まだ金曜日だ。子供の声がする。学校へ行く途中の子供たちの声。いいものだなあ。元気になれそうだ。と言って、私は病気ではない!
一昨日は、随分前に自分で移調していた「トルコ行進曲」の、おかしいと思っていた所を直した。2ケ所もあった。♯(シャープ)を付けていたところの♯を外すと、中村紘子さんのピアノを聴きながら変だ変だと思っていた所が、ピアノを弾く音とオカリナの音とが同じメロディーになってホッとした。もう一つは、音符を一つだけ、3度下げたら解決した。
ドレミ楽譜出版社の「クラリネット独奏名曲集」(本体1000円+税)32・33頁に載っていたので、その部分を確認した。けれど、この楽譜をそのまま吹く気にはなれない。あの最後のクライマックス部分が載っていないし、繰り返しがなく、エキスだけが印刷されている。表紙をよく見ると、「クラリネット独奏名曲集」の前に<練習者のための>と言うのが付いていた。20・21頁の「エリーゼのために」はとってもいいと思う。
その名曲集に、コピーした楽譜が挟まれていた。「冬のソナタ」で流れていた曲・・。吹いてみると懐かしい。ぺ・ヨンジュンとチェ・ジウの顔が蘇ってくる。「最初から今まで」と「My memory」だ。特に「My memory」の出だしがよく考えられているし、郷愁を誘うものがある。ソからミに駆け上がる。レもシから上がるこのメロディー、「ソミシレードソー」・・。どこかで、一度は演奏してみたい曲だ。不滅のヨン様ファンが、涙を流して聴いてくれることだろう。
また、逸れたんじゃあないかな? お見逸れ致しました!
ブログも毎日書くなんて愚かな事は止め、気負いを捨て、本来の自然な男前に戻ろうと思う。「毎日書く」のが身上だったが、寄る年波に勝てず・・、あっ、これは違うか! 青春真っ只中なんだもんなあ。
旅に出た時のことを考えると、ブログ書きながらではいい旅は出来ないことが、前々から分かっている。2、3日なら2、3日分を後から書く事も出来るだろうが、「12日間のイタリアへの旅」なんかに出た日にゃあ、それは無理と言うものだ。旅寄稿者じゃないんだから。
何だかんだ言っても(韓国ではモニモニヘドと言う)、つまりは、明日から3日間九州の大分県に行くので、ブログが書けない理由を書いたまでだ。暫く会えない。元々会ってはいない。でも、ブログで出会った人達と全部会っていたらどうなんだろう? 芸能人だ!
だから、私が帰るまで、度々覗いたり、ファンになっていたり、コメントを書いて遊んでいたりしていて欲しい。そのため、ここで終わるのは休むにしては短過ぎるので、韓国の詩を載せておきたいと思う。何で韓国か? 最もな質問だ。
4月にラジオ講座を聴くことにして、韓国語、中国語、イタリア語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語のテキストを買ったのだ。でも大体3日でリタイアー(並べ替えるとイタリアだ)。残ったのがイタリア語(オカリナの発祥の地ブドリオ村に行ってみたい一心で)だったが4月一杯で終わり、「チャオ!」・・、12年間ずっと聴いて来た韓国語(ハングル)が、ここに不動の座を占めていたからだ。
12年は凄い! とすぐ思うだろう。言葉だけで判断する悪い? 癖があるのと、年数等で圧倒されてしまう思い込みがあるからだ。言葉だけならどうにでも言える。年数が長いのは、いくら聴いても覚えられないからだ。本人は苛立ちさえ覚えていると言うのに。要は、実態を知らなければ駄目なのだ。
