人に偉そうにしたり、人を馬鹿にしたり、人に怒鳴ったりした事はないだろうか。恥ずかしいけれど私はある。そして、気付かぬうちにそのような行為をしている事もあっただろう。今だってあるかも知れない。

それらは皆、壁にぶつけたボールのように、同じ強さで跳ね返って来る。

まだまだ未熟だった頃、悪かったと反省しながら、いつしかまた態度に出ていた事があっただろう。人の心の本質は皆同じだと思うようになってから、また、人はそれぞれ違った考えをするものだと思った時から、私は一人ひとりを認めようとした。

知らず知らずのうちに傷つけていた人がいただろう事を思うと、慙愧の念に堪えない。

同じように私が逆に受ける事は、だから甘んじて受けなければならないと思う。

これからは方向をコペルニクスのように転回させて、希望的、躍動的、歓喜的なプラス思考で歩んで行きたいと考える。そして、そのような磁場を築きたい。

反省しなくてもいい自分になりたいし、反省的なマイナス思考からは遠く離れたい。もしも反省する事が起きても、短く反省して、拘る事無く次のプラスの道に歩みを向けたいと思うのだ。

それには、自分は幸せ者だと思う事、そして感謝の気持ちを持つ事が大前提となる。どれだけ多くの人から学び、支えられて来た事かを思えば私は納得出来る。

プラスとマイナスに属する言葉を書き上げて、マイナス属を捨てるか忘れるか拘わらぬようにするかして、栄養分を吸収するかのようにプラス属を採り入れるのである。例えば「明るい」と「暗い」。勿論暗い部分があるから明るい部分が認識されるのであって暗い部分も影としての存在を否定は出来ない。その上で「明るい」部分を採り入れ、「何て幸せなんだ、今日も一日感謝して生きよう」と思いながら暮らすと、厭な事でもプラスに歩んで行けるメッセージとして、受け入れられるようになるだろう。

まだまだ未熟者の私は、向日葵のように偉大な光の方に向いていたいと思う。



先日10日森繁久弥さんが亡くなったが、11日の編集手帳にはこんな事が書かれていた。



芝居が始まったのに、その少女は客席の最前列で頭を垂れ、居眠りをしている。「屋根の上のヴァイオリン弾き」九州公演でのことである。

森繁久弥さんをはじめ俳優たちは面白くない。起こせ、起こせ・・。そばで演技をするとき、一同は床を音高く踏み鳴らしたが、ついに目を覚まさなかった。

アンコールの幕があがり、少女は初めて頭を上げた。両目が閉じられていた。居眠りと見えたのは、盲目の人が全神経を耳に集め、芝居を心眼に映そうとする姿であったと知る。心ない仕打ちを恥じ、森繁さんは舞台の上で泣いたという。

享年96、森繁さんの訃報に接し、生前の回想談を思い起こしている。誰ひとり退屈させてなるものか、という生涯枯れることのなかった役者魂と、情にもろい心とーー森繁久弥という希代の演技者がその光景に凝縮されているように思えてならない。

映画、舞台、テレビと、巨大な山脈をなす芸歴のなかで、盲目の少女との挿話は山すそに咲いた一輪の露草にすぎまい。山脈の威容は、語るべき人たちが語ってくれよう。いまは小さな青い花の記憶を胸に映し、亡き人への献花とする。
                                           2009.11.11 読売新聞「編集手帳」


森繁さんにもこんな事があったのかと思った。一生懸命さの余り、相手の状況にまで思いが至らなかったのだ。とても微妙な話である。

ここから得られる教訓は、自己中心的な考えや思い込みで相手(対象)を見ない事。あるある事典ではないけれど、こんな事はしょっちゅうだ。


プラス思考で考えて行きたいと言った。確かにそれはプラスの方を向いている。けれど、今の自分は数直線上の大きくマイナス地点に立っている。これをゼロ地点まで歩いて行って、更にプラスの線上に至るのは到底出来ない相談だ。だから、せめてマイナス線上の私が、プラスの方向を向く事から始めないといけないと思っている。マイナス地点で、プラスの方向が意識出来ただけでも幸せな事と言えるだろう。

観て欲しい一心で、この盲目の少女の前で音高く床を踏み鳴らした。この気持ちも分かる。しかし、少女はこの音を敏感に感じて居た堪れなくなった事だろう。喜びと楽しみを感じる筈が、悲しみと苦しみを覚える事となったのは皮肉だ。森繁さんだから、他の観客には分からなくても取り返しの出来ない事をしたと感じ、泣いたのだと思う。このボールの跳ね返りは、一生心を離れる事のない重荷となり続けたに違いない。

けれど、「社長シリーズ」はどれだけ楽しませ、笑わせてくれたことか。矢張り一人の男が一生を全うして逝った事には間違いない。教養もあり人間臭かった森繁さんに、未熟ながら、心から冥福を祈らせて頂きたい。