2009年10月5日(月)


裏磐梯の夜が明けた。8時に朝食を、1階の割りとオープンになっている食堂で食べた。9人揃ったが、皆和食の定食になっていた。

朝市があって、おばあさんが一隅にテーブルを置き、手広い商いをしている。柿やなめこなんかに混じってリンゴが置いてある。普通のもあるが、でかいリンゴが人目を引く。兎に角見た事もない大きさで、名前は知っていたが「世界一」と書いてある。1個600円だったかと思う。買うのは諦めた。

ガラスの器が6つ用意され、牛乳とオレンジジュース、それに桃のジュースが注がれた。皆そのガラスの容器からコップに注いで飲む。定食も美味かったが、このドリンクは格別だった。牛乳がまた美味いのだ。


加古川の義兄夫婦と娘は、そのまま暫くして帰途についた。この義兄のお蔭でいつも半額で利用出来る。それはそれはありがたい事なのである。


高知の義妹はもう一晩我々と過ごす事になっていたので、連れ合いと義妹は2人で郡山までレンタカーを借りに行った。車1台で6人は乗れないから、2台で観光する為だ。

私はちびっこ広場まで行ってみた。シーソー、ブランコ、滑り台があり、紅葉した木々が植えられていた。誰もいない静かな所だ。ベンチに腰を下ろし、徐に黒の手提げカバンからピンクとライトブルーが入り混じった吉塚の1Cを取り出した。「赤い花白い花」を吹く為だ。赤や黄色に燃えた葉っぱ一枚一枚に聴かせた。格好いいようだが、一昨日のリベンジと反省に過ぎない。それでも、吹き出すと、風もないのに4・5枚の葉が落ちて来る。偶然であるには違いないだろうけれど、何だか本当に聴いてくれたような気がした。

今度はイカロスを取り出し、「白鳥」を吹いた。もう酔っ払った赤い白鳥なんかではなかった。練習していた「宵待草」も吹いてみた。これは気分を出せる最高のメロディーだ。歌詞を頭に浮かべて吹くと、尚気分が高揚する。無伴奏で十分にやれる1曲だ。

そのうち2台の車が、戻って来た。11時を回っていただろう。孫と少しシーソーなどしてから分乗して、米沢へと向かった。

周りは針葉樹なので紅葉はしていない。暫く行くと桧原湖が目に入った。猪苗代湖なんかよりずっと小さいが、その清楚な美しさに暫し目を奪われていた。

西吾妻スカイバレーへと入って行った。とてもくねくねしたコースだったが、急に目に入った景色の紅葉は、暫く車を止めて見惚れていたい程だった。それでも止まれる場所を探しながら走る。やがて脇に逸れる所を見付け、満足の行く感動の半分の、目の前の紅葉した木々を見遣った。

すぐ出発した。すると、「ひろすけ」と刻まれた碑があり、降りて見ると童話作家浜田広介のものだった。小学生の1・2年生の頃、私の親が買ってくれた1冊の本が広介童話「ねずみと仙人」だった。色々な話が載っていて、今でも挿絵と共に思い出せる作品もある。この本はもう一度どこかで探して全部読んでみたいと思っている。「泣いた赤鬼」なんかは良く知られている話だろう。

少し感動を覚えながら白布峠辺りに差し掛かろうとすると、これぞ紅葉! と言わんばかりの光景に出くわした。何台もの車が止められ、正に感極まった吐息を漏らした人もいた。丁度吉野の千本桜を眺めているような感じだった。早速携帯で写した。しかし、その差は、月とスッポンだった。消去しても少しも惜しくない。どうしてこの美しさを留めてくれないのか。仕方がないので、心に刻む事にした。錦平の紅葉かどうかは分からない。

神戸はまだだが、神戸でももうじき見られると思うと、年間に2度体験出来る事など贅沢な部類に入るだろう。

白布峠は標高1404mとあったが、他にも色々違っていて定かではない。ここら辺に表示があって、「山形県米沢市」と書いてあった。ここから山形県である。福島県から山形県・・。何だかわくわくする。


