サルビア会の中型のバスが、湊川神社前で待っていた。
曇り空の中を、8時30分過ぎに発車した。京橋インターから飯田インターまでひた走り、昼前に「岩村山荘」(東濃岩村町TEL0573-43-3626)に到着した。自前ガイド付き? で、14名(男4人、女10人)は大広間の一番隅に用意してある昼食の座に着いた。
随分久し振りの人が殆どで、初めて話すだろう人も2、3人いた。戦国料理と言われていた訳が分かった。おかずが三段に重ねられたお城の形をした容器に入れられていた。湯葉蒟蒻だの焼いた鰆だの、昼としては適当な量だった。
水槽にはざっと2、30匹のアマゴが泳いでいた。「あっ!」と誰かが叫んだ。何の事か分からなかったが、アマゴが網で掬われたと言う。慌てて水槽を見たが遅かった。水槽の下に身を寄せ合うようにして、静かに息をひそめているアマゴがいた。生き残りと言ってもいいだろうか。沢山泳いでいた筈だったが、もう12匹しかいなかった。
注文のランクが上のお客さんの為だったのだろうか、塩を振られ、尻尾が曲ったまま動かなくなったアマゴ達が運ばれて行くのを見た。「ずっと生き延びているアマゴは、この中に何匹かいるんだろうね」と話したりもした。これは余談だが、魚達同士の話で長老が言うには、「お客に目の前で注文された時だけは、弱った振りをしていたら、掬い上げられる事はまあない」と。「ふーん」と感心している先から、生きのいい魚が上げられて行った話が思い出された。
妻籠宿散策が約1時間20分。それぞれに歩くと、江戸までだったか十一里と彫った石柱道標(明治14年、飯田、近江、地元の商人にとって建てられた)があった。「40キロ程か」と言ったが、何か変だ。誰かが「そんな事はない」と言い、もう一度戻って見ると、ちょいと見には矢張り十一にしか見えないが、よく見るとその上に八と言う文字があった。つまり、八十一里なのだった。324キロ。これなら納得だ。はっ。
この日は27日だが、前日の雨で増水しているのか、滝のように流れている川があった。橋の上から見下ろしたり見上げたり、凄い迫力だった。ここに来る前に、誰かが「ナイアガラの滝がある」と言っていたので大袈裟だと思っていたが、私にもそんな風に見えたのだった。
尾張屋だの生駒屋だの美濃勢屋だの俵屋などの店がずらりと並び、見所(脇本陣奥谷、桝形の跡、藤原家住宅、男滝・女滝など)も沢山あったが、ゆっくり見る程の暇はなかった。
昔の物を売る店が多い中、お菓子も売っていて、女の人の中には走ってまで買いに行っていた人がいた。見せて貰ったら、それは「きんつば」だった。
木地師の里 ヤマイチ(長野県木曽郡南木曽町吾妻4689 TEL0264-58-2041)へ入ると、楢や橡や檜を使った伝統工芸品が並べられていた。見事なもので、高価な故に目の保養になる。檜に漆を塗り重ねたと言う荒っぽい作りの箸を、最初の説明でやけに勧めていた。一膳が190円だ。五膳、十膳と買う人がいた。今回は出来るだけ買わない決心をして来ているので、この箸は三膳買った。あとは、だるま落とし。小さいものは家にあるが、これは大きくてどっしりとしていた。高いとは思ったが、孫の喜ぶ顔が浮かんだので、誓いを破って、さっと買ってしまった。
いよいよ、後は昼神温泉だ。南信州昼神温泉郷湯元ホテル「阿智川」(TEL0265-43-2800)に着いた。
323号室は男4人。シマさんと早速初めての音合わせをした。「奄美情話」である。三線とオカリナの初コラボだ。彼の声の都合もある。弦の強さもある。強過ぎると糸が切れてしまう。何とか音の高さは決まった。何度か音合わせをするので、他の2人は先に風呂へ行った。
4番まであるが、全部唄とか全部オカリナとかにしないで変化を持たせる為に、1番は唄。2番、唄とオカリナ。3番、唄。4番はオカリナにした。ずっと三線の音は流れている。
