名谷行きのバスが、定刻までに2分待っても来ない。12時36分の定刻が、3分過ぎても来なかった。早く行ってしまったのだろう。仕方なく、次の56分を待った。これはほんの少し遅れてやって来た。
地下鉄名谷駅で切符を買い、プラットホームに急いだ。階段を下りる頃、戸の閉まった西神中央駅行きが動き出したばかりだった。コンサートは2時からである。間に合うかどうか心配になった。次は1時25分発だ。間に合うのには、諦めムードが漂い始めていた。
260円の運賃だと、そんなに早くは着かないと思うのが常道だ。やっとこさ来た電車に座った。所が、見る見る目的の終点、西神中央駅に近づいて行った。何と、12分で到着した。37分に着いた訳だから、ちゃんとした昼食はとれなくてもパン位は食べられる。コーヒーで食べる時間が生み出せたのは、驚きと言う他はない。
西区小学校PTA連合会主催のトーク&コンサートは、駅からすぐ近くの、西区民センター大ホールで行われた。約500人は収容出来るホールだが、今日は性質上、PTA関係の保護者や子供が対象で、100人位が前部の椅子に、疎らに座っていた。
ESPERANZA(エスペランサ)の「夢」をあきらめないで -難病を乗り越えて- と言う演題で、2人によるフルートとベースにトークだった。
ブログでたまたまこの「BO夫婦」を見付け、全国行脚の楽しい報告を見ていた。その中で、Hさんの顔がスーッと過ぎて行った。えっ? 確かに私のよく知っている人だった。その事を、BO夫妻のブログに書き込んだ。それから、私はBO夫婦のアップされる顔を覚えた。しかし、BO夫婦、特にO妻さん(旦那さんはB夫氏である)は私の顔も分からなければ素性も分からない。随分気になりながら、今日がやって来たのではないかと思う。
公開出来るコンサートとそう出来ないコンサートがある。私は、いつか神戸近辺で行われる時は、是非聴きたいから、知らせて欲しいとお願いしていた。これが、待ちに待っていた今日だったと言う訳だ。縁と言うのは、全く不思議なものである。私の目の前で、そのブログで知り合った人がこうして演奏をしているのだから。
PTA関係の挨拶に続き、校長の挨拶があった。
「夢を見るとスイッチが入ります。大きくても小さくても、自分の心から湧き立つ夢に取り組んでいる姿があったら、感動を与えます。今日の話を通して、スイッチを入れて貰えたらいいなと思っています」
中々の、最初の上手い話だった。
2時10分に、2人は登場して来た。向かって左はベースのB夫氏。白っぽい木肌色のベースだった。右手には、O妻さんが座った。先ず最初に挨拶代わりの曲が流れた。ベースの安定感のある、よく響く音。フルートのゆったりとしたビブラート。これは、最後まで聴けると言う期待感を持たせた。
「夢には始まりがあります。8年前、携帯に『フジテレビです。奇跡体験アンビリーバボーに出て下さい』とかかってきたんです。それは心霊写真とか心霊スポットの番組でしょう? 肩に白いものが付いていたんではないかと思って、いつ、誰と、どこでの、どんな写真でした、と聞いたんです。すると、最後にある、格闘のアンビリーバボー・ドキュメンタリーのコーナーの出演だと言う事が分かったのです」
「私は中学校でフルートを始めましたが、人間って、頑張っても頑張っても駄目な時があるんですね。それで、夢を諦めました。でも、先生や医者や看護婦さんたちが、フルートをやるように言ってくれたんです。それで、止めてから7年振りに再開しました。週刊誌の記事に載ったりして、人事のように見ていました。それから依頼が舞い込むようになって、沖縄以外は全部行きました」
「私の紹介が終わったので、今度はこちらの人です」
B夫氏は言った。
「夫です」
「今からテーマを言います。皆さんの今の夢って何ですか? 実は子供より大人の皆さんの方が心配なんですが、最後には見付けて下さいね」
そう言って、2番目の曲、「トップオヴザワールド」が鳴り始めた。
「B夫さんは、音楽は出来なかったけど泳ぐのが得意でした。小学校4年生の時、夏休みにプールに行った時の事です。そこでバンドが演奏していて、泳ぐのを忘れて、それをずうっと聴いていました。中学校では、肺に水が溜まって、夢であり得意だった水泳が出来なくなりました。ちょうどバンドをやっていた友達が、ベースの空きがあって、『ベースやるんやったらバンドに入れたるで』と言ってくれて、ドラムの子に指の押さえる位置を教わったり、ここを何回鳴らせとか言われたりしながら、少しずつベースを覚えていったのです。高校生になるとプロの手伝いをするようになり、大学に入ると学校には1日も行かんと練習して、20歳でオーディションを受けて合格したんです」
