「高橋まゆみ創作人形展」に心残りな事があって、もう一度上本町の近鉄百貨店に出向いた。交通費も馬鹿にならないし、目的が達成出来なかったら打撃を受ける。でも、そんな事は承知の上、覚悟の上で出掛けた。
昼過ぎに、9階の催し物会場へと足を踏み入れた。21日の初日にも対応していた女性がいた。
「あの、ここに責任者みたいな方はいらっしゃいませんか」
と聞くと、
「いるにはいますが、今ここにはいませんけれども」
と言った。
「実は初日もここに来たんですが、高橋さんとは丁度すれ違いになってしまって、会っていないのです。今日は来られないのですか」
「ええ、来られません」
「明日はどうですか」
「明日も来られるとは聞いていませんが」
「実は、この人形達にオカリナを聴いて貰いたいと思いまして。高橋さんがおられたら直接話が出来たんですが。5分位、バックミュージックで童謡や唱歌を吹かせて貰えたらいいのですが」
「ちょっとお待ち下さい。担当者と連絡をとってみます」
と言う事だった。暫くして、彫りの深い顔をした係長がやって来た。名刺を渡しながら、また同じような事を言った。
「主催者と連絡を取ってみますので、少々お待ち下さい」
と言ってどこかに電話を掛け始めたが、通じないようだった。
「今出ないようなので、連絡が取れ次第お電話いたします」
との事で、暫くビデオの前の椅子に座って、繰り返し何度もそのビデオを観ていた。大分経ってから、係長Oさんから携帯に電話が入った。
「今、まだ会場にいらっしゃいますか。それならすぐそこに参ります」
との事だったので、ひょっとして脈があるのか、と思った。所が、それは甘かった。
「主催者と連絡は取れたのですが、宗次郎さんのテープは高橋さんの依頼で流れているものですし、高橋さんと面識があるとか話しが着いているとかならいいのですが、どんな音楽かも分からないし、主催者の東映がお断りすると言う事でした」
との返事があった。大して期待もしていなかったので、
「ああ、そうですか。色々ご面倒をお掛けしました」
と言って、その場を後にした。童謡などを5分位と言っておいた筈だったが、そんな事が問題ではないと思った。何より高橋まゆみさんと会っていたら、演奏出来なくてもはっきりと納得出来たと思う。では今は不満かと言うと、そうでもない。一方的な私の売り込みみたいなものだったからだ。童謡を5分位だったらいいですよ、などと虫のいい話はない。余程理解を示してくれなければ・・。
私の名刺には、名前と携帯電話番号とメールアドレスしかなく、肩書きは「オカリナ演奏」とだけある。これではどこの馬の骨かも分からない。冷たく門前払いされないだけ、マシだろう。原因は、私にある。サイン会が毎日あると思っていたし、第一、初日に遅く行き過ぎたのだ。
縁がなかったなどと思わずに、こうした行動を起こした自分を評価したい。路上で吹くのと同じ位の躊躇と恥ずかしさが伴うのだから。勇気を持って行動した事は、大いに認めたいと思う。
ことオカリナに関しては、恥じも外聞もなく、どんな事でも出来なければ、オカリナ奏者などとは言えない。映画やドラマの俳優とそんなに違わないと思った。どんな事でも演じ切らなければならないのだと・・。
肩書きもなく、知名度も皆無な者は、正しく風に煽られる塵に等しいのだった。地歩を固めていくのは並大抵な事ではない。改めて無力さを知った。
「釣瓶の家族に乾杯」を観ていたら、そんな事もすっかり飛んでしまっていた。結局は、一人芝居だったのだ。
釣瓶と温水洋一の訪ねた先が、秋田県の八峰町だった。こうして少しでも書いて置くと、マリーさんが知っている所があるかも知れない。先週もチラッと見たが、そんなに真剣に見ていた訳ではなかった。
八森地区だの峰浜地区だのの名称が出て来た。白神神社、白瀑神社、神輿の滝浴び、果てはビューシーラインだなんて、何かをもじったような名前が出て来た。五能線、チコキ灯台などなど。
きりたんぽがテーマの一つにもなっていて、興味をそそられた。やっと温水さんが辿り着いた販売所にも、きりたんぽのコーナーは空っぽだった。下には丸いだまこもちが売れ残っていた。
明日はまた作るそうだが、それでは目的が果たせない。だまこもちとネギなどを買って、東京で作る積もりだったようだ。肩を落として帰ろうとしている所に、背後から声がかかった。今から、米を潰す所まで遣って上げると言うのである。温水さんの顔に笑みが戻った。
牛蒡のささがきを手伝ったり、米を潰すのを手伝ったりした。潰した米を丸めるのを見て、
「上手いですね」
と言ったら、透かさず、
「プロですもの」
と返って来た。きりたんぽもだまこもちも味は変わらないと言う。そして、秋田県南部では食べないと言った。だまこは、味噌ダレやごまダレを付けても食べているようだった。
マリーさんがTVに映るかとそれらしい人を探したが、それは無理だった。しかし、この記事にどれ位反応するかが楽しみだ。