やっと1階の温泉に浸かる事が出来た。すぐにすべすべになった。体が気持ち良く温まって来る。露天風呂に出てみた。空は曇っていたが、顔を包む外気が気持ちいい。洞窟になった所もあったが、宴会の時間に間に合いそうもないので、そこそこに湯を出た。
宴会は1階の奥にある「万葉の間」であった。優雅な名前ではないか。
向かい合わせに6人ずつ席に座った。暫く食べて喋った後、シマさんと私が前に出た。早くやった方がゆっくり食べられる、そう思ったからだ。彼が宣伝と説明をした。6月6日のチラシも配った。いよいよ「奄美情話」だが、後で誰かに指摘されたように、音がややずれていた。これは、オカリナの高さが変わることにも一因がある。次に演奏する時は、しっかり合わせなければならない事が分かった。それと、私の「イカロス」は同じ調のものが2本あり、どちらかと言うと、この日持って来ているものは、音の幅があり過ぎると言うか、豊かな音色と言うかそんなオカリナだから、次はもう1本のものでやるのも手だと思った。
「奄美情話」の歌詞は、彼が言葉と意味を自分でプリントアウトしたものを皆には配っている。ここでは字数に制限があるので、明日にでも、ここの所だけ、どんな唄なのか、載せて置こうと思っている。
次の1曲はこの三線の音の高さで唄える唄を、シマさんは唄った。更に1曲調弦してから唄うので、その間私が、ビールや焼酎で揚がった息のまま、「宵待草」を吹いた。これは確かに難しい。メロディーはそんなに難しくないが、間の取り方や気持ちの出し方に大変な神経を使うのである。皆が口ずさんでいるのが大いに救いとなった。
彼の唄が始まり、終わると次はオカリナの曲2曲を用意していた。先ず吹いたのが、「リュブリャーナの青い空」だった。これは初めて聴くと、とても効果的に聞こえる。テンポも速いし音も高い。爽やかで気持ちがいい。メリハリのある曲なのだ。「おーっ」と言う声が洩れた。名誉など関係なく言うが、これは、誰が吹いてもその「おーっ」と言う声を聞く事が出来るのである。
次の曲は、「コンドルは飛んで行く」「トルコ行進曲」「アリラン」の中から選んで貰った。何となく「コンドルは飛んで行く」になった。ソプラノG管1本で吹いた。1998年に出来た吉塚オカリナで吹いた。最後の全開音「ファ」が、目一杯強く吹けないのが私にはネックになっているが、それでもいい音のする、気に入った1本なのである。
さて、女の人達が準備をして、赤い腰巻に花笠を持って出て踊り始めた。何処で練習するのか、中々の見ものであった。何故か白雪姫と河童が出て来て、何とかドラマ性を保っているようだった。今も頭に残っている程、いつだってこの部分の出し物は印象的だ。宝塚の女とまでは行かなくても、それに近いサルビアの女として、とっても楽しく、いい踊りだった。
次に考えてあったのが利き酒。隣り合わせた2人で、7つの飲み物を幾つ当てられるか、と言うものだった。実はホテルに着くまで、在る言葉を使うと100円払う事になっていて、その貯金を勝った組に賞金として与えると言うものだった。最終的には、それを私の組が貰う事となった。Uさん(女性)と私は素直に喜んだ。経緯はこうである。
小さな紙コップに番号が付けられ、各組同じものが盆に載せて渡されている。
記憶が薄れていて確かではないが、兵庫の大吟醸酒、京都の純米酒、広島の酒、下関の酒、その他(それも何か)を番号の書いた紙に書くのである。酷い味の飲み物がありオエッとなりそうだったが、それが冷えたヒレ酒だったのである。後で得心したが、それともう一つのものを入れ違えていて間違った。「下関」で分からなかったのが悔しい。その他の所の一つは、正確ではなかった為に三角。よって正解数4.5となった。その最高点4.5が3組。ジャンケンの賞金争奪戦となった。Uさんが出て、弱いと言いながら勝ったのだ。敢えて金メダルと相成った次第。
