神戸オカリナの祭典が終わった。
2日間の大祭典だった。
僅か6分にかける情熱の維持は、1年間継続しなければならなかった。
「鳥の歌」はカタロニア地方の民謡「鳥の歌」をパブロ・カザルスが編曲したものだ。チェロの巨匠はこの歌をこよなく愛した。
カザルスは1898年ウィリアム・マッキンレー大統領(第25代)主催のレセプションで演奏し、1904年にはセオドア・ルーズベルト大統領(第26代)のためにホワイトハウスで演奏している。
1961年11月13日にはホワイトハウスで演奏しているが、その時はJ.Fケネディ大統領(第34代)に招聘されたものだ。各界紳士淑女と共にレナード・バーンスタイン、ユージン・オーマンディなどの指揮者や作曲家たちが賓客として招かれている。シューマンもいた。
この「鳥の歌」は最後に演奏され、85才だったカザルスの、祈りにも似た歌声がCDを聴くと時たま聞こえる。私には、オカリナで吹けるような曲ではないと思った。けれど演奏してみたい。そのため、カザルスの心を何度も聴こうとした。火山久さんの「鳥の歌」を聴いてみたかったが、CDは手に入らず、私なりの考えになった。ティアーモの黒陶C1(プロ仕様のソプラノC)が祈りを捧げた。
私のオカリナを支えてくれたのは、ピアニストのSSさんだった。私には勿体無い位の伴奏をしてくれる。SSさんがいなかったら、フェスティバルでの2曲は演奏していなかっただろうし、演奏出来なかった。
「白鳥」は、カミーユ・サン=サーンスの組曲「動物の謝肉祭」の第13曲である。元々が文字通り謝肉祭で上演される仮装大会のために書かれた曲で、この「白鳥」の美しさは一際会衆の心を奪ったのではないかと思われる。
私は昔からこの曲が好きだった。オカリナでも吹きたかったが音域が足りなく、大体のクラシックはオカリナでは演奏出来ないものだと諦めていた。ところが3連のオカリナ「イカロス」が手に入ってからは、その道が開けた。けれど、扱い方は尋常ではなかった。
文化ホールでは、難しくても「白鳥」を演奏すると決めた。ピアノとチェロでの演奏が多いが、フルートやヴァイオリンでも演奏する。私はフルート奏者パトリック・ガロワのCDを聴き、音程がオカリナと一致するところがあり、これを手本とした。音質、肺活量、息継ぎが同じではなく、当然表現に大きな違いが出た。最も大きな違いは、カリスマとも言われるプロ、ガロワの演奏である。方やろくに「イカロス」を吹くことさえ出来ないずぶの素人である、私。
繊細で豊かでスローテンポの「白鳥」。息遣いがとても難しい。ゆっくり過ぎて、心臓の鼓動とビブラートが噛み合わないことがあると途端に、息が残っていても苦しくなったりする。何度も駄目かも知れないと思った。
感情移入は、好きなヴァイオリニスト千住真理子さんのCDからも学んだ。どちらからもの決定的な違いは滑らかさと強弱だった。「イカロス」は、3連の指遣いと吹き口の移動を素早く行わないと滑らかにはならない。高音の処理も問題だった。私の場合、強弱は論外だ。
ピアニストSSさんからは伸ばす部分のタイミングを教えて貰った。
練習する度に違う音。テンポ。出だしの音の狂い。・・それは私の出番での一発勝負を意味する。緊張もするが、開き直りの瞬間でもある。ここで大切なのは、雑念を払い集中することだけだ。兎に角安易な失敗は許されなかった。
ピアニストSSさんとの出会いなどに就いては、またの機会に譲ろうと思うが、この人がいなければ、少なくとも今回の「鳥の歌」と「白鳥」は演奏されなかった。それだけ私にとっては大きな存在である。脳ある鷹は爪を隠すと言うが、例えは少し厳ついにしても、その紡ぎだす音や技術や心の素晴らしさは、聴く人から返ってくる言葉でも分かる。私より先にピアノを褒める人がいるが、私は寧ろその事の方が嬉しい。こんなに素敵な人に伴奏をして貰っているのだ、と言うことに。
一つだけ私の携帯に送られて来た文の一部を抜いておこう。
「・・あのピアノの方、最高に素晴らしいですね!! 繊細で美しい音色を引き出しながら、○○さんの演奏にピッタリ合わせて弾いていらっしゃいましたね。初めて聴きましたが、感動しました!」。その後で付け足しのように、私への心遣いが見られる。(笑)
次に来た返信に、
