台風20号が南海上に発生している。その影響で、近畿圏は全域雨。980hPa、秒速30m、時速30kmの速さで東北東に進んでいる。悲しい被害のない事を願う。

もうすっかり肌寒く、虫の声さえ聞かれない。窓を開けると寒気が入り込み、緩やかに雨は落ち、車が行き交う。

雨。雨で思い出すのは、小さい頃よく聴いたり歌ったりした雨の歌だ。風化しないために、いくつかの童謡たちを連ねて見たい。




               作詞 北原白秋  作曲 草川 信

1.雨がふります 雨がふる
  遊びにゆきたし 傘はなし
  紅緒の木履も緒が切れた

2.雨がふります 雨がふる
  いやでもお家で遊びましょう
  千代紙折りましょう たたみましょう

3.雨がふります 雨がふる
  けんけん小雉子が今啼いた
  子雉子も寒かろ 寂しかろ

4.雨がふります 雨がふる
  お人形寝かせどまだ止まぬ
  お線香花火もみな焚いた

5.雨がふります 雨がふる
  昼もふるふる 夜もふる
  雨がふります あめがふる

大正7年の事、鈴木三重吉が難しい歌詞の文部省唱歌に反発して赤い鳥運動を起こし、子供たちにも理解できて、しかも品位のある童謡を作ろうと月刊本「赤い鳥」を発刊した。
じきに9月号に発表されたのが、この「雨」である。次の年、成田為三が作曲したが、あまり馴染まず、大正10年に弘田龍太郎が作曲したものが、現在歌われている。



雨降りお月さん
               作詞 野口雨情  作曲 中山晋平

1.雨降りお月さん
  雲の蔭

  お嫁にゆくときゃ
  誰とゆく

  ひとりで傘(からかさ)
  さしてゆく

  傘ないときゃ
  誰とゆく

  シャラ シャラ シャン シャン
  鈴つけた

  お馬にゆられて
  濡れてゆく

2.いそがにゃお馬よ
  夜が明けよう
  
  手綱の下から
  ちょいと見たりゃ

  お袖でお顔を
  隠してる

  お袖は濡れても
  干しゃ乾く

  雨降りお月さん
  雲の蔭

  お馬にゆられて
  ぬれてゆく

大正14年、野口雨情が42歳の時に書いたものだ。『コドモノクニ』1月号の臨時増刊に載ったものと3月号に発表した『雲の蔭』を、1番2番として合わせたものがこの『雨降りお月さん』だそうだ。茨城県北茨木市磯原に住む孫の不二子さんは「おばあさんが、“お輿入れの日が雨で、喜連川の実家から馬に乗りビショ濡れで二日もかかって・・、”と話していたのを思い出す」と語っている。


それからこの歌。作詞者も作曲者も、私には分からないが、よく歌った曲だ。うろ覚えと言うか、頭に残っている昔歌ったままを書いてみよう。知っている人も、いると思う。

雨が 雨が 降っている
聴いてご覧よ 音がする
ピチピチ パチャパチャ 音がする
ほら お池に降っている
金魚はどうしているかしら

雨にも金魚にもやさしいこの歌。どんな人が書いたのか、出来る事なら知りたいものだ。



雨の歌なんて、探せば、いや探さなくても随分あるんじゃないだろうか。私がよく覚えている雨の歌を、少し並べてみよう。年がバレバレだ。

雨の中の二人  橋幸夫

雨の慕情  八代亜紀

夕顔の雨  森昌子

長崎は今日も雨だった  クールファイブ

雨やどり  さだまさし

みずいろの雨  八神純子

雨の御堂筋  欧陽フィフィ


さあ、これはどうだ。

雨のブルース  淡谷のり子



テレビは、今環境問題を取り上げる上海の近況を、短時間、放映していた。

上海に限らず韓国もだが、食べきれない程出すのが持て成しだと思っていて、店でも注文は多めにするのが習いだ。けれど残飯が夥しく、毎日上海では1000トンもの生ゴミが出る始末だ。そこで、テーブルには「適量注文」と書いたカードを置いた。そして、「足りなければ追加を」とも書き添えている。店に入って来たお客には、店員が口頭でよびかけているそうだ。
残った食べ物を持ち帰れば、支払う時に15パーセントの割引をしてくれる。その差額は、市から店に支払われるようになっているそうだ。

もう一つは、一般に白熱灯が使用されているが、これを蛍光灯に換える事を提唱している。電力消費量を80パーセント抑えられると言うのだ。だが、白熱灯の10倍もの値段で、高くて手が出せない。そこで国と市が補助金を出し、蛍光灯5個までは、白熱灯と同じ値段で買えるようにしていると言う。

また、屋上緑化が進められ、ショッピングモールや学校の屋上で様々な取り組みがなされている。



世界中が、無駄が招いたつけを、今支払わされようとしている。いつの間にか贅沢になっていた私も、考えなければならない正念場に立たされた。電気を節約しよう。水やガスを大切に使おう。無駄なものは買うまい。リサイクルをしてみよう。だが、麻痺した頭は、そう簡単に質素倹約の道を歩かせてはくれない。こうなったら、強い信念で、意識改革をするしかない。そうでなくてもジリ貧になりつつある自分が、ガラスケースを覗くように分かるのだ。


この雨は、一体何を思いながら降り注いでいるのか。ずっと昔、そのまた昔、お金などなくても生きていける時代があった。それでいて心の豊かな時代が・・。そんな時代の、古い夢を語っているのだろうか。

雨はただ、その途轍もなく長い歴史を見つめながら、時にはやさしく、時には激しく降って来た。人の愚かしさを嘆きながら、それでも潤いを与えようと、今も頻りに降っている。