宴会が終わると323号室に全員集合して、喋り足りなかった事を喋り、この日は終わった。
7時半が朝食。箸入れの紙の裏に、万葉集の防人の歌が印刷されていた。
「ちはやぶる 神の神坂に幣(ぬさ)まつり 斎(いは)ふいのちは 母父(おもちち)がため」
いよいよ妙な期待の貧乏神神社へ。社はないが木彫りの貧乏神が立ち、「追い出し棒」の紅白で互い違いに色分けされている白い部分を持って、貧乏神の前にある太い木を3度叩くのである。「出て行け、出て行け、出て行け!」。そして3度蹴り、豆を握ると何故か貧乏神に当たらぬように、斜め右方向へ投げつけるのだ。「もう来るな!」。
神主さんが非常にに俗っぽく、楽しく話すので、思わず引き込まれてしまいそうだったが、一人ひとり、その儀式? を終えた。バスの中では賑やかに、貧乏神の話で持ち切りで、終わる様子もなかった。貧乏神がすっ跳んで、大笑いになっのただろう。日本は元より、世界8カ国にも放映されたとか。強かった雨も、何時しか霧雨に変わっていた。
ケフィアランド「伊那谷道中」は300円で入園出来るが、スタンプラリーがあり、9ヶ所回ると御神籤が引けると言う事だった。結論から言うと、‐赦卒曄´伝統工芸間 4邉弯經曄´い佞襪気版清全曄´ゥ轡襯館 ζ芸工房 Э戚斉押´┐らくり館 ふるさと座 の9ヶ所を回り、はんこを押しても押さなくても、箸のような棒を1本引いて、その番号と同じ御神籤を自分で取ればいいだけの話だった。まあ、それはそれで楽しかったかも知れなかった。私は第十六番で「吉」だった。大吉の人も中吉の人も小吉の人もいたが、私はこの御神籤の言葉を気に入っている。自分の宣伝でもないので、ここに書くのは止して置こう。
見る所、買う場所が沢山あって、入るごとに「見るだけですよ」と言って入った。けれど、一杯飲ませて貰ったほんの少しの味噌汁が旨く、小さいのを購入。「また欲しくなったらここに電話して下さい」だって。「丸萬醸造本舗」TEL0265-28-1715。
漬物屋の若い牛蒡の漬物は牛蒡のいい匂いがして旨そうだったが、一緒に歩いた人の内の一人が買ったので安心して止めた。
ここで、昼食。肉あり味噌汁あり、満腹になった。「どっちの味噌が旨い?」と聞いて来た人がいたので、手前味噌だったが「さっき買った方が濃くて旨い」と言った。考えてみれば、味噌を多く入れれば濃くなると言うだけの事だろう。がしかし、あの店で飲んだ味噌汁は旨かった。それと同じものを買ったから、きっと旨いと思う。
最後はお菓子の城が待っている。女の人達の購買力は凄まじく、ここで両手一杯になった人も何人もいた。美味しそうなお菓子がズラリだから、無理もない話だ。
太鼓で迎えてくれたおにいちゃんが説明をした。「これは、みのもんたが食べた赤飯の入ったお菓子です」。説明が長かったので思わず言ってしまった。「早く、試食の里に行きたいな」。
シマさんも私もお菓子以外のものを買って、お菓子は買わなかった。私は三菜わさび漬けと野沢菜を買った。ご飯のお友だちを買うのが一番だ。さっき食べたのに、もう昼だ。でも、冷蔵庫にちゃんと入っている。「野沢菜」「山菜わさび漬け」、それに伊那谷道中で入園前に貰った300円券を使って540円のものを240円で買った「蕗の薹海苔」。朝もそれだったが、昼からもこれでいい。
後は一路神戸湊川神社へ。幹事の皆さんありがとう。そして、再会した人も、初めて会った人も楽しかった。本当にこの出会いに感謝したい。
買わない積もりだったが、買ったものはまだある。あんまり秘密に出来ない性分なので、ここにご披露する。楽しみが続くように、「信州牛肉味噌ラーメン」と「阿智川名代蒸しきんつば」。
貧乏神よ、飛んで行け。もう、来るな!
