日本人はなぜドヴォルザークが好きなのか。2009年11月22日の題名のない音楽会は、こんなテーマで始まった。例えどんなテーマにしろ、25分位の時間では、語り尽せないと思う。
交響曲第8番が中心に進められて行った。
東京フィルハーモニー交響楽団。しかし、人間と言うのは評価や考えが変わる、おかしな生き物だと実感している。これが大阪フィルハーモニー交響楽団だったら、どんなにか聴くのも見るのも楽しいかと。 I さんを知ったばかりに、贔屓心が芽生えたのである。
第1楽章冒頭では、風を感じると佐渡さんは言う。そしてフルートが春を運ぶ。コントラバスが鳴り、ヴァイオリンが入り、賑やかになった。
東京チンドン倶楽部がステージ上にいる。どう見ても、しっくり来る組み合わせではない。それが、中山晋平の曲と合わせてみると、ぴったりと合う。黄金虫とドヴォルザークがである。この付点のリズムこそ、好きになる秘密ではないかと分析していた。ピョンコ節の多用だと語っていた。
覚えやすくて、メリハリがあって、哀愁があると来たら、ぐっと近しいものになる。親しみのあるメロディーは、万国共通のものだと言っていた。チンドンとオーケストラが合う訳はないが、チンドンの東京音頭から、交響曲のドヴォルザークへと、実に自然に移行して行った。音楽の楽しさと幅広さが、そこにはあった。
茂木健一郎さんが登場して、佐渡豊が指揮をするドヴォルザークを聴く前に、「ハンカチ用意しときます」と言って、下手に座った。感動する事が分かっているからだそうだ。
第2楽章は時間の経過が魅力だと言った。第3楽章はメロディーメーカーだと言っていた。
第4楽章は肉体的でダンスのようだと。つまり、喜びに溢れていると言いたかったのだろう。茂木健一郎は、「これを聴くと、生きていてよかったと思える」と言った。「人間頑張れよみたいなメッセージが送られて来る」とも。
トランペットが高らかに音を出す。暫くしてティンパニーが鳴り出し、そして、弦楽器が緩やかに流れた。チェロ。ヴァイオリン。コントラバスの打楽器的なリズムが響いて来る。
そして、黄金虫のメロディーとリズムになった。
「チャンチャンチャーン チャ チャチャチャチャチャ」
私は、第4楽章を聴いて思った。今の私とはピッタリ来ていない。だから、やや醒めた気持ちで聴いていた。少し遠慮するような、解明が出来ないような心境だった。もしこの第4楽章の中に入り込めたら、それは素晴らしいだろうなと思った。
共鳴したり共感したりする事がどんなに素晴らしいかは十分に分かっている。だが、敢えて入り込もうとしなくてもいいだろう。いつか、自然に、高らかに、トランペットが鳴り響いていないとも限らないからだ。これが「新世界」だったら話は別だ。
最後は随分盛り上がり、元気な音楽となった。
今日は、11時前に病院へ行った。病院を出たのが1時50分だった。随分長く待っていた。診察では検査の日が決まり、採血をしてから会計へ行く以外は、内科の椅子に座りっ放しだった。
半分以上はマスクをして座っている。「○○さん、中待合でお待ち下さい」と言う声が、暫くすると聞こえて来る。車椅子に乗ってこちらに来る人。診察が終わって会計へと消えて行く人。事務の人達がカルテを運ぶのに、右往左往している。時たま走って向こうの方へ行く男子職員がいる他は、皆静かに順番を待っている。文句一つ言わないで。少しずつ人が減っていく。ゆったりとした速度で、静かな時が過ぎて行く。
第2楽章に、確かに時間の経過を感じたように、病院の時間の経過は、ゆっくり、静かに、退屈さを伴って過ぎて行った。
交響曲第8番が中心に進められて行った。
東京フィルハーモニー交響楽団。しかし、人間と言うのは評価や考えが変わる、おかしな生き物だと実感している。これが大阪フィルハーモニー交響楽団だったら、どんなにか聴くのも見るのも楽しいかと。 I さんを知ったばかりに、贔屓心が芽生えたのである。
第1楽章冒頭では、風を感じると佐渡さんは言う。そしてフルートが春を運ぶ。コントラバスが鳴り、ヴァイオリンが入り、賑やかになった。
東京チンドン倶楽部がステージ上にいる。どう見ても、しっくり来る組み合わせではない。それが、中山晋平の曲と合わせてみると、ぴったりと合う。黄金虫とドヴォルザークがである。この付点のリズムこそ、好きになる秘密ではないかと分析していた。ピョンコ節の多用だと語っていた。
覚えやすくて、メリハリがあって、哀愁があると来たら、ぐっと近しいものになる。親しみのあるメロディーは、万国共通のものだと言っていた。チンドンとオーケストラが合う訳はないが、チンドンの東京音頭から、交響曲のドヴォルザークへと、実に自然に移行して行った。音楽の楽しさと幅広さが、そこにはあった。
茂木健一郎さんが登場して、佐渡豊が指揮をするドヴォルザークを聴く前に、「ハンカチ用意しときます」と言って、下手に座った。感動する事が分かっているからだそうだ。
第2楽章は時間の経過が魅力だと言った。第3楽章はメロディーメーカーだと言っていた。
第4楽章は肉体的でダンスのようだと。つまり、喜びに溢れていると言いたかったのだろう。茂木健一郎は、「これを聴くと、生きていてよかったと思える」と言った。「人間頑張れよみたいなメッセージが送られて来る」とも。
トランペットが高らかに音を出す。暫くしてティンパニーが鳴り出し、そして、弦楽器が緩やかに流れた。チェロ。ヴァイオリン。コントラバスの打楽器的なリズムが響いて来る。
そして、黄金虫のメロディーとリズムになった。
「チャンチャンチャーン チャ チャチャチャチャチャ」
私は、第4楽章を聴いて思った。今の私とはピッタリ来ていない。だから、やや醒めた気持ちで聴いていた。少し遠慮するような、解明が出来ないような心境だった。もしこの第4楽章の中に入り込めたら、それは素晴らしいだろうなと思った。
共鳴したり共感したりする事がどんなに素晴らしいかは十分に分かっている。だが、敢えて入り込もうとしなくてもいいだろう。いつか、自然に、高らかに、トランペットが鳴り響いていないとも限らないからだ。これが「新世界」だったら話は別だ。
最後は随分盛り上がり、元気な音楽となった。
今日は、11時前に病院へ行った。病院を出たのが1時50分だった。随分長く待っていた。診察では検査の日が決まり、採血をしてから会計へ行く以外は、内科の椅子に座りっ放しだった。
半分以上はマスクをして座っている。「○○さん、中待合でお待ち下さい」と言う声が、暫くすると聞こえて来る。車椅子に乗ってこちらに来る人。診察が終わって会計へと消えて行く人。事務の人達がカルテを運ぶのに、右往左往している。時たま走って向こうの方へ行く男子職員がいる他は、皆静かに順番を待っている。文句一つ言わないで。少しずつ人が減っていく。ゆったりとした速度で、静かな時が過ぎて行く。
第2楽章に、確かに時間の経過を感じたように、病院の時間の経過は、ゆっくり、静かに、退屈さを伴って過ぎて行った。