昨日は、天皇誕生日で休日だった。それでも「こっちゅ」は開いている。26日で店仕舞いをすると言う。
「オープン当時と同じ位の人ですよ」
とママが言ったが、満員状態だった。予約でやっと取れた23日だった。
正直、お客は少ないかいないかの、どちらかだと思っていた。開けて吃驚玉手箱! うわーっ、と叫んだ。勿論、他人には聞こえない声で。奥の座敷に上がった。Tさん、Mさん、Miさん夫妻と私の5人が揃った。ちょっとオカリナやり難いなと、一瞬思いはした。躊躇したりしていたが、先ずは生ビールで乾杯。馴染みの忘年会で、基本的な5人が集結出来たことは、何を措いても一番喜ばしい事だった。
適当に持って来て貰うようにしていたので、サラダやジョンやチャプチェなどが運ばれた。殊の外旨いと感じた。
6時半を回っていた。
「オカリナ吹く為に、Mさんは飲むのを控えているな」
と、一番酒が強いTさんが言った。私にも同じような事を言って、私の量に合わせるのだと言うのだ。ブログでは、誰が読んでも酒好きで強いように思われているようだが、ゆっくりちょっと飲んだら満足するタイプなのだ。もう少し突っ込んで話すなら、酒には強くないのである。分解酵素がないのでね。
赤い服で一段と冴えたママがやって来て、
「オカリナ吹いたら」
と言った。
「周りに人がいるから・・」
「やったらいいよ」
「でも・・」
「いいから。早いほうがいいし」
と言う事で、周りの事を一番心配していたTさんが先陣を切る事を申し出た。格好いい。潔い。
持参の譜面台を広げると、周りにオカリナを吹かせて貰う事の挨拶をしてから吹き始めた。
「浜辺の歌」。とても美しい音色に耳をそばだてた。ゆったりとした流れは、周りを魅了しているようだった。もう1曲は、ママがソウル出身の事もあって、韓国の曲だった。「おなら」。チャングムの誓い「大長令(テジャングム)」で歌われた大変郷愁を誘う歌である。周囲の者は知っているのだろう、首を振りながら聴いていた。
オカリナはティアーモの4C管だった。これを吹きこなすのだから、年季が入っている。
つぎにMさんが立って、「故郷の春(コヒャン エ ポム)」を吹いた。「♪ナエ サルドン コヒャンウン コッピヌン サンゴル ポクスンアコッ サルグコッ アギチンダルレ・・」。韓国の人にとっては子どもの頃に歌った懐かしい、童謡のような歌だ。どう思って聴いてくれたかは知る由もないが、こうして1曲ずつでも韓国の曲を吹いた事に意義がある。
次の曲は「あわてんぼうのサンタクロース」だった。女の子が喜んで聴いていた。
私の番が来た。2連オカリナの愛称「くろちゃん」で、「悲しい酒」を吹いた。やっぱり飲んでいると息がすぐに切れる。次は自分が発散出来る曲「宵待草」を2代目イカロスで吹いた。3連目の高音を使うとイカロスを吹いているな、と言う気がする。
Tさんが、今度は「上を向いて歩こう」を吹いたと思う。後で、ズボンの右ポケットに入れていた、4Cは4Cでもナイトオカリナを使って吹こうと思って用意していたのにと悔やんでいたが、ティアーモで一向におかしくはなかった。でも、オカリナ吹きには拘りがあって、やっぱりナイトで吹きたかったのだと思う。いつか、吹き比べて聴かせて欲しい。
Mさんは遠慮して、吹かなかった。さくら工房の伸びのあるオカリナを持って来ていた。
私は、まだ韓国の曲を吹いていなかったので、「アリラン」を吹いた。もう日本での生活が長いママがどう感じてくれていたのかは分からない。けれど、私達に好意的にオカリナを吹かせてくれた事は、とても嬉しい事だった。だからいいママだと言うのでは短絡的過ぎるけれど、本当に人情のある、優しい、美人ママである。
「トルコ行進曲」は練習途中だったが、肝試しに吹いた。無茶苦茶だったが、いい経験をさせて貰った。ママがこっちを向いて、体でリズムを取っていた。知ってる曲だなと思った。私も愛嬌に体を揺すって見せた。
後は3人で「故郷」を演奏した。Tさんも私も4C管を使った。Mさんは7C、つまりバス管だ。近くで聴いていた母子は、バス管を見るなり「大きい!」と言った。そればかり見ていた。
音は、奇麗にハモって気持ちが良かった。色々反省点はあったが、それはマイナスに引っ張られるものではなく、楽しい反省点で、今後へのステップアップに繋がるものだと思った。
