出雲の妹からメールが来た。「中塚純二さんと言う人を知っているか」と。

知るも知らないも、ずうっと昔から名前は知っていたし、オカリナの制作者なのだ。

日本で、明田川孝さんが始めてオカリナの制作をして、その一粒の種が、今を盛りと夥しい程の花を開花させている。その随分と昔の、中塚さんはそのお弟子さんだったのである。

今を風靡している「アケタ」の御大、孝さんの息子荘之さんが、中塚さんのCDを制作したのだ。1997年、西荻アケタの店で録音をしているので、今から12年前のものと思う。

後から荘之さんが中塚さんについて書いたものをそっくり載せるので、関心があれば読んで貰えたらと思う。出雲の妹への返信と言ってもいいのかも知れない。オカリナの教則本みたいな人だと思われる。曲も奏法も、オカリナの原点といっても過言ではないだろう。

妹の仕事場に、ある高齢の婦人が見えた。暫く見詰めていた老婦人は、「Kちゃんでしょう」と言った。妹も、何だか見覚えがあるようだと言った。それは、私が小学校6年生の時、オカリナをくれたあの美容院の先生の息子の奥さんだった。

二人は暫く話したそうだ。その中で中塚順二さんの話が老婦人の口から出て、私にお訊ねと相成ったのだった。知るも知らぬも逢坂の関・・。今そのCDをMDにダビングして、送る積もりでいる。

私が、プロではないがオカリナを吹いている事から、話が弾んだそうだ。

「私はあちこち動き回っているから、中塚さんにはいつでも会えますよ」

と老婦人は言う。そして、話を重ねた。

「息子はアケタで働いていた事があるし、宗次郎さんもそこの弟子だったんですよ」

もう一人の息子さんは、夫婦で日本を代表する社交ダンスの踊り手だそうだ。

昔知っていた、一度聴いてみたいと思っていた中塚純二さんのオカリナの音。それがCDを聴く事になり、こうして再び名前が還って来る事になった。

「元気な内に会ってみたらと思って」

と言ってメールをして来たのだった。今日は、急遽、中塚純二さんの事を、明田川荘之さんの解説で辿ってみようと思う。



中塚純二の人生はイコール、オカリナの歴史そのものであると言っても良い。中塚氏はアケタ・オカリーナの制作者の要として40年以上のキャリアがあり、勿論現在も中心にある職人。本人はこの職人という言葉を大切にしており「笛作りの職人をめざしている!」「職人に徹したい」とよく話している。しかし職人としてだけではなく演奏家、そして芸術家としての中塚氏もオカリナ史上最高の名演奏といって間違いない! 膨大な人数と思われるオカリナのお弟子さんたちは、そのほとんどが中塚氏のオカリナの音色の魅力にひかれて入ってきたり、ずっと続けたいという気持ちになったわけであるはずだ。氏は、演奏家と呼ばないでくれ、笛作りの職人と呼んでくれとよく言うが、これらのことからもオカリナという楽器は他の楽器と違い、また他の楽器よりも楽器作りと演奏がものすごく一体化しているといって良いかもしれない。オカリナ博士と言っても良く、なにしろ12穴式オカリーナの歴史そのものと言って良い素晴らしい音楽家なのだ。

この12穴とは11個以上の指穴を持つオカリナの総称であり、アケタ・オカリーナは長い間これに特許をもっていたわけである。この12穴式を考え出したのが僕の父、故明田川孝(1909~1958)。東京芸術大彫刻科在籍の1928年の若干20才の時にすでに12穴式のアイデアを持っていたと記述に残っている。オカリナは中2の時にすでにヨーロッパのものを持っており、ピッチが変えられないというオカリナが正規の楽器になりにくい難点に疑問をいだいていた。独学による音楽技術と、オカリナの土で出来た工芸品としての不可欠な美術。とりわけ焼き物、テラコッタ、彫刻の知識を合体させ、音楽会でも唯一ともいうべきラッパのない閉管族のオカリナにピッチ・コントロール可能な12穴式のアイデアを持ち込んだのだ。これは画期的なもので正規の楽器としてのオカリナの道が開けた。息子である私めは前記の文においても多分に父を盛り立てすぎるきらいはあるが、僕たちは明田川孝を『オカリナの父』と呼んでいる。だから僕はオカリナの息子となる?