ブログでは、オカリナがプロ並みだとか大家だとか言われたり思われたりしているが、それも大違いだ。こう書くと、またそれは嘘だとか謙遜しているとか言う男と、それを信じている(最近は私の言葉を信じてくれるようになったと思いたい)女がいる。どちらも尊敬しているので、こう言う文の使い方は良くないと思うけれど、文章にすると、そう書く方が読み易く面白い事があるので、敬語を省略した。また、そう書いても分かる人達だから許してくれると思う。先ず、自分の事だとピンと来た人が以上の条件を兼ね備えている。
私は小学校6年生の時、オカリナと出会った。こう書いただけで勝手に凄い等と思い込んでしまうだろう。だけど、ずうっと吹いた事もなく、オカリナをやりたいと思って始めたのは、人生枯れ始めた頃から遡り16年前。ええっ! ここなのだ。16年に騙されている。16年間毎日8時間ずつ練習して来たのなら凄いと言って欲しい。ただ、年だけが虚しく過ぎただけなのだ。そして、年数など私に取って何の勲章にもならないのだ、と言うことを理解願いたい。だから、1年だけで凄く上手くなる人もいる。
ありゃー、韓国の詩を載せないと・・。私と3日間も離れて、寂しがる人がいると困るので。
韓国では、詩は素晴らしいものだと思われていて、多くの人が鑑賞したり暗唱したりしている。日本とは、ちょっと違うか。
朴寅煥(パク・インファン)<1926~1956>の詩で、「まいにちハングル講座(9月)」のテキスト、84・85頁から引用している。訳者は、講師の張銀英(チャン・ウニョン)先生だ。
パク・インファンについてはこう書かれている。
「1950年代のモダニズムの代表的な詩人として注目される。『歳月が過ぎれば』は1956年に即興で書かれ、居合わせた友人がその場で作曲したという逸話があり、その歌はいまでも広く歌われる。センチメンタルな言葉の根底には戦争の傷やその時代の喪失感が色濃く感じられる。」
と。
それでは、このハングルをカタカナで書くので、口に出して読み、韓国語の響きを感じて貰えたらと思う。カタカナでは正しい発音にはならないが、略そんな感じと言うことで。最後に、チャン・ウニョン先生の訳を書いておきたい。
セウォリ カミョン - パク・インファン -
チグム ク サラメ イルムン イジョッチマン
クエ ヌントンチャ イプスルン
ネ カスメ イッソ.
パラミ プルゴ
ピガ オル テロ
ナヌン チョ ユリチャン パッ
カロトゥン クヌレ パムル イッチ モッタジ
サランウン カゴ
カゴヌン ナムン ゴッ
ヨルムナレ ホスッカ
カウレ コンウォン
ク ベンチ ウイエ
ナムニップン トロジゴ
ナムニップン フルギ テゴ
ナムニッペ トッピョソ
ウリルル サランイ サラジンダ ヘド
チグム ク サラム イルムン イジョッチマン
クエ ヌントンチャ イップスルン
ネ カスメ イッソ
ネ ソヌラン カスメ イッコンマン
歳月が過ぎれば - パク・インファン -
もうあの人の名は忘れたのに
あの人の瞳 唇は
私の胸の中にある。
風が吹き
雨が降るときも
私はあの窓ガラスの外
街灯の陰の夜を忘れられない
愛は過ぎ
過去は残るもの
夏の湖畔
秋の公園
そのベンチの上に
木の葉が落ち
木の葉は土になり
木の葉に覆われ
私たちの愛が消え去っても
もうあの人の名は忘れたのに
あの人の瞳 唇は
私の胸の中にある
私の冷えた胸の中にあるのに
(訳:チャン・ウニョン)
チグム ク サラメ イルムン イジョチマン
クエ ヌントンチャ イップスルン
ネ カスメ イッソ.