嬉しかったのは、二人とも、出会う人みな優しかった、と言った事だった。
昼過ぎに、9階の催し物会場へと足を踏み入れた。21日の初日にも対応していた女性がいた。
「あの、ここに責任者みたいな方はいらっしゃいませんか」
と聞くと、
「いるにはいますが、今ここにはいませんけれども」
と言った。
「実は初日もここに来たんですが、高橋さんとは丁度すれ違いになってしまって、会っていないのです。今日は来られないのですか」
「ええ、来られません」
「明日はどうですか」
「明日も来られるとは聞いていませんが」
「実は、この人形達にオカリナを聴いて貰いたいと思いまして。高橋さんがおられたら直接話が出来たんですが。5分位、バックミュージックで童謡や唱歌を吹かせて貰えたらいいのですが」
「ちょっとお待ち下さい。担当者と連絡をとってみます」
と言う事だった。暫くして、彫りの深い顔をした係長がやって来た。名刺を渡しながら、また同じような事を言った。
「主催者と連絡を取ってみますので、少々お待ち下さい」
と言ってどこかに電話を掛け始めたが、通じないようだった。
「今出ないようなので、連絡が取れ次第お電話いたします」
との事で、暫くビデオの前の椅子に座って、繰り返し何度もそのビデオを観ていた。大分経ってから、係長Oさんから携帯に電話が入った。
「今、まだ会場にいらっしゃいますか。それならすぐそこに参ります」
との事だったので、ひょっとして脈があるのか、と思った。所が、それは甘かった。
「主催者と連絡は取れたのですが、宗次郎さんのテープは高橋さんの依頼で流れているものですし、高橋さんと面識があるとか話しが着いているとかならいいのですが、どんな音楽かも分からないし、主催者の東映がお断りすると言う事でした」
との返事があった。大して期待もしていなかったので、
「ああ、そうですか。色々ご面倒をお掛けしました」
と言って、その場を後にした。童謡などを5分位と言っておいた筈だったが、そんな事が問題ではないと思った。何より高橋まゆみさんと会っていたら、演奏出来なくてもはっきりと納得出来たと思う。では今は不満かと言うと、そうでもない。一方的な私の売り込みみたいなものだったからだ。童謡を5分位だったらいいですよ、などと虫のいい話はない。余程理解を示してくれなければ・・。
私の名刺には、名前と携帯電話番号とメールアドレスしかなく、肩書きは「オカリナ演奏」とだけある。これではどこの馬の骨かも分からない。冷たく門前払いされないだけ、マシだろう。原因は、私にある。サイン会が毎日あると思っていたし、第一、初日に遅く行き過ぎたのだ。
縁がなかったなどと思わずに、こうした行動を起こした自分を評価したい。路上で吹くのと同じ位の躊躇と恥ずかしさが伴うのだから。勇気を持って行動した事は、大いに認めたいと思う。
ことオカリナに関しては、恥じも外聞もなく、どんな事でも出来なければ、オカリナ奏者などとは言えない。映画やドラマの俳優とそんなに違わないと思った。どんな事でも演じ切らなければならないのだと・・。
肩書きもなく、知名度も皆無な者は、正しく風に煽られる塵に等しいのだった。地歩を固めていくのは並大抵な事ではない。改めて無力さを知った。
「釣瓶の家族に乾杯」を観ていたら、そんな事もすっかり飛んでしまっていた。結局は、一人芝居だったのだ。
釣瓶と温水洋一の訪ねた先が、秋田県の八峰町だった。こうして少しでも書いて置くと、マリーさんが知っている所があるかも知れない。先週もチラッと見たが、そんなに真剣に見ていた訳ではなかった。
八森地区だの峰浜地区だのの名称が出て来た。白神神社、白瀑神社、神輿の滝浴び、果てはビューシーラインだなんて、何かをもじったような名前が出て来た。五能線、チコキ灯台などなど。
きりたんぽがテーマの一つにもなっていて、興味をそそられた。やっと温水さんが辿り着いた販売所にも、きりたんぽのコーナーは空っぽだった。下には丸いだまこもちが売れ残っていた。
明日はまた作るそうだが、それでは目的が果たせない。だまこもちとネギなどを買って、東京で作る積もりだったようだ。肩を落として帰ろうとしている所に、背後から声がかかった。今から、米を潰す所まで遣って上げると言うのである。温水さんの顔に笑みが戻った。
牛蒡のささがきを手伝ったり、米を潰すのを手伝ったりした。潰した米を丸めるのを見て、
「上手いですね」
と言ったら、透かさず、
「プロですもの」
と返って来た。きりたんぽもだまこもちも味は変わらないと言う。そして、秋田県南部では食べないと言った。だまこは、味噌ダレやごまダレを付けても食べているようだった。
マリーさんがTVに映るかとそれらしい人を探したが、それは無理だった。しかし、この記事にどれ位反応するかが楽しみだ。
嬉しかったのは、二人とも、出会う人みな優しかった、と言った事だった。