工藤直子さんの詩を載せた事があるが、それから「編集手帳」に名前と詩が載った。それは引用であって内容ではないが、やはり目に付いた。
2010年1月7日 編集手帳
<おつかいの とちゅうで/迷ってしまった子どもみたい/とほうに くれている・・>。詩人、工藤直子さんの詩『あいたくて』の一節に、そうある。
何かをするために生まれてきたとは分かっていても、その「何か」――いわば天から授かった使命が何であるのか、分からぬままに人は生きている。お使いの途中で道に迷った子どもの喩えは、誰にとっても実感だろう。
何をするために、何を伝えるために生まれてきたのか、炎と悲鳴と瓦礫のなかで知った人もいる。しかも二度、何と過酷な運命のめぐり合わせだろう。山口彊さんは広島と長崎の両方で被爆した「二重被爆者」である。
長崎で造船会社の設計技師をしていた山口さんは、出張先の広島で被爆し、長崎に帰って再び被爆した体験を持つ。原爆の語り部として平和を訴えつづけた山口さんが93歳で亡くなった。
悲惨な被爆体験を語り継ぐことは、日本人が人類の未来に届ける伝言でもある。核を弄ぶ国が現実にあるなかで、油断すれば迷子になる物騒な夜道がつづく。人生を筆にして、紙にして、その人が平和の祈りを綴ったお使いのメモをなくすまい。
山口さんのことも、引用された工藤さんの詩のことも、内容は違うけれどどちらも心を引き付けて離さない。『あいたくて』の詩を載せておこう。
あいたくて
工藤直子
あいたくて
だれかに あいたくて
なにかに あいたくて
生まれてきたーー
そんな気がするのだけれど
それが だれなのか なになのか
あえるのは いつなのかーー
おつかいの とちゅうで
迷ってしまった子どもみたい
とほうに くれている
それでも 手のなかに
みえないことづけを
にぎりしめているような気がするから
それを手わたさなくちゃ
だから
あいたくて
山口さんは被爆する為に生まれて来た訳ではない。けれど、それが大きな大きな「みえないことづけ」になってしまった。「それが だれなのか」。それは分かり過ぎる程分かっているのに、気が付かない振りをしている。おまけに、自分ではないと言い張る。
工藤直子さんのこの詩は、涙を溜めないでは見られない。数社の教科書にも取り上げられているが、本当に素晴らしい詩だと思っている。黙読しても音読しても胸を刺す。
「山のあなたの空遠く、幸い住むと人の言う。・・山のあなたの尚遠く、幸い住むと人の言う」。そうして、人は求めている。求め続けている。
けれど、すぐそこに、身近な所にその人はいるのかも知れない。もう会っているのかも知れない。心が曇っていて、気が付いていないだけなのかも知れない。そうして別れてしまったとしたら、それが一番の悲劇かも知れないと思う。
謙虚になって感謝して、心静かに思いを巡らせ、その「だれか」の為に微笑んでいよう。誰か分からないから、せめて一人ひとりを、やさしい微笑で見詰めるしかないのだ。もし出会えたら、もう何にもいらないだろう。
2010年1月7日 編集手帳
<おつかいの とちゅうで/迷ってしまった子どもみたい/とほうに くれている・・>。詩人、工藤直子さんの詩『あいたくて』の一節に、そうある。
何かをするために生まれてきたとは分かっていても、その「何か」――いわば天から授かった使命が何であるのか、分からぬままに人は生きている。お使いの途中で道に迷った子どもの喩えは、誰にとっても実感だろう。
何をするために、何を伝えるために生まれてきたのか、炎と悲鳴と瓦礫のなかで知った人もいる。しかも二度、何と過酷な運命のめぐり合わせだろう。山口彊さんは広島と長崎の両方で被爆した「二重被爆者」である。
長崎で造船会社の設計技師をしていた山口さんは、出張先の広島で被爆し、長崎に帰って再び被爆した体験を持つ。原爆の語り部として平和を訴えつづけた山口さんが93歳で亡くなった。
悲惨な被爆体験を語り継ぐことは、日本人が人類の未来に届ける伝言でもある。核を弄ぶ国が現実にあるなかで、油断すれば迷子になる物騒な夜道がつづく。人生を筆にして、紙にして、その人が平和の祈りを綴ったお使いのメモをなくすまい。
山口さんのことも、引用された工藤さんの詩のことも、内容は違うけれどどちらも心を引き付けて離さない。『あいたくて』の詩を載せておこう。
あいたくて
工藤直子
あいたくて
だれかに あいたくて
なにかに あいたくて
生まれてきたーー
そんな気がするのだけれど
それが だれなのか なになのか
あえるのは いつなのかーー
おつかいの とちゅうで
迷ってしまった子どもみたい
とほうに くれている
それでも 手のなかに
みえないことづけを
にぎりしめているような気がするから
それを手わたさなくちゃ
だから
あいたくて
山口さんは被爆する為に生まれて来た訳ではない。けれど、それが大きな大きな「みえないことづけ」になってしまった。「それが だれなのか」。それは分かり過ぎる程分かっているのに、気が付かない振りをしている。おまけに、自分ではないと言い張る。
工藤直子さんのこの詩は、涙を溜めないでは見られない。数社の教科書にも取り上げられているが、本当に素晴らしい詩だと思っている。黙読しても音読しても胸を刺す。
「山のあなたの空遠く、幸い住むと人の言う。・・山のあなたの尚遠く、幸い住むと人の言う」。そうして、人は求めている。求め続けている。
けれど、すぐそこに、身近な所にその人はいるのかも知れない。もう会っているのかも知れない。心が曇っていて、気が付いていないだけなのかも知れない。そうして別れてしまったとしたら、それが一番の悲劇かも知れないと思う。
謙虚になって感謝して、心静かに思いを巡らせ、その「だれか」の為に微笑んでいよう。誰か分からないから、せめて一人ひとりを、やさしい微笑で見詰めるしかないのだ。もし出会えたら、もう何にもいらないだろう。