曇り空の中を、8時30分過ぎに発車した。京橋インターから飯田インターまでひた走り、昼前に「岩村山荘」(東濃岩村町TEL0573-43-3626)に到着した。自前ガイド付き? で、14名(男4人、女10人)は大広間の一番隅に用意してある昼食の座に着いた。
随分久し振りの人が殆どで、初めて話すだろう人も2、3人いた。戦国料理と言われていた訳が分かった。おかずが三段に重ねられたお城の形をした容器に入れられていた。湯葉蒟蒻だの焼いた鰆だの、昼としては適当な量だった。
水槽にはざっと2、30匹のアマゴが泳いでいた。「あっ!」と誰かが叫んだ。何の事か分からなかったが、アマゴが網で掬われたと言う。慌てて水槽を見たが遅かった。水槽の下に身を寄せ合うようにして、静かに息をひそめているアマゴがいた。生き残りと言ってもいいだろうか。沢山泳いでいた筈だったが、もう12匹しかいなかった。
注文のランクが上のお客さんの為だったのだろうか、塩を振られ、尻尾が曲ったまま動かなくなったアマゴ達が運ばれて行くのを見た。「ずっと生き延びているアマゴは、この中に何匹かいるんだろうね」と話したりもした。これは余談だが、魚達同士の話で長老が言うには、「お客に目の前で注文された時だけは、弱った振りをしていたら、掬い上げられる事はまあない」と。「ふーん」と感心している先から、生きのいい魚が上げられて行った話が思い出された。
妻籠宿散策が約1時間20分。それぞれに歩くと、江戸までだったか十一里と彫った石柱道標(明治14年、飯田、近江、地元の商人にとって建てられた)があった。「40キロ程か」と言ったが、何か変だ。誰かが「そんな事はない」と言い、もう一度戻って見ると、ちょいと見には矢張り十一にしか見えないが、よく見るとその上に八と言う文字があった。つまり、八十一里なのだった。324キロ。これなら納得だ。はっ。
この日は27日だが、前日の雨で増水しているのか、滝のように流れている川があった。橋の上から見下ろしたり見上げたり、凄い迫力だった。ここに来る前に、誰かが「ナイアガラの滝がある」と言っていたので大袈裟だと思っていたが、私にもそんな風に見えたのだった。
尾張屋だの生駒屋だの美濃勢屋だの俵屋などの店がずらりと並び、見所(脇本陣奥谷、桝形の跡、藤原家住宅、男滝・女滝など)も沢山あったが、ゆっくり見る程の暇はなかった。
昔の物を売る店が多い中、お菓子も売っていて、女の人の中には走ってまで買いに行っていた人がいた。見せて貰ったら、それは「きんつば」だった。
木地師の里 ヤマイチ(長野県木曽郡南木曽町吾妻4689 TEL0264-58-2041)へ入ると、楢や橡や檜を使った伝統工芸品が並べられていた。見事なもので、高価な故に目の保養になる。檜に漆を塗り重ねたと言う荒っぽい作りの箸を、最初の説明でやけに勧めていた。一膳が190円だ。五膳、十膳と買う人がいた。今回は出来るだけ買わない決心をして来ているので、この箸は三膳買った。あとは、だるま落とし。小さいものは家にあるが、これは大きくてどっしりとしていた。高いとは思ったが、孫の喜ぶ顔が浮かんだので、誓いを破って、さっと買ってしまった。
いよいよ、後は昼神温泉だ。南信州昼神温泉郷湯元ホテル「阿智川」(TEL0265-43-2800)に着いた。
323号室は男4人。シマさんと早速初めての音合わせをした。「奄美情話」である。三線とオカリナの初コラボだ。彼の声の都合もある。弦の強さもある。強過ぎると糸が切れてしまう。何とか音の高さは決まった。何度か音合わせをするので、他の2人は先に風呂へ行った。
4番まであるが、全部唄とか全部オカリナとかにしないで変化を持たせる為に、1番は唄。2番、唄とオカリナ。3番、唄。4番はオカリナにした。ずっと三線の音は流れている。