米沢に至ると先ずは腹ごしらえ。米沢牛が売りの店はいくつかあったが、それだけでえらい高価だ。かと言ってリーズナブルで食べられる店も見当たらない。皆がお腹が空いたと言うので、上杉城史苑の食堂で食べる事にした。午後2時半は回っていたが、私は一向に空腹を感じないので、仕方なしである。風船は膨らむと軽くなると言うのに、私は膨らむと重くなる一方だ。

ハンバーグや肉重などがあったが、私はやっぱり米沢牛に惹かれ、ちょっとでも入っていると思われる「米沢牛入りメンチ焼カツ」にした。これは私だけだが、皆同じような値段だった。私のは1,520円だった。所が、全員と言っても6人だが、誰一人不満を言う者がいなかった。お子様ランチだって大人のハンバーグより小さいとは言え、同じ質のものが付いていた。海老フライなど随分大きなものが1尾付けられていて、余り食べない孫も喜んで完食した。値段は張ったが、内容が良いと高価な事は忘れるものだと思った。

上杉神社を見て、後は先ほどの食堂がある上杉城史苑(〒992-0052 米沢市丸の内1丁目1-22 TEL 0238-23-0700 FAX 0238-21-8252)の県内物産販売フロアで、悩んだ末にお菓子を買った。皇太子夫妻が食されたと謳ってあり、二人の写真まで添えてあった。色も綺麗だったし、つい。

米沢銘菓「しぐれの松」(米沢市松ケ岬2丁目 TEL 0238-23-0212)
「時雨乃松」は上杉鷹山公時代の創製にかゝり米沢特産「青畑大豆」を粉にしてこれに白砂糖と少量の水飴とを以て製造したるものにして其の特有の色彩は時雨季の緑翠滴るばかりの松の色を連想し時雨の松の名称をつけた米沢の銘菓であります。お茶席の菓子として賞味されております。

黄な粉の味がして私は美味しいと思ったが、誰も食べたい者がいなくて家に持ち帰り、私だけの迷菓となった。


上杉鷹山の銅像は何箇所かでお目にかかった。

鷹山は、困窮し崩壊寸前の藩を復興させた江戸時代髄一の名君として知られている。また米国35代大統領J.F.ケネディーが、政治家で最も尊敬する人物は上杉鷹山公であると述懐している。家臣に残したと言うこの和歌は、余りにも有名であろう。

「なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人のなさぬなりけり」


すぐ近くで「天地人博2009」をやっていた。もう5時前だし終わっていると思った。けれど、これも辛うじて入館出来た。パンフレットには「2009年大河ドラマ天地人 主人公直江兼続と米沢」と題して、こう記してあった。

兼続は樋口兼豊の長男として坂戸城下に生まれ、景勝の近習に選ばれました。景勝の信任厚く、重臣・直江家に婿入りし、上杉家の執政として軍事・外交・内政を掌握していきます。一方上杉氏を継いだ景勝は、豊臣政権下で五大老に列せられ、会津120万石を領します。しかし、秀吉の死後景勝主従は徳川家康に対抗し、関が原の合戦後、米沢30万石に減封されました。この米沢移封後も兼続に対する景勝の信任は変わらず、兼続は米沢城下の町割りや堤防・水路などの整備を指揮し、武芸の奨励、鉄砲の積極的導入、学問所「禅林文庫」の開設などを行い、城下町米沢の基礎を築きました。元和5年(1619年)に、60才で死去。墓所は兼続を生涯支え続けた糟糠の妻・お船の方とともに、当地米沢の林泉寺にあります。


こうして米沢城の跡を見て、再び裏磐梯ロイヤルホテルへ戻る事となる。

途中夕食を食べて帰る事になり、ドライブインに寄った。食べなくてもいいのだったら、外で待っていたかった。しかし、そううまく行く筈もない。私はラーメンを流し込んだ。もう元の体には戻らないと思った。オカリナを間違う以上の恐怖が、少しずつ芽生え初めていた。友情なんかだったらどんなに太っても構わないと思うのだが、益々食の孤独へと落ち込んで行くようだった。

ホテルに帰ると動くのが億劫になり、そのまま柔らかい布団の上に倒れ込んだ。