中塚氏は孝のお弟子さんであり、当然僕は氏を制作、演奏全てにおいて恩師とあおぐわけである。そして僕は現在後をついでアケタ・オカリーナのオーナーとなっている。

中塚純二は昭和6年6月21日東京は渋谷区西参道のあたりで生まれた。そして小学校6年のとき、母方の故郷・松江へと疎開する。そして大学から再び上京、東京教育大学教育学部芸術科美術コースに入学。そして早くも大学1年の昭和26年正月、孝と知り合い美術ではないオカリナの弟子となる。ちなみに孝は彫刻家で音楽研究家でもあったため、お弟子さんは美術と音楽とに分かれる。また両刀の人もいた。中塚氏は教育大卒業の頃からフルートを2年半習う。

ここでお弟子さんの系譜を広げてみよう。美術では現在アケタ・オカリーナの中心制作者で名工、高橋美則氏がおり、氏は画家で現在、国画会の中心メンバーで日本画壇の重鎮である。勿論美術と音楽の両刀使い。ちなみに僕の母・カヅもオカリナ作りの名工で、80才近くの現在も大切な現役。美術のお弟子さんもたくさんいるが、ここでは音楽の方を。オカリナの中心的存在になったお弟子さんには’97年惜しくも他界された火山(香山)九氏がいる。ピアニストでもある僕は鍵盤の手ほどきは、最初は火山氏から受けている。

火山氏は父の死後10年ほど経て独立して栃木にカマをもち、有名な宗次郎氏をはじめ多くのお弟子さんを育てた。また父の死後、アケタ・オカリーナもいくつかの分家が出て、それぞれがメーカーとなっていった。また中塚氏の多くの演奏のお弟子さんたちの中から帆足たか子、山崎万理子ら名手が生まれてきている。

オカリナを吹く人口は相当いるのだが、音色を極めた名手というのは他楽器に比べ滅多に出てこない。それだけ入り口は簡単そうなのだが実は難しく奥の深い楽器なのだ。今回、新レーベル:オカリナ・アケタを旗上げしたわけで、その記念すべき第1弾は中塚氏に決まってる。すると氏は「僕は笛作り職人だけでいい、演奏は他にやる人いくらでもいるでしょう、勘弁して、胃が痛くなる!」と必ずのように言う。氏が「やめろ!」と僕に弟子への命令として言うのなら、僕は社長命令で「やれ!」ということになってしまう。残念でした。特に日本のメロディにおける独特の中塚節は、時に力強く、哀愁の極みで全くの独壇場。

今回は僕の企画で中山晋平を中心に大正~昭和はじめの日本のメロディを中心に、ジャズを主として活躍するギターの名手・津村和彦氏とのデュオで簡潔な素の日本の心をめざした。中塚氏と津村氏とは長いつきあいなので息がピッタリなのだ。ちなみに津村和彦氏は昭和32年3月21日、大阪府寝屋川市生まれ。僕との演奏歴も長く、ジャズにおいても日本のギター界では第一人者。まあ解説はこんなところでいいでしょう。何しろ音を聞いてもらえばもうなにもいらないでしょう。では、ごゆっくりご鑑賞下さい。~明田川荘之~


出船

茶摘(作詞作曲者不詳)
波浮の港(野口雨情・詞 中山晋平・曲)
めだかの学校(茶木滋・詞 中田喜直・曲)
早春賦(吉丸一昌・詞 中田章・曲)
歌の町(勝承夫・詞 小林三千三・曲)
平城山(北見志保子・詞 白井康三郎・曲)
通りゃんせ(わらべうた)
雨ふり(北原白秋・詞 中山晋平・曲)
~雨降りお月(野口雨情・詞 中山晋平・曲)
真赤な秋(薩摩忠・詞 小林秀雄・曲)
荒城の月(土井晩翠・詞 滝廉太郎・曲)
海(作詞作曲者不詳)
春の唄(野口雨情・詞 草川信・曲)
黄金虫(野口雨情・詞 中山晋平・曲)
浜辺の歌(林古渓・詞 成田為三・曲)
七夕さま(権藤はなよ、林柳波・詞 下総皖一・曲)
月の沙漠(加藤まさを・詞 佐々木すぐる・曲)
あの町この町(野口雨情・詞 中山晋平・曲)
春の唄(喜志邦三・詞 内田元・曲)
~春が来た(高野長之・詞 岡野貞一・曲)
砂山(北原白秋・詞 中山晋平・曲)
みかんの花咲く丘(加藤省吾・詞 海沼実・曲)
人を恋うる歌(与謝野鉄幹・詞 作曲者不詳)
かもめの水兵さん(武内俊子・詞 河村光陽・曲)
花影(大村主計・詞 豊田義一・曲)
せいくらべ(海野厚・詞 中山晋平・曲)
出船(勝田香月・詞 杉山長谷夫・曲)
叱られて(清水かつら・詞 弘田龍太郎・曲)


オカリナの原点だと感じるCDだ。今は演奏も曲もオカリナも多様になった。方向性も違ったものになった。しかし、この原点は忘れてはならないものだし、丁度、故郷のようなものではないかと思っている。帰って力を蓄え、そしてまた上京すると言った・・。

中塚純二さんと言うのは、そんな原点そのもののような人だと改めて認識させられた。そうして、その名前が、またまた現実味を帯びたものとなって、私に巡って来た。