O妻さんはそう言って次の曲、「少年時代」をオカリナで吹いた。フルートと全く変わらないゆったりとした、内から湧き上がるようなビブラートだった。O妻さんのオカリナは素敵で、希望と喜びに溢れた音がした。
「私は体育が嫌いで、特に逆上がりが出来なくて、体育のある日は学校が嫌で、体育の前の日は憂鬱で、だから、毎日学校に行きたくなかったのです。運動会も嫌で、6年生の時は運動会の3日前に水疱瘡にかかり、とっても嬉しくて、ヤッターと思いました」
そして続ける。
「担任の先生が、『オール5なんて取ったらあかんで。1つあったらいい。何でも出来たら、何かしようかと言う時、却って困るで。1つだけ、夢に繋げていったらいいやん』そう言って、私に教えてくれました。音楽は、5をつけてくれたんです。お母さんは、リコーダーは1日中吹いていると言って、私が中学2年の時、フルートを買ってくれました」
オカリナはお薦めだと言って、伴奏なしでも2曲吹いた。「千と千尋の神隠し」と、もう一つは、天気予報の時バックで流れる曲。「近畿地方のお天気をお知らせします」とB夫氏のナレーション入りで。
それから「崖の上のポニョ」。私の前の2人の子供が、ポニョの踊りを手振り身振りで座ったまま楽しそうに踊っていた。
今度は、「G線上のアリア」だった。装飾音がユニークで面白い。フルート独特の指の滑りだった。
「大学4年の時、体調に変化が現れました。友達が『ちょっと痩せたんと違う?』と言うんです。そんな事はないと思って体重計に乗ると、58圓世辰紳僚鼎53圓砲覆辰討い泙靴拭スカートが緩くなっていました。そのうち髪の毛が抜け始め、周りが心配し出しました。1ケ月後には43圓砲覆辰燭里任后スカートはダブダブです。もう、立ち上がれません。病院で血液検査をしました。そこで「クローン病」と診断されたのです。原因は分かりません。治療法はありません。でも、死ぬ事はないそうです」
「死ぬ事はないとは、どう言う事? と聞きました」
♪悲しみの向こうには、微笑みがあると言うよ・・。「オンリーヒューマン」がフルートから流れた。
「難病と言うのは130種類あると言われていますが、クローン病は、20年前は6000人いたけど、今は25000人になっているそうです。小腸大腸に傷が出来、食べると消化器にずっと傷が出来るんです。遺伝子が少し違うと言う事が分かって来ました。点滴で栄養は大丈夫だったのですが、何ヶ月も口から食べられないのは、本当に辛かったです」
竹筒の笛で「故郷」。そしてフルートで「蕾」。
「フルートを諦めて辛い日々。アルバイトを紹介されました。その時、出来ないと言わないでおこうと決めました。2週間後、20分間トークと演奏をしなさいと言われました。その時は、出来ないと言いそうになりましたが、ステージに立ちました。今止めたらあかん。このチャンスを逃したら、2度と巡って来ないと思いました。ステージに立つと、背筋が伸びました。前をしっかり向きました。そこには、自分の笑顔がありました」
「あの時、出来ないと言わないでよかったと思っています。夢は、諦めなければ必ず叶います。最後まで頑張りました。それには、才能が必要です。人よりちょっとだけ上手だと思う事です」
人間には、得意だと思っている事、これは是非やりたいと思っている事がある筈だ。それを、人よりちょっとだけ上手だと思う事が才能なら、この才能は皆にあるのかも知れない。
「小学校6年の時、運動会の後担任がパンを持って来てくれました。その時の先生が、ここに来てくれている筈です。先生、紹介していいですか」
当時担任だったその先生Hさんは、ゆっくり手を上げた。O妻さんは感極まって、一瞬詰まった。
「医者は頑張るなと言います。今は、少しだけ頑張っている自分が好きになりました」
そう言って、最後の曲を演奏した。「三日月」。魂の底から搾り出すような音だった。チラチラチラチラと鳴っていた。
熱い思いを感じ、自分について考える機会を与えられた。反省とかそんなんじゃなくて、情熱だとか慈しみだとか愛するだとかの、そんな類のものだった。
終わった後、楽屋に来てとブログに書かれていた。担任だった先生Hさんと一緒に控室に入った。目の前に、ブログでアップされていたO妻さんやB夫氏の生の姿があった。そして、私の知っているHさんの4人が揃った。
またまた夢のような出会いとなったが、素敵な人達と今度も出会えてしまった。「またいつかお会いしましょう」と言う話になって、それは、連絡待ちと言う事になっている。長居は出来なかったが、夢を諦めないって、いい事だ。
