちらほら見え、参加者の職業などは様々で、どんな集団なのかは分からない。


1時になると灯りが落とされ、いきなり太鼓の音が響き渡った。その太鼓が鳴り止むと同時に、女性が独唱した。そして再び太鼓が鳴り、「○○40周年記念パーティー」の幕は切って落とされたのだった。

ママは娘である浅野ゆう子さんに手を引かれ、登壇した。3名の祝辞があった。大学付属病院の医師。製菓会社の社長。大学の学長。挨拶は長さも程良く、流石に慣れたもので、オープニングに花を添えた。こんな人達もママの店に通っていたのだと思うと、なかなか趣のあるパーティーに思えた。

乾杯の後、料理は各テーブルに運ばれたが、結婚式の時のようではなかった。私は、もう一度トイレに行った。決して緊張している訳ではなく、寧ろ何の動揺もなかった。これは単に自然現象だった。

席に戻っても、ウーロン茶を飲んだ。ちょっとでも酔っ払って、オカリナを吹く訳には行かないのだ。脈拍数が上がると音程も息圧もおかしくなり、とても聴いて貰えるようなものにはならない事が分かっている。知った者数人の中でなら、その方がいいのだろうけれど。

オカリナが終わるまでは、食べ物も口に出来ない。胃が満たされるとロングトーンにも影響するし、汚い話だがゲップが出る危険性もあり、また食べかすが吹き口に詰まったりしたら大変だからである。

するとママとゆう子さんが、もう1番テーブルにやって来た。早速 I さんに携帯を渡し、ゆう子さんと並んだ所を写して貰った。細くて、背が高くて、美しい。これが一つの目的でもあった。大女優と並んで写るなどと言う事は、こんなチャンスでもなかったら到底実現する筈もなかった。ママは、「この方がオカリナを吹いてくれる人」と言ったけれど、話す間もなく次のテーブルに移って行った。

20周年記念から5年置きにパーティーをしているが、こんなに2人でテーブルを回って挨拶する事もなく、ゆう子さんは歌ったらそれまでだったと言う。ママも言うように、これを最後にしているらしく、お陰でこんなラッキーな事態に直面した。黒い服がよく似合う。ママは薄い紫か灰色のような和服を着ていた。普段は洋服だから、また違った感じに見えた。

こうして全部のテーブルを回っている間に3つのアトラクションが用意されている。マジックとオカリナと太鼓だ。

最初のアトラクションはマジックである。Kさんの息子はボランティアで出演したが、立派なプロなのだ。その腕前や技術の高さは大したものである。テーブルはママとゆう子さんで盛り上がる。大多数のテーブルはステージの出し物で楽しむ仕掛けなのだ。

息子は何やらスケッチブックに絵を描き始めた。ボーリングのボールの絵だ。何とその絵を閉じた途端に、ステージの床の上に、本物のボーリングのボールが音を立てて落ちたのだった。遠く後ろのテーブルの人達には見え難かったと思うが、前の人達は一様に引き込まれ、楽しんでいた。

ロープが長くなったり短くなったり、結び目がそのまま取れたり。不思議そうに見ている女の人がいた。長い白いロープを足先で挟み、もう一方を口にくわえ、赤い紐を結び付けた。それを上下させているといきなり結んだまま外れる。これには驚いていた。

次は数枚のお札が入っている透明の箱を持って来た。あっと言う間にその中は千円札で一杯になった。オー、と言う歓声が聞こえた。そうして拍手喝采に包まれて、息子は15分の演技を終了した。これは大成功である。きっとママも喜んでいる事だろうと思う。

退場する間もなく私の紹介があった。マジックが終わる前に小さいオカリナ2つをポケットに入れ、3連イカロスと大きなG管は手に持って出る事にしていた。

端っこにある短い階段を登って行った。もう後には戻れない。マイクがどの程度音を拾ってくれるかも分からない。誰が聴いているかも分からない。軽くお辞儀をして、シャツとネクタイ姿で吹き始めた。「リュブリャーナの青い空」。

ざわつきも聞こえていたが、それこそ何とも思わなかった。ママとゆう子さんが主役だし、オカリナの音は皆の耳には聞こえている筈だった。

1曲が終わると、予想外の拍手が返って来た。「青い空も、広い空も、止めどなく流れる清らかな川も、ママさんに相応しい曲だと思って選びました」と言いながら、「コンドルは飛んで行く」を吹き始めた。

