午前中、やっとの思いで昨日のブログを書いて、オカリナの通し練習をしてから風呂に入り、お昼12時半過ぎに家を出た。1時半音出しをするからだ。
長田公民館で、年間15回ある「リフレッシュセミナー」の8回目、サマーコンサートに出演するためだ。
始まりは2時からで、第1部は、兵庫中学校吹奏楽部の演奏だった。27人で男子は2人いたように思う。これがなかなかいい演奏をする。どこでかは聞き漏らしたが、金賞を取ったと言っていた。どこにしても、大したもんだ。プログラムの順番の変更があり、
蕾(コブクロ)
島唄(THE BOOM)
演歌メドレー
日本の情景・夏
と進んで、最後はみんなで歌う「ふるさと」だった。演歌の「北国の春」など、このまま歌わせて欲しかった位だし、千昌夫のバックでも行けそうな気がした。私のオカリナも帰らず聴いてくれたのに、良かったの一言も言葉をかけなくて、申し訳ない気がしている。すっかり頭から抜けていた。このブログ、見てないだろうな。見てないな。見る訳ないか。
私の演奏さえなかったら、2時間位聴いてもよかった。
おじいちゃん、おばあちゃんが多いようだったが、若い? 主婦もいたと思う。約60人に中学生27人。お陰で90人程の人が聴いてくれたことになる。
週に1度位の演奏ペースだと慣れて来るのだろうが、たまにだから、演奏要領とか選曲に困ることがある。ここ長田公民館は、2階に体育館仕様のスペースを持っていて凄いと思うが、余りにも響きすぎるので、音が思うように透き通らない。また、持ち込みのデッキにMDでの伴奏なので、その音の調整などがうまく出来なかったために、あとで後悔する羽目になった。もっとよく聴いて欲しかったと思うので・・。
音響はとても大切だ。また一つ、いい勉強をした。これだったら、マイクを通さないで、生で演奏した方が良かったかも知れない。プロと比べたってしょうがないが、プロの一番拘る部分でもある。今度から気を付けよう。
演奏曲目は、
浜辺の歌
早春賦
ボレロ
千の風になって
白鳥
母さんの歌
崖の上のポニョ
の7曲だった。
湿っぽい曲がずっと続いたので、最後はポニョ。小さな女の子が、私の曲に合わせながら可愛い手を動かしていた。いい顔をして、動作を続けている。オカリナを吹きながら、何度その子を見ただろう。みんなは、初めから手拍子をしていた。「崖の上のポニョ」は、ブームが去ったとは言え、やっぱり楽しく、元気の出る曲だ。「千の風になって」と共に、吹き継いで行きたいと感じた。
今までの私なら、ちょっとでも間違ったり気になったりしても悔やむことがあったが、今は余程の事がない限り、何とも思わなくなった。明らかに指がおかしかった所が2ケ所あったのに、特になんとも思わない。図々しくなったのか、年を取ったのか、ライブで間違うのは当たり前と思うようになったのか・・。
と言っても、確実な音を出したい、ゆとりを持って吹きたい、感動して貰いたい、と言う夢を捨てた訳ではない。
今ほんとに思うのは、プロとの隔たりである。近づくと思っていたものが、だんだん遠くなる。大きな溝が出来つつある。プロのように吹きたいと思ってやって来たことは、所詮幻だったのか。40数本のオカリナが泣いている。他人は笑っている。
同じ人間なのに、どうしてプロはこんなに凄いのか。正確に、ダイナミックに繊細に、人の心に安々と入り込む。
甘い。私の考えや行動や練習や構成や目標が、余りにもお粗末だ。文化ホールから、フェスティバルで演奏した曲がMDになって戻って来た。人からは良かったと言って貰ったものが、とても聴けたものではない。ピアノの美しさだけが残る。たった一つの救いは、このピアノの素晴らしさだった。プロは、音楽理論を持ちながら、若年の頃より研鑽を積んでいる。比べられる訳がないではないか。
虎になりたかった猫。私は猫である事に気付かなかった。虎になるためには、虎の子として生まれていなければならなかった。ブログを見ている人も、一緒に落ち込んで貰っては困る。私は思っているのだ、虎になれないのだったら、猫の大将になろうと。
私が、凄く落ち込んでいるなどとは思わないで欲しい。まだ、一縷の望みを持っているからだ。本当に猫の子なのだろうかと言う、淡い望みをまだ持っている。11月7日は、これらの曲に輪をかけて演奏曲が増える。そこでもう一度、自分を見極めたらいいと思う。
決して自分を責めたりはしていない。自分の人生で最後に見つけたのがオカリナだったから。しがみついているのがオカリナだから。今日はブログを書き過ぎたのだ。