生きていると、嬉しい出会いが舞い込んで来る。素敵に輝いているO妻さん。何故? と思う位優しい感じのB夫氏。勿論昔の若いままでいるHさんも・・。みんな会えてよかった。
地下鉄名谷駅で切符を買い、プラットホームに急いだ。階段を下りる頃、戸の閉まった西神中央駅行きが動き出したばかりだった。コンサートは2時からである。間に合うかどうか心配になった。次は1時25分発だ。間に合うのには、諦めムードが漂い始めていた。
260円の運賃だと、そんなに早くは着かないと思うのが常道だ。やっとこさ来た電車に座った。所が、見る見る目的の終点、西神中央駅に近づいて行った。何と、12分で到着した。37分に着いた訳だから、ちゃんとした昼食はとれなくてもパン位は食べられる。コーヒーで食べる時間が生み出せたのは、驚きと言う他はない。
西区小学校PTA連合会主催のトーク&コンサートは、駅からすぐ近くの、西区民センター大ホールで行われた。約500人は収容出来るホールだが、今日は性質上、PTA関係の保護者や子供が対象で、100人位が前部の椅子に、疎らに座っていた。
ESPERANZA(エスペランサ)の「夢」をあきらめないで -難病を乗り越えて- と言う演題で、2人によるフルートとベースにトークだった。
ブログでたまたまこの「BO夫婦」を見付け、全国行脚の楽しい報告を見ていた。その中で、Hさんの顔がスーッと過ぎて行った。えっ? 確かに私のよく知っている人だった。その事を、BO夫妻のブログに書き込んだ。それから、私はBO夫婦のアップされる顔を覚えた。しかし、BO夫婦、特にO妻さん(旦那さんはB夫氏である)は私の顔も分からなければ素性も分からない。随分気になりながら、今日がやって来たのではないかと思う。
公開出来るコンサートとそう出来ないコンサートがある。私は、いつか神戸近辺で行われる時は、是非聴きたいから、知らせて欲しいとお願いしていた。これが、待ちに待っていた今日だったと言う訳だ。縁と言うのは、全く不思議なものである。私の目の前で、そのブログで知り合った人がこうして演奏をしているのだから。
PTA関係の挨拶に続き、校長の挨拶があった。
「夢を見るとスイッチが入ります。大きくても小さくても、自分の心から湧き立つ夢に取り組んでいる姿があったら、感動を与えます。今日の話を通して、スイッチを入れて貰えたらいいなと思っています」
中々の、最初の上手い話だった。
2時10分に、2人は登場して来た。向かって左はベースのB夫氏。白っぽい木肌色のベースだった。右手には、O妻さんが座った。先ず最初に挨拶代わりの曲が流れた。ベースの安定感のある、よく響く音。フルートのゆったりとしたビブラート。これは、最後まで聴けると言う期待感を持たせた。
「夢には始まりがあります。8年前、携帯に『フジテレビです。奇跡体験アンビリーバボーに出て下さい』とかかってきたんです。それは心霊写真とか心霊スポットの番組でしょう? 肩に白いものが付いていたんではないかと思って、いつ、誰と、どこでの、どんな写真でした、と聞いたんです。すると、最後にある、格闘のアンビリーバボー・ドキュメンタリーのコーナーの出演だと言う事が分かったのです」
「私は中学校でフルートを始めましたが、人間って、頑張っても頑張っても駄目な時があるんですね。それで、夢を諦めました。でも、先生や医者や看護婦さんたちが、フルートをやるように言ってくれたんです。それで、止めてから7年振りに再開しました。週刊誌の記事に載ったりして、人事のように見ていました。それから依頼が舞い込むようになって、沖縄以外は全部行きました」
「私の紹介が終わったので、今度はこちらの人です」
B夫氏は言った。
「夫です」
「今からテーマを言います。皆さんの今の夢って何ですか? 実は子供より大人の皆さんの方が心配なんですが、最後には見付けて下さいね」
そう言って、2番目の曲、「トップオヴザワールド」が鳴り始めた。
「B夫さんは、音楽は出来なかったけど泳ぐのが得意でした。小学校4年生の時、夏休みにプールに行った時の事です。そこでバンドが演奏していて、泳ぐのを忘れて、それをずうっと聴いていました。中学校では、肺に水が溜まって、夢であり得意だった水泳が出来なくなりました。ちょうどバンドをやっていた友達が、ベースの空きがあって、『ベースやるんやったらバンドに入れたるで』と言ってくれて、ドラムの子に指の押さえる位置を教わったり、ここを何回鳴らせとか言われたりしながら、少しずつベースを覚えていったのです。高校生になるとプロの手伝いをするようになり、大学に入ると学校には1日も行かんと練習して、20歳でオーディションを受けて合格したんです」