もうあの人の名は忘れたのに
あの人の瞳 唇は
私の胸の中にある。
チャン・ウニョン先生の訳は、とても綺麗だ。学習の為にも直訳してあるから、読み手の想像力を掻き立てる。私が意訳して遊んでみると、こうなった。
最早その人の名前は忘れてしまった。
けれどその瞳と唇は
私の心の中で息づいている。
意訳は、いくらでも考えられるから、その訳者の心情までもが見え隠れする。詩人の真意を汲んだものならいいが、そうでないと真実が伝わらなくなる恐れがあるから怖い。
「ある」だけだったものが「息づいている」「悶える」「苦しんでいる」「もがいている」「生き続けている」等になったら、読者はその訳文に縛られることになるだろう。
「風と共に去りぬ」(マーガレット・ミッチェル作)の分厚い原本の最後の部分だけ見たことがある。高校生の時だった。二人の訳者が全く違った訳をしていたので、原文ではどうなっているかの単純な好奇心からだった。
もう古い記憶で間違っていると思うが、スカーレットが「私はどうしたらいい?」とレットに訊いた時、レットは振り向き、最後のせりふを残して去って行く。
“Frankly,my dear,I don’t give a damn.” (知らないね、勝手にするがいい)。
これを直訳すると、「率直に、可愛い人、私は呪いの言葉を与えない」となる。二人の関係はもう元には戻らないが、レットは最後までこんな言葉を使いながらも、憎らしいくらい優しい。「ほんとに、お前を呪ったりしないから・・」と中間的に訳してみると、それが分かる。
さて、「明日はまた明日の風が吹くのだ」と言う訳と「明日はまた明日の陽が昇るのだ」と言う訳の原文は一体どうなっているのかと・・。「明日のことは明日、タラに帰って考えよう」と言ったすぐ後のせりふだ。
それは、
“After all,tomorrow is another day.”
となっていた。
完全に意訳されていた訳だ。「風」が好みの人と「陽」が好みの人に分かれる。他の言葉も可能なのだ。非常に簡単な言葉だが、寧ろこのまま訳した方がいいのではないかと思ったりする。
「結局、明日は別の日なのだから。」
GONE WITH THE WIND
ビビアン・リーとクラーク・ゲーブル主演のアカデミー賞10部門を受賞したこの映画は、思い出しただけでも鳥肌が立つ。二人は、この映画の為に生まれて来た格別の寵児ではなかったかと思う。
そう言えば、「お茶の出涸らし」は何と言うか昔に調べた事があった。これには苦笑した。“old tea”と書いてあったからだ。きっと紅茶と同じように考えたのだろう。しっかりと出涸らしを見て、その通り見たままを単語にしたのだと思った。
一昨日は、随分前に自分で移調していた「トルコ行進曲」の、おかしいと思っていた所を直した。2ケ所もあった。♯(シャープ)を付けていたところの♯を外すと、中村紘子さんのピアノを聴きながら変だ変だと思っていた所が、ピアノを弾く音とオカリナの音とが同じメロディーになってホッとした。もう一つは、音符を一つだけ、3度下げたら解決した。
ドレミ楽譜出版社の「クラリネット独奏名曲集」(本体1000円+税)32・33頁に載っていたので、その部分を確認した。けれど、この楽譜をそのまま吹く気にはなれない。あの最後のクライマックス部分が載っていないし、繰り返しがなく、エキスだけが印刷されている。表紙をよく見ると、「クラリネット独奏名曲集」の前に<練習者のための>と言うのが付いていた。20・21頁の「エリーゼのために」はとってもいいと思う。
その名曲集に、コピーした楽譜が挟まれていた。「冬のソナタ」で流れていた曲・・。吹いてみると懐かしい。ぺ・ヨンジュンとチェ・ジウの顔が蘇ってくる。「最初から今まで」と「My memory」だ。特に「My memory」の出だしがよく考えられているし、郷愁を誘うものがある。ソからミに駆け上がる。レもシから上がるこのメロディー、「ソミシレードソー」・・。どこかで、一度は演奏してみたい曲だ。不滅のヨン様ファンが、涙を流して聴いてくれることだろう。
また、逸れたんじゃあないかな? お見逸れ致しました!