皆が吹き終わると、安心して飲んで食べた。チヂミも来た。
「ゴルフ上手くなったでしょう」
とMi夫に聞いた。
「大体いつでも百が切れるようになりました」
と言った。これは凄い事だし、これからのゴルフが一段と楽しいものになるだろう。私の腕が治ったら、治癒完了記念に行きたいものだ。何年かかるかは分からない。
「私の家で練習しましょうよ」
とMi妻が言った。皆で一度訪問して、ピアノ&オカリナ三昧しようではないか。
私たちの席の横にリキュールに朝鮮人参を10個以上14年間浸けた大きな寸胴になったガラスの瓶があった。コップに振舞ってくれた。いい味がしている。
「持って帰りたい」
と言うと、「真露(ジンロ)」の瓶に一杯詰めてくれた。普段はここまではしてくれないが、TさんもMiさんも貰った。帰ったら、お猪口でチョビチョビ、出来るだけ長く飲もう。ママ達や「こっちゅ」を偲びながら。まだまだやれるのに、忍びない。
娘達が結婚などで止める事になるとママ一人ではとてもやって行けないし、人を雇っても、同じ味が出せる訳でもないし人件費がかかる。残念だけれど、仕方のない事だった。
ママは、アメリカへ行くと言った。娘のいるアメリカへ。でも、ここが自分の家だから、永住する訳ではない。また、「オカリナフェスティバルin神戸」の時期には連絡してみたい。
Mi夫妻は歩いて帰った。15分程だから丁度いい散歩になる。我々は兵庫駅までタクシーで行き、東2人、西1人に分かれた。
終わってしまえばそれは写真のように貼り付き、どうにも動かせぬものとなってしまうが、事実だったことは間違いない事だ。その時その時が楽しければ、楽しい事実として残る。後悔しないために、オカリナが吹けてよかった。そして、5人のささやかな忘年会が実現出来てよかった。そう思った。安心して過去の引き出しにしまえる。楽しい過去は、いつか引き出しから出して見る事の出来る、二重の喜びとなる。またまた前進する為に、過去になった引き出しには鍵をかけて置こう。
こうして、3時間以上に及ぶ時は過ぎた。ママを入れた全員の記念写真も撮った。土間の明かりが落とされて、最後まで残っていたのはこの5人だった。
「オープン当時と同じ位の人ですよ」
とママが言ったが、満員状態だった。予約でやっと取れた23日だった。
正直、お客は少ないかいないかの、どちらかだと思っていた。開けて吃驚玉手箱! うわーっ、と叫んだ。勿論、他人には聞こえない声で。奥の座敷に上がった。Tさん、Mさん、Miさん夫妻と私の5人が揃った。ちょっとオカリナやり難いなと、一瞬思いはした。躊躇したりしていたが、先ずは生ビールで乾杯。馴染みの忘年会で、基本的な5人が集結出来たことは、何を措いても一番喜ばしい事だった。
適当に持って来て貰うようにしていたので、サラダやジョンやチャプチェなどが運ばれた。殊の外旨いと感じた。
6時半を回っていた。
「オカリナ吹く為に、Mさんは飲むのを控えているな」
と、一番酒が強いTさんが言った。私にも同じような事を言って、私の量に合わせるのだと言うのだ。ブログでは、誰が読んでも酒好きで強いように思われているようだが、ゆっくりちょっと飲んだら満足するタイプなのだ。もう少し突っ込んで話すなら、酒には強くないのである。分解酵素がないのでね。
赤い服で一段と冴えたママがやって来て、
「オカリナ吹いたら」
と言った。
「周りに人がいるから・・」
「やったらいいよ」
「でも・・」
「いいから。早いほうがいいし」
と言う事で、周りの事を一番心配していたTさんが先陣を切る事を申し出た。格好いい。潔い。
持参の譜面台を広げると、周りにオカリナを吹かせて貰う事の挨拶をしてから吹き始めた。
「浜辺の歌」。とても美しい音色に耳をそばだてた。ゆったりとした流れは、周りを魅了しているようだった。もう1曲は、ママがソウル出身の事もあって、韓国の曲だった。「おなら」。チャングムの誓い「大長令(テジャングム)」で歌われた大変郷愁を誘う歌である。周囲の者は知っているのだろう、首を振りながら聴いていた。
オカリナはティアーモの4C管だった。これを吹きこなすのだから、年季が入っている。