やっと1階の温泉に浸かる事が出来た。すぐにすべすべになった。体が気持ち良く温まって来る。露天風呂に出てみた。空は曇っていたが、顔を包む外気が気持ちいい。洞窟になった所もあったが、宴会の時間に間に合いそうもないので、そこそこに湯を出た。
宴会は1階の奥にある「万葉の間」であった。優雅な名前ではないか。
向かい合わせに6人ずつ席に座った。暫く食べて喋った後、シマさんと私が前に出た。早くやった方がゆっくり食べられる、そう思ったからだ。彼が宣伝と説明をした。6月6日のチラシも配った。いよいよ「奄美情話」だが、後で誰かに指摘されたように、音がややずれていた。これは、オカリナの高さが変わることにも一因がある。次に演奏する時は、しっかり合わせなければならない事が分かった。それと、私の「イカロス」は同じ調のものが2本あり、どちらかと言うと、この日持って来ているものは、音の幅があり過ぎると言うか、豊かな音色と言うかそんなオカリナだから、次はもう1本のものでやるのも手だと思った。
「奄美情話」の歌詞は、彼が言葉と意味を自分でプリントアウトしたものを皆には配っている。ここでは字数に制限があるので、明日にでも、ここの所だけ、どんな唄なのか、載せて置こうと思っている。
次の1曲はこの三線の音の高さで唄える唄を、シマさんは唄った。更に1曲調弦してから唄うので、その間私が、ビールや焼酎で揚がった息のまま、「宵待草」を吹いた。これは確かに難しい。メロディーはそんなに難しくないが、間の取り方や気持ちの出し方に大変な神経を使うのである。皆が口ずさんでいるのが大いに救いとなった。
彼の唄が始まり、終わると次はオカリナの曲2曲を用意していた。先ず吹いたのが、「リュブリャーナの青い空」だった。これは初めて聴くと、とても効果的に聞こえる。テンポも速いし音も高い。爽やかで気持ちがいい。メリハリのある曲なのだ。「おーっ」と言う声が洩れた。名誉など関係なく言うが、これは、誰が吹いてもその「おーっ」と言う声を聞く事が出来るのである。
次の曲は、「コンドルは飛んで行く」「トルコ行進曲」「アリラン」の中から選んで貰った。何となく「コンドルは飛んで行く」になった。ソプラノG管1本で吹いた。1998年に出来た吉塚オカリナで吹いた。最後の全開音「ファ」が、目一杯強く吹けないのが私にはネックになっているが、それでもいい音のする、気に入った1本なのである。
さて、女の人達が準備をして、赤い腰巻に花笠を持って出て踊り始めた。何処で練習するのか、中々の見ものであった。何故か白雪姫と河童が出て来て、何とかドラマ性を保っているようだった。今も頭に残っている程、いつだってこの部分の出し物は印象的だ。宝塚の女とまでは行かなくても、それに近いサルビアの女として、とっても楽しく、いい踊りだった。
次に考えてあったのが利き酒。隣り合わせた2人で、7つの飲み物を幾つ当てられるか、と言うものだった。実はホテルに着くまで、在る言葉を使うと100円払う事になっていて、その貯金を勝った組に賞金として与えると言うものだった。最終的には、それを私の組が貰う事となった。Uさん(女性)と私は素直に喜んだ。経緯はこうである。
小さな紙コップに番号が付けられ、各組同じものが盆に載せて渡されている。
記憶が薄れていて確かではないが、兵庫の大吟醸酒、京都の純米酒、広島の酒、下関の酒、その他(それも何か)を番号の書いた紙に書くのである。酷い味の飲み物がありオエッとなりそうだったが、それが冷えたヒレ酒だったのである。後で得心したが、それともう一つのものを入れ違えていて間違った。「下関」で分からなかったのが悔しい。その他の所の一つは、正確ではなかった為に三角。よって正解数4.5となった。その最高点4.5が3組。ジャンケンの賞金争奪戦となった。Uさんが出て、弱いと言いながら勝ったのだ。敢えて金メダルと相成った次第。