ブログも毎日書くなんて愚かな事は止め、気負いを捨て、本来の自然な男前に戻ろうと思う。「毎日書く」のが身上だったが、寄る年波に勝てず・・、あっ、これは違うか! 青春真っ只中なんだもんなあ。
旅に出た時のことを考えると、ブログ書きながらではいい旅は出来ないことが、前々から分かっている。2、3日なら2、3日分を後から書く事も出来るだろうが、「12日間のイタリアへの旅」なんかに出た日にゃあ、それは無理と言うものだ。旅寄稿者じゃないんだから。
何だかんだ言っても(韓国ではモニモニヘドと言う)、つまりは、明日から3日間九州の大分県に行くので、ブログが書けない理由を書いたまでだ。暫く会えない。元々会ってはいない。でも、ブログで出会った人達と全部会っていたらどうなんだろう? 芸能人だ!
だから、私が帰るまで、度々覗いたり、ファンになっていたり、コメントを書いて遊んでいたりしていて欲しい。そのため、ここで終わるのは休むにしては短過ぎるので、韓国の詩を載せておきたいと思う。何で韓国か? 最もな質問だ。
4月にラジオ講座を聴くことにして、韓国語、中国語、イタリア語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語のテキストを買ったのだ。でも大体3日でリタイアー(並べ替えるとイタリアだ)。残ったのがイタリア語(オカリナの発祥の地ブドリオ村に行ってみたい一心で)だったが4月一杯で終わり、「チャオ!」・・、12年間ずっと聴いて来た韓国語(ハングル)が、ここに不動の座を占めていたからだ。
12年は凄い! とすぐ思うだろう。言葉だけで判断する悪い? 癖があるのと、年数等で圧倒されてしまう思い込みがあるからだ。言葉だけならどうにでも言える。年数が長いのは、いくら聴いても覚えられないからだ。本人は苛立ちさえ覚えていると言うのに。要は、実態を知らなければ駄目なのだ。
ブログでは、オカリナがプロ並みだとか大家だとか言われたり思われたりしているが、それも大違いだ。こう書くと、またそれは嘘だとか謙遜しているとか言う男と、それを信じている(最近は私の言葉を信じてくれるようになったと思いたい)女がいる。どちらも尊敬しているので、こう言う文の使い方は良くないと思うけれど、文章にすると、そう書く方が読み易く面白い事があるので、敬語を省略した。また、そう書いても分かる人達だから許してくれると思う。先ず、自分の事だとピンと来た人が以上の条件を兼ね備えている。
私は小学校6年生の時、オカリナと出会った。こう書いただけで勝手に凄い等と思い込んでしまうだろう。だけど、ずうっと吹いた事もなく、オカリナをやりたいと思って始めたのは、人生枯れ始めた頃から遡り16年前。ええっ! ここなのだ。16年に騙されている。16年間毎日8時間ずつ練習して来たのなら凄いと言って欲しい。ただ、年だけが虚しく過ぎただけなのだ。そして、年数など私に取って何の勲章にもならないのだ、と言うことを理解願いたい。だから、1年だけで凄く上手くなる人もいる。
ありゃー、韓国の詩を載せないと・・。私と3日間も離れて、寂しがる人がいると困るので。
韓国では、詩は素晴らしいものだと思われていて、多くの人が鑑賞したり暗唱したりしている。日本とは、ちょっと違うか。
朴寅煥(パク・インファン)<1926~1956>の詩で、「まいにちハングル講座(9月)」のテキスト、84・85頁から引用している。訳者は、講師の張銀英(チャン・ウニョン)先生だ。
パク・インファンについてはこう書かれている。
「1950年代のモダニズムの代表的な詩人として注目される。『歳月が過ぎれば』は1956年に即興で書かれ、居合わせた友人がその場で作曲したという逸話があり、その歌はいまでも広く歌われる。センチメンタルな言葉の根底には戦争の傷やその時代の喪失感が色濃く感じられる。」
と。
それでは、このハングルをカタカナで書くので、口に出して読み、韓国語の響きを感じて貰えたらと思う。カタカナでは正しい発音にはならないが、略そんな感じと言うことで。最後に、チャン・ウニョン先生の訳を書いておきたい。
セウォリ カミョン - パク・インファン -
チグム ク サラメ イルムン イジョッチマン
クエ ヌントンチャ イプスルン
ネ カスメ イッソ.
