昨日の夜、ちょっとテレビのスイッチを入れたら、象がアップで写っていた。

その象の名前はランディと言う。

調教師の哲夢さんは13年前になくなっていた。

彼のお母さんが象の傍にいて、名前は分からないが、動物と話が出来る外国の女の人がいた。

「哲夢のこと覚えてる?」

とお母さんが聞くと、心が分かる女の人がランディに聞く。ランディは、よく覚えていると言う。そして、彼との事を思い出しているようだった。特に思い出すのは、調教師の持つ調教棒だと言う。他の調教師は鍵のある方で突くので痛かったが、彼は棒のほうで優しく撫でてくれ、それがとっても嬉しかったと言うのだ。思い出す象の目には、一滴の涙が光っていた。

お母さんは、今まで誰にも見せたことのない彼の写真を見せたいと言い出した。

「哲夢の写真を見せていいかしら」

それは両手を広げて持つ程の大きなものだった。ランディは鼻を伸ばし、彼の顔を撫で回した。懐かしそうに撫でていたと思ったのは、私だけではなかったと思う。「天才! 志村どうぶつ園」の出演者達の顔は、感極まった涙でぐしょぐしょに濡れていた。

思い出の調教棒を持って来ると、ランディはそれを鼻に巻いた。そして、棒の方で自らの脚を、懐かしそうに撫でて見せた。何度も何度も撫でるその姿に、涙と共に声まで出そうになった。今思い返しても、涙が浮かぶ。動物との心の交流。人の優しさは、動物にも十分に分かるのだ。

「これからも、哲夢の分も生きていきましょうね」

そうお母さんは、象のランディの固い皮膚を撫でながら、しみじみと語りかけていた。


ベッキーと新宿歌舞伎町で瀕死の状態にあった猫との映像が流れた。大概の獣医なら安楽死をさせると言う生還率20パーセントと言う手術を、車に乗って回り治療すると言うこの獣医は、診療所に連れ帰って施した。それに「動物の事は何でも知っていたい」と言うベッキーが付き添った。

真ん中から脚は折れ、背骨も折れていた。元来野良猫である。勿論首輪なんてない。手術は終わり、後はこの猫の生命力にかかっていると獣医は言った。何も食べようとせず、人間不信の牙を向いた抵抗をさえ示す。ベッキーは、今まで色々な動物と接した結果得た、対話作戦を開始した。「よかったね、元気になって。とっても可愛いよ」なんて言っていた。言葉を繰り返しケージに手を入れても、最早牙を向ける事はなくなっていた。ベッキーは、頭や喉をやさしく撫でた。

ケージから出して餌を与えようとした。でも食べなかった。獣医は、「もうこれ以上は止めよう」と言う。ベッキーは、「もう少し、やっていていいですか」と聞く。指に餌を付けて、鼻の傍に付けた。すると、指と餌を舐め始めたではないか。「食べた!」。獣医も看護師もベッキーも、スタッフさえもが安堵した。もう一つ、視聴者もそう言って声を出したに違いない。

ベッキーに心を開いた猫。また歌舞伎町をうろついて、同じような道を歩むのだろうか。だが、奇跡だとテレビはテロップを流す。何と、是非飼いたいと言う人が現れたのだ。それは、歌舞伎町の夜、たまたま瀕死のこの猫と出会った若い男の人だった。「ずっと気になっていました」と言っていた。可哀想な、哀れな猫であった筈だ。それが、これからは幸せな猫になると思うと、またまたダブルパンチの涙が流れた。


物言わぬ動物達に寄せる優しい温かな心は、人間にしか持ち得ない。同種同士の愛情とかなんとかは別にしてだ。人間同士はどうだろう。なまじ言葉で交流している為、感情のこじれがある。とんでもない方向に行く事が多過ぎる。人間と動物のような関係は築けないものか。どちらかが言葉を喋らずに黙っていればいいのだろうか。そうしたら「何で喋らないんだ!」と、また険悪な方向へと逸れて行く。

犬や猫を飼っている人は結構いるが、せめて猫や犬には感情的にならないで貰いたいと思う。これは、動物を虐待する人達に言いたい事だ。


皮肉にも、テレビが、しかも象や猫が、愛情のあり方を教えてくれている。