宴会が終わると323号室に全員集合して、喋り足りなかった事を喋り、この日は終わった。
7時半が朝食。箸入れの紙の裏に、万葉集の防人の歌が印刷されていた。
「ちはやぶる 神の神坂に幣(ぬさ)まつり 斎(いは)ふいのちは 母父(おもちち)がため」
いよいよ妙な期待の貧乏神神社へ。社はないが木彫りの貧乏神が立ち、「追い出し棒」の紅白で互い違いに色分けされている白い部分を持って、貧乏神の前にある太い木を3度叩くのである。「出て行け、出て行け、出て行け!」。そして3度蹴り、豆を握ると何故か貧乏神に当たらぬように、斜め右方向へ投げつけるのだ。「もう来るな!」。
神主さんが非常にに俗っぽく、楽しく話すので、思わず引き込まれてしまいそうだったが、一人ひとり、その儀式? を終えた。バスの中では賑やかに、貧乏神の話で持ち切りで、終わる様子もなかった。貧乏神がすっ跳んで、大笑いになっのただろう。日本は元より、世界8カ国にも放映されたとか。強かった雨も、何時しか霧雨に変わっていた。
ケフィアランド「伊那谷道中」は300円で入園出来るが、スタンプラリーがあり、9ヶ所回ると御神籤が引けると言う事だった。結論から言うと、‐赦卒曄´伝統工芸間 4邉弯經曄´い佞襪気版清全曄´ゥ轡襯館 ζ芸工房 Э戚斉押´┐らくり館 ふるさと座 の9ヶ所を回り、はんこを押しても押さなくても、箸のような棒を1本引いて、その番号と同じ御神籤を自分で取ればいいだけの話だった。まあ、それはそれで楽しかったかも知れなかった。私は第十六番で「吉」だった。大吉の人も中吉の人も小吉の人もいたが、私はこの御神籤の言葉を気に入っている。自分の宣伝でもないので、ここに書くのは止して置こう。
見る所、買う場所が沢山あって、入るごとに「見るだけですよ」と言って入った。けれど、一杯飲ませて貰ったほんの少しの味噌汁が旨く、小さいのを購入。「また欲しくなったらここに電話して下さい」だって。「丸萬醸造本舗」TEL0265-28-1715。
漬物屋の若い牛蒡の漬物は牛蒡のいい匂いがして旨そうだったが、一緒に歩いた人の内の一人が買ったので安心して止めた。
ここで、昼食。肉あり味噌汁あり、満腹になった。「どっちの味噌が旨い?」と聞いて来た人がいたので、手前味噌だったが「さっき買った方が濃くて旨い」と言った。考えてみれば、味噌を多く入れれば濃くなると言うだけの事だろう。がしかし、あの店で飲んだ味噌汁は旨かった。それと同じものを買ったから、きっと旨いと思う。
最後はお菓子の城が待っている。女の人達の購買力は凄まじく、ここで両手一杯になった人も何人もいた。美味しそうなお菓子がズラリだから、無理もない話だ。
太鼓で迎えてくれたおにいちゃんが説明をした。「これは、みのもんたが食べた赤飯の入ったお菓子です」。説明が長かったので思わず言ってしまった。「早く、試食の里に行きたいな」。
シマさんも私もお菓子以外のものを買って、お菓子は買わなかった。私は三菜わさび漬けと野沢菜を買った。ご飯のお友だちを買うのが一番だ。さっき食べたのに、もう昼だ。でも、冷蔵庫にちゃんと入っている。「野沢菜」「山菜わさび漬け」、それに伊那谷道中で入園前に貰った300円券を使って540円のものを240円で買った「蕗の薹海苔」。朝もそれだったが、昼からもこれでいい。
後は一路神戸湊川神社へ。幹事の皆さんありがとう。そして、再会した人も、初めて会った人も楽しかった。本当にこの出会いに感謝したい。
買わない積もりだったが、買ったものはまだある。あんまり秘密に出来ない性分なので、ここにご披露する。楽しみが続くように、「信州牛肉味噌ラーメン」と「阿智川名代蒸しきんつば」。
貧乏神よ、飛んで行け。もう、来るな!