つぎにMさんが立って、「故郷の春(コヒャン エ ポム)」を吹いた。「♪ナエ サルドン コヒャンウン コッピヌン サンゴル ポクスンアコッ サルグコッ アギチンダルレ・・」。韓国の人にとっては子どもの頃に歌った懐かしい、童謡のような歌だ。どう思って聴いてくれたかは知る由もないが、こうして1曲ずつでも韓国の曲を吹いた事に意義がある。
次の曲は「あわてんぼうのサンタクロース」だった。女の子が喜んで聴いていた。
私の番が来た。2連オカリナの愛称「くろちゃん」で、「悲しい酒」を吹いた。やっぱり飲んでいると息がすぐに切れる。次は自分が発散出来る曲「宵待草」を2代目イカロスで吹いた。3連目の高音を使うとイカロスを吹いているな、と言う気がする。
Tさんが、今度は「上を向いて歩こう」を吹いたと思う。後で、ズボンの右ポケットに入れていた、4Cは4Cでもナイトオカリナを使って吹こうと思って用意していたのにと悔やんでいたが、ティアーモで一向におかしくはなかった。でも、オカリナ吹きには拘りがあって、やっぱりナイトで吹きたかったのだと思う。いつか、吹き比べて聴かせて欲しい。
Mさんは遠慮して、吹かなかった。さくら工房の伸びのあるオカリナを持って来ていた。
私は、まだ韓国の曲を吹いていなかったので、「アリラン」を吹いた。もう日本での生活が長いママがどう感じてくれていたのかは分からない。けれど、私達に好意的にオカリナを吹かせてくれた事は、とても嬉しい事だった。だからいいママだと言うのでは短絡的過ぎるけれど、本当に人情のある、優しい、美人ママである。
「トルコ行進曲」は練習途中だったが、肝試しに吹いた。無茶苦茶だったが、いい経験をさせて貰った。ママがこっちを向いて、体でリズムを取っていた。知ってる曲だなと思った。私も愛嬌に体を揺すって見せた。
後は3人で「故郷」を演奏した。Tさんも私も4C管を使った。Mさんは7C、つまりバス管だ。近くで聴いていた母子は、バス管を見るなり「大きい!」と言った。そればかり見ていた。
音は、奇麗にハモって気持ちが良かった。色々反省点はあったが、それはマイナスに引っ張られるものではなく、楽しい反省点で、今後へのステップアップに繋がるものだと思った。
皆が吹き終わると、安心して飲んで食べた。チヂミも来た。
「ゴルフ上手くなったでしょう」
とMi夫に聞いた。
「大体いつでも百が切れるようになりました」
と言った。これは凄い事だし、これからのゴルフが一段と楽しいものになるだろう。私の腕が治ったら、治癒完了記念に行きたいものだ。何年かかるかは分からない。
「私の家で練習しましょうよ」
とMi妻が言った。皆で一度訪問して、ピアノ&オカリナ三昧しようではないか。
私たちの席の横にリキュールに朝鮮人参を10個以上14年間浸けた大きな寸胴になったガラスの瓶があった。コップに振舞ってくれた。いい味がしている。
「持って帰りたい」
と言うと、「真露(ジンロ)」の瓶に一杯詰めてくれた。普段はここまではしてくれないが、TさんもMiさんも貰った。帰ったら、お猪口でチョビチョビ、出来るだけ長く飲もう。ママ達や「こっちゅ」を偲びながら。まだまだやれるのに、忍びない。
娘達が結婚などで止める事になるとママ一人ではとてもやって行けないし、人を雇っても、同じ味が出せる訳でもないし人件費がかかる。残念だけれど、仕方のない事だった。
ママは、アメリカへ行くと言った。娘のいるアメリカへ。でも、ここが自分の家だから、永住する訳ではない。また、「オカリナフェスティバルin神戸」の時期には連絡してみたい。
Mi夫妻は歩いて帰った。15分程だから丁度いい散歩になる。我々は兵庫駅までタクシーで行き、東2人、西1人に分かれた。
終わってしまえばそれは写真のように貼り付き、どうにも動かせぬものとなってしまうが、事実だったことは間違いない事だ。その時その時が楽しければ、楽しい事実として残る。後悔しないために、オカリナが吹けてよかった。そして、5人のささやかな忘年会が実現出来てよかった。そう思った。安心して過去の引き出しにしまえる。楽しい過去は、いつか引き出しから出して見る事の出来る、二重の喜びとなる。またまた前進する為に、過去になった引き出しには鍵をかけて置こう。
こうして、3時間以上に及ぶ時は過ぎた。ママを入れた全員の記念写真も撮った。土間の明かりが落とされて、最後まで残っていたのはこの5人だった。