布団に入るといつも思いながら、朝になるとブログに書く事を忘れてしまっていた。そして、そう思いながら、ひと月以上の時が過ぎた。

私は朝風呂主義だった。その方が1日爽快である。特に夏などは、その有り難味が分かるのである。と言いながら、結局は面倒臭かったのだろうと思ってみる。それに、朝もう一度追い焚きをする事になり、温さを感じるとしても最初から沸かすのと殆ど変わらず、これでは風呂だけのガス代が2倍になる事と等しい。こんな恐ろしい無駄は、もう止めにしようと思う。

と言うのが、冷たい布団の中に湯上りの体を包ませた時の瞬間の、暖と冷のまるで海水が流れ込んだ淡水湖のような微妙な融合を肌で感じる事が出来る。至福の時、生きている幸せを感じる数少ない貴重な一時である。

これがあるから、朝風呂をきっぱりと止める事が出来た。しかし、夏場になればまた変わるとは思うが、清少納言の枕草子ではないけれど、「冬は夜風呂」である。

風呂から上がってすぐ寝床に入らなくても、少しブログを覗いたり、オカリナを吹いたりした後でも十分にこの喜びを感じる事は出来るのだ。条件は、冷たいままの布団で、決して暖めたりしない事である。況してやエアコンでの暖房などご法度である。

何故こんな幸せに早くから気付かなかったかと、地団太を踏むほどだ。やっとブログに書き込む事が出来、今、幸せな気持ちになっている。


暖房の入る事のない炬燵板の上には、パソコンと幾つかのリモコン、コーヒーカップ、ノート、何故か虫眼鏡が乗っていて、更に携帯電話まで乗せられている。それから大事な分身であるオカリナが3つ乗っている。吉塚の赤いソプラノGと水色のソプラノC、それと艶のある明るい褐色のC調3連の「イカロス」である。分身みたいでもあり侍従みたいでもある。

数箇所で演奏する事になっているが、最近嵌まっている無伴奏で吹く為だ。まるで3曲がセットのようである。そしてこの3本があれば、アンコールの10曲位、十分に対応出来る。

出番の順番は、水色、赤色、褐色である。時間は1分、3分、2分と、至ってカウントし易い。大体フェスティバルでも、6分以内と言うのが多いから、無伴奏の時はこの時間を設定すると変化があって面白いと思っている。

水色1Cでは「リュブリャーナの青い空」を爽やかに吹く。赤色2Gでは「コンドルは飛んで行く」を伸びやかに吹く。そして褐色の「イカロス」には「川の流れのように」を、情熱的開放的に歌わせる。そんな計画をしている所だ。だから手元にいつでも置いてある。

この3曲の内同じ曲を10人位で吹いても、決して同じにならない工夫を何処かに入れて置く事が、私が考えている事なのだ。私の「リュブリャーナ」や「コンドル」でなくてはならず、私の「川の流れ」でなくてはならないのだ。

今、「川の流れのように」に夢中である。きっといつか、ほんとの川の流れのように吹き方が変わって行くかも知れないが、今は力を込めて情熱的に吹くのが私には合っている。と言うより、「イカロス」がそのような吹き方を要求するのだ。

一つ一つの個性の違ったオカリナに、決して無理強いしてはならない。そのオカリナが望むような音を最大限追求して引き出してやらねばならないと思う。飽く迄思う事であって、今の私にそれが出来ているかどうかとはまた次元を異にする。

いよいよ日も高く昇って来たようだ。今からこのオカリナ達と遊ぼうと思っている。夜布団の中へ入る期待と喜びと幸せを感じながら、今日のオカリナ達はどんな音で私に応えてくれるのか。