アルトのG管がイントロとあの出だしを奏でて行く。一区切り終わりソプラノのG管に持ち替えるのだが、その間は音がない。拍手が起きた。終わったと思ったのか、合間に拍手をくれたのかは分からない。後は軽快な音に移って行く。無伴奏だから、その時の気分で好きなように吹けるのがいい。何だか吹くのが楽しくなっているようだった。

ざわついているのは分かるけれど、全く気にならない。終わると拍手が来る。ここまでで使用したのは、3本とも「吉塚オカリナ」だった。私には、不満な所もない事はないが、このオカリナが合っていると思った。

次はイカロスを持ち、「川の流れのように」を吹いた。ステージでは初めての曲だった。最後をダメ押しするかのように、音を更に駆け上った。拍手をしっかりと感じた。最後に落胆するかホッとするかの違いは大きい。「終わった」と思った。「もう一度大きな拍手を・・」と、司会者が言った。短い階段の上で、もう一度お辞儀をして降りた。

テーブルでは皆労ってくれた。7分位の闘いは終わった。ビールを一気に飲んだ。隣の○○ビールの支社長が、色々聞いて来る。どこかで演奏しているかだの、何時頃からやっているかだの。

向こうに座っている人は常磐津節(浄瑠璃)を演奏する人だと後で分かったが、何度もビールを注ぎに来てくれた。やがて焼酎の水割りに変えた。

今度は大鼓だったが、一人ではなく何人も出て聴かせてくれた。太鼓は響くし、こんな場所では最適だろう。一頻り終わってから、司会者が言った。

「これで終わります、と言ったら怒るでしょう」

さあ、いよいよ浅野ゆう子さんのショーだ。座長公演を今年は東京、大阪、福岡で、大奥総取締瀧山役で演じるゆう子さんに取って、ステージなど何も恐れるに足りない。堂々としたものだ。こんな度胸があったらと思うが、ステージ上のゆう子さんはとても輝いて見えた。

「私は元は歌手なんですよ。アイドル歌手だったんですよ」

と軽妙なスピーチを加えながら、歌を歌った。3曲歌ってくれた。歌は初めて聴いた。まるでディナーショーだった。ステージの前に歩み出て、デジカメで彼女を写した。私だけではなかった。携帯では、光り過ぎて顔なしのようになったので、デジカメにした。

最後の「世界に一つだけの花」を歌い終わると、

「えっ、アンコールって言わないの?」

と聞くものだから、どっと拍手が起きた。

「オカリナにやられたと思ったけど、私も『川の流れのように』を歌います」

と言って歌い出した。私のオカリナを、テーブルを回りながら聴いてくれていたのだ。私の目的のもう一つが、ママとゆう子さんにも聴いて欲しいことだった。だから、この言葉は嬉しかった。曲が被るのは、普通は面白くない事だし、相手にも失礼になる事だってある。けれど、私はそんな事はちっとも思っていない。ゆう子さんが歌ってくれた事で、歌詞が改めて皆に伝わったように思われたし、曲が共有出来た事が何よりもいい思い出になったのだ。

歌が終わると段上にママも上がってきた。花束を渡す人の列が出来た。ゆう子さんと並んでママは受け取っていた。

ママは、感謝の言葉を述べた。40年が圧し掛かるのだろう。今振り返り、長い川の流れのようだったと思っているのだろうか。後ろを向いて泣いていた。

「ちょっと、お客さんにお尻を向けるの失礼でしょう」

ゆう子さんがそう言って皆を笑わせた。

「母は、私の所に来ると引き出しから指輪を見つけて持って帰るんです。偽物に作り変えてあるのも知らずにね。母はこの40周年で終わりにすると言っていますが、45周年も50周年もやって貰いたいと思っています。軒並みに他の店が潰れて行っている中で、よくこれだけ持ち堪えて来ました。それも、皆さんのお陰です。どうかこれからもママを支えてやって下さい」

いい娘だと思ったし、今日は、本当に来て良かったと思った。こんな機会に恵まれて、皆本当に満足していた。

「入り口付近の方から退場して下さい」

と司会者が言った。私達は最後の方になる。暫く雑談していた。ママとゆう子さんは出口で一人ひとりと写真に応じていた。

私達も同じ事をして、その場を後にした。

Kさんの息子は若くてイケメンだ。テーブルのおば様達に捕まって、テーブルマジックを披露していた。

それからタクシーで東門まで行き、後ママの店に3人で3時間半いた。



本当にいいパーティーだった。そんな事を思いながら、今、まだ頭がボーッとしている。不思議と昨日の演奏の事を思い出す事もなく、何事もなかったかのようだけれど、昼ご飯の後、昨日の曲を吹いて、4月11日の事をちょっとだけ垣間見たいと思っている。