長田公民館で、年間15回ある「リフレッシュセミナー」の8回目、サマーコンサートに出演するためだ。
始まりは2時からで、第1部は、兵庫中学校吹奏楽部の演奏だった。27人で男子は2人いたように思う。これがなかなかいい演奏をする。どこでかは聞き漏らしたが、金賞を取ったと言っていた。どこにしても、大したもんだ。プログラムの順番の変更があり、
蕾(コブクロ)
島唄(THE BOOM)
演歌メドレー
日本の情景・夏
と進んで、最後はみんなで歌う「ふるさと」だった。演歌の「北国の春」など、このまま歌わせて欲しかった位だし、千昌夫のバックでも行けそうな気がした。私のオカリナも帰らず聴いてくれたのに、良かったの一言も言葉をかけなくて、申し訳ない気がしている。すっかり頭から抜けていた。このブログ、見てないだろうな。見てないな。見る訳ないか。
私の演奏さえなかったら、2時間位聴いてもよかった。
おじいちゃん、おばあちゃんが多いようだったが、若い? 主婦もいたと思う。約60人に中学生27人。お陰で90人程の人が聴いてくれたことになる。
週に1度位の演奏ペースだと慣れて来るのだろうが、たまにだから、演奏要領とか選曲に困ることがある。ここ長田公民館は、2階に体育館仕様のスペースを持っていて凄いと思うが、余りにも響きすぎるので、音が思うように透き通らない。また、持ち込みのデッキにMDでの伴奏なので、その音の調整などがうまく出来なかったために、あとで後悔する羽目になった。もっとよく聴いて欲しかったと思うので・・。
音響はとても大切だ。また一つ、いい勉強をした。これだったら、マイクを通さないで、生で演奏した方が良かったかも知れない。プロと比べたってしょうがないが、プロの一番拘る部分でもある。今度から気を付けよう。
演奏曲目は、
浜辺の歌
早春賦
ボレロ
千の風になって
白鳥
母さんの歌
崖の上のポニョ
の7曲だった。
湿っぽい曲がずっと続いたので、最後はポニョ。小さな女の子が、私の曲に合わせながら可愛い手を動かしていた。いい顔をして、動作を続けている。オカリナを吹きながら、何度その子を見ただろう。みんなは、初めから手拍子をしていた。「崖の上のポニョ」は、ブームが去ったとは言え、やっぱり楽しく、元気の出る曲だ。「千の風になって」と共に、吹き継いで行きたいと感じた。
今までの私なら、ちょっとでも間違ったり気になったりしても悔やむことがあったが、今は余程の事がない限り、何とも思わなくなった。明らかに指がおかしかった所が2ケ所あったのに、特になんとも思わない。図々しくなったのか、年を取ったのか、ライブで間違うのは当たり前と思うようになったのか・・。
と言っても、確実な音を出したい、ゆとりを持って吹きたい、感動して貰いたい、と言う夢を捨てた訳ではない。
今ほんとに思うのは、プロとの隔たりである。近づくと思っていたものが、だんだん遠くなる。大きな溝が出来つつある。プロのように吹きたいと思ってやって来たことは、所詮幻だったのか。40数本のオカリナが泣いている。他人は笑っている。
同じ人間なのに、どうしてプロはこんなに凄いのか。正確に、ダイナミックに繊細に、人の心に安々と入り込む。
甘い。私の考えや行動や練習や構成や目標が、余りにもお粗末だ。文化ホールから、フェスティバルで演奏した曲がMDになって戻って来た。人からは良かったと言って貰ったものが、とても聴けたものではない。ピアノの美しさだけが残る。たった一つの救いは、このピアノの素晴らしさだった。プロは、音楽理論を持ちながら、若年の頃より研鑽を積んでいる。比べられる訳がないではないか。
虎になりたかった猫。私は猫である事に気付かなかった。虎になるためには、虎の子として生まれていなければならなかった。ブログを見ている人も、一緒に落ち込んで貰っては困る。私は思っているのだ、虎になれないのだったら、猫の大将になろうと。
私が、凄く落ち込んでいるなどとは思わないで欲しい。まだ、一縷の望みを持っているからだ。本当に猫の子なのだろうかと言う、淡い望みをまだ持っている。11月7日は、これらの曲に輪をかけて演奏曲が増える。そこでもう一度、自分を見極めたらいいと思う。
決して自分を責めたりはしていない。自分の人生で最後に見つけたのがオカリナだったから。しがみついているのがオカリナだから。今日はブログを書き過ぎたのだ。