パラミ プルゴ
ピガ オル テロ
ナヌン チョ ユリチャン パッ
カロトゥン クヌレ パムル イッチ モッタジ
サランウン カゴ
カゴヌン ナムン ゴッ
ヨルムナレ ホスッカ
カウレ コンウォン
ク ベンチ ウイエ
ナムニップン トロジゴ
ナムニップン フルギ テゴ
ナムニッペ トッピョソ
ウリルル サランイ サラジンダ ヘド
チグム ク サラム イルムン イジョッチマン
クエ ヌントンチャ イップスルン
ネ カスメ イッソ
ネ ソヌラン カスメ イッコンマン
歳月が過ぎれば - パク・インファン -
もうあの人の名は忘れたのに
あの人の瞳 唇は
私の胸の中にある。
風が吹き
雨が降るときも
私はあの窓ガラスの外
街灯の陰の夜を忘れられない
愛は過ぎ
過去は残るもの
夏の湖畔
秋の公園
そのベンチの上に
木の葉が落ち
木の葉は土になり
木の葉に覆われ
私たちの愛が消え去っても
もうあの人の名は忘れたのに
あの人の瞳 唇は
私の胸の中にある
私の冷えた胸の中にあるのに
(訳:チャン・ウニョン)
チグム ク サラメ イルムン イジョチマン
クエ ヌントンチャ イップスルン
ネ カスメ イッソ.
もうあの人の名は忘れたのに
あの人の瞳 唇は
私の胸の中にある。
チャン・ウニョン先生の訳は、とても綺麗だ。学習の為にも直訳してあるから、読み手の想像力を掻き立てる。私が意訳して遊んでみると、こうなった。
最早その人の名前は忘れてしまった。
けれどその瞳と唇は
私の心の中で息づいている。
意訳は、いくらでも考えられるから、その訳者の心情までもが見え隠れする。詩人の真意を汲んだものならいいが、そうでないと真実が伝わらなくなる恐れがあるから怖い。
「ある」だけだったものが「息づいている」「悶える」「苦しんでいる」「もがいている」「生き続けている」等になったら、読者はその訳文に縛られることになるだろう。
「風と共に去りぬ」(マーガレット・ミッチェル作)の分厚い原本の最後の部分だけ見たことがある。高校生の時だった。二人の訳者が全く違った訳をしていたので、原文ではどうなっているかの単純な好奇心からだった。
もう古い記憶で間違っていると思うが、スカーレットが「私はどうしたらいい?」とレットに訊いた時、レットは振り向き、最後のせりふを残して去って行く。
“Frankly,my dear,I don’t give a damn.” (知らないね、勝手にするがいい)。
これを直訳すると、「率直に、可愛い人、私は呪いの言葉を与えない」となる。二人の関係はもう元には戻らないが、レットは最後までこんな言葉を使いながらも、憎らしいくらい優しい。「ほんとに、お前を呪ったりしないから・・」と中間的に訳してみると、それが分かる。
さて、「明日はまた明日の風が吹くのだ」と言う訳と「明日はまた明日の陽が昇るのだ」と言う訳の原文は一体どうなっているのかと・・。「明日のことは明日、タラに帰って考えよう」と言ったすぐ後のせりふだ。
それは、
“After all,tomorrow is another day.”
となっていた。
完全に意訳されていた訳だ。「風」が好みの人と「陽」が好みの人に分かれる。他の言葉も可能なのだ。非常に簡単な言葉だが、寧ろこのまま訳した方がいいのではないかと思ったりする。
「結局、明日は別の日なのだから。」
GONE WITH THE WIND
ビビアン・リーとクラーク・ゲーブル主演のアカデミー賞10部門を受賞したこの映画は、思い出しただけでも鳥肌が立つ。二人は、この映画の為に生まれて来た格別の寵児ではなかったかと思う。
そう言えば、「お茶の出涸らし」は何と言うか昔に調べた事があった。これには苦笑した。“old tea”と書いてあったからだ。きっと紅茶と同じように考えたのだろう。しっかりと出涸らしを見て、その通り見たままを単語にしたのだと思った。