O妻さんはそう言って次の曲、「少年時代」をオカリナで吹いた。フルートと全く変わらないゆったりとした、内から湧き上がるようなビブラートだった。O妻さんのオカリナは素敵で、希望と喜びに溢れた音がした。
「私は体育が嫌いで、特に逆上がりが出来なくて、体育のある日は学校が嫌で、体育の前の日は憂鬱で、だから、毎日学校に行きたくなかったのです。運動会も嫌で、6年生の時は運動会の3日前に水疱瘡にかかり、とっても嬉しくて、ヤッターと思いました」
そして続ける。
「担任の先生が、『オール5なんて取ったらあかんで。1つあったらいい。何でも出来たら、何かしようかと言う時、却って困るで。1つだけ、夢に繋げていったらいいやん』そう言って、私に教えてくれました。音楽は、5をつけてくれたんです。お母さんは、リコーダーは1日中吹いていると言って、私が中学2年の時、フルートを買ってくれました」
オカリナはお薦めだと言って、伴奏なしでも2曲吹いた。「千と千尋の神隠し」と、もう一つは、天気予報の時バックで流れる曲。「近畿地方のお天気をお知らせします」とB夫氏のナレーション入りで。
それから「崖の上のポニョ」。私の前の2人の子供が、ポニョの踊りを手振り身振りで座ったまま楽しそうに踊っていた。
今度は、「G線上のアリア」だった。装飾音がユニークで面白い。フルート独特の指の滑りだった。
「大学4年の時、体調に変化が現れました。友達が『ちょっと痩せたんと違う?』と言うんです。そんな事はないと思って体重計に乗ると、58圓世辰紳僚鼎53圓砲覆辰討い泙靴拭スカートが緩くなっていました。そのうち髪の毛が抜け始め、周りが心配し出しました。1ケ月後には43圓砲覆辰燭里任后スカートはダブダブです。もう、立ち上がれません。病院で血液検査をしました。そこで「クローン病」と診断されたのです。原因は分かりません。治療法はありません。でも、死ぬ事はないそうです」
「死ぬ事はないとは、どう言う事? と聞きました」
♪悲しみの向こうには、微笑みがあると言うよ・・。「オンリーヒューマン」がフルートから流れた。
「難病と言うのは130種類あると言われていますが、クローン病は、20年前は6000人いたけど、今は25000人になっているそうです。小腸大腸に傷が出来、食べると消化器にずっと傷が出来るんです。遺伝子が少し違うと言う事が分かって来ました。点滴で栄養は大丈夫だったのですが、何ヶ月も口から食べられないのは、本当に辛かったです」
竹筒の笛で「故郷」。そしてフルートで「蕾」。
「フルートを諦めて辛い日々。アルバイトを紹介されました。その時、出来ないと言わないでおこうと決めました。2週間後、20分間トークと演奏をしなさいと言われました。その時は、出来ないと言いそうになりましたが、ステージに立ちました。今止めたらあかん。このチャンスを逃したら、2度と巡って来ないと思いました。ステージに立つと、背筋が伸びました。前をしっかり向きました。そこには、自分の笑顔がありました」
「あの時、出来ないと言わないでよかったと思っています。夢は、諦めなければ必ず叶います。最後まで頑張りました。それには、才能が必要です。人よりちょっとだけ上手だと思う事です」
人間には、得意だと思っている事、これは是非やりたいと思っている事がある筈だ。それを、人よりちょっとだけ上手だと思う事が才能なら、この才能は皆にあるのかも知れない。
「小学校6年の時、運動会の後担任がパンを持って来てくれました。その時の先生が、ここに来てくれている筈です。先生、紹介していいですか」
当時担任だったその先生Hさんは、ゆっくり手を上げた。O妻さんは感極まって、一瞬詰まった。
「医者は頑張るなと言います。今は、少しだけ頑張っている自分が好きになりました」
そう言って、最後の曲を演奏した。「三日月」。魂の底から搾り出すような音だった。チラチラチラチラと鳴っていた。
熱い思いを感じ、自分について考える機会を与えられた。反省とかそんなんじゃなくて、情熱だとか慈しみだとか愛するだとかの、そんな類のものだった。
終わった後、楽屋に来てとブログに書かれていた。担任だった先生Hさんと一緒に控室に入った。目の前に、ブログでアップされていたO妻さんやB夫氏の生の姿があった。そして、私の知っているHさんの4人が揃った。
またまた夢のような出会いとなったが、素敵な人達と今度も出会えてしまった。「またいつかお会いしましょう」と言う話になって、それは、連絡待ちと言う事になっている。長居は出来なかったが、夢を諦めないって、いい事だ。
生きていると、嬉しい出会いが舞い込んで来る。素敵に輝いているO妻さん。何故? と思う位優しい感じのB夫氏。勿論昔の若いままでいるHさんも・・。みんな会えてよかった。