「・・また、オカリナ聴きたいです♪。もちろん、あのピアニストの方の伴奏で。・・」
とあった。
ピアノを弾く人の数は限りない。けれどその中で、誰と出会えるかが重要だ。誰でもいい訳ではない。なかなか言葉で言い表すことは難しいが、その素敵な人が、私のオカリナの伴奏をしてくれることにある。プロの歌い手やフルートやヴァイオリンの伴奏もして来たにも拘わらず、である。
私は不思議な出会いであると共に、縁があったと捉えている。心が通うところに互いに思いやりが生まれ、音が響きあうことを始めるのだ。
「素晴らしい! 感動したわ~」
と、一緒に聴いてくれていた人が言っていたそうだ。
何人かは分からないが、この人たちは和太鼓の練習日で、ちょっと抜け出し、私たち(オカリナとピアノ)の演奏を聴いてくれたのだ。その後すぐ練習に戻ったと言っていた。
「素晴らしかった」「感動した」「鳥肌が立った」、これらの褒め言葉は色々な所で聞く言葉だ。それをこんなところで聞くとは思わなかった。淡々と、一夏が終わったと感じただけだったのに。
この嬉しい言葉は、SSさんに、信頼できるピアニストSSさんに捧げよう。
2日間の大祭典だった。
僅か6分にかける情熱の維持は、1年間継続しなければならなかった。
「鳥の歌」はカタロニア地方の民謡「鳥の歌」をパブロ・カザルスが編曲したものだ。チェロの巨匠はこの歌をこよなく愛した。
カザルスは1898年ウィリアム・マッキンレー大統領(第25代)主催のレセプションで演奏し、1904年にはセオドア・ルーズベルト大統領(第26代)のためにホワイトハウスで演奏している。
1961年11月13日にはホワイトハウスで演奏しているが、その時はJ.Fケネディ大統領(第34代)に招聘されたものだ。各界紳士淑女と共にレナード・バーンスタイン、ユージン・オーマンディなどの指揮者や作曲家たちが賓客として招かれている。シューマンもいた。
この「鳥の歌」は最後に演奏され、85才だったカザルスの、祈りにも似た歌声がCDを聴くと時たま聞こえる。私には、オカリナで吹けるような曲ではないと思った。けれど演奏してみたい。そのため、カザルスの心を何度も聴こうとした。火山久さんの「鳥の歌」を聴いてみたかったが、CDは手に入らず、私なりの考えになった。ティアーモの黒陶C1(プロ仕様のソプラノC)が祈りを捧げた。
私のオカリナを支えてくれたのは、ピアニストのSSさんだった。私には勿体無い位の伴奏をしてくれる。SSさんがいなかったら、フェスティバルでの2曲は演奏していなかっただろうし、演奏出来なかった。
「白鳥」は、カミーユ・サン=サーンスの組曲「動物の謝肉祭」の第13曲である。元々が文字通り謝肉祭で上演される仮装大会のために書かれた曲で、この「白鳥」の美しさは一際会衆の心を奪ったのではないかと思われる。
私は昔からこの曲が好きだった。オカリナでも吹きたかったが音域が足りなく、大体のクラシックはオカリナでは演奏出来ないものだと諦めていた。ところが3連のオカリナ「イカロス」が手に入ってからは、その道が開けた。けれど、扱い方は尋常ではなかった。
文化ホールでは、難しくても「白鳥」を演奏すると決めた。ピアノとチェロでの演奏が多いが、フルートやヴァイオリンでも演奏する。私はフルート奏者パトリック・ガロワのCDを聴き、音程がオカリナと一致するところがあり、これを手本とした。音質、肺活量、息継ぎが同じではなく、当然表現に大きな違いが出た。最も大きな違いは、カリスマとも言われるプロ、ガロワの演奏である。方やろくに「イカロス」を吹くことさえ出来ないずぶの素人である、私。
繊細で豊かでスローテンポの「白鳥」。息遣いがとても難しい。ゆっくり過ぎて、心臓の鼓動とビブラートが噛み合わないことがあると途端に、息が残っていても苦しくなったりする。何度も駄目かも知れないと思った。
感情移入は、好きなヴァイオリニスト千住真理子さんのCDからも学んだ。どちらからもの決定的な違いは滑らかさと強弱だった。「イカロス」は、3連の指遣いと吹き口の移動を素早く行わないと滑らかにはならない。高音の処理も問題だった。私の場合、強弱は論外だ。
ピアニストSSさんからは伸ばす部分のタイミングを教えて貰った。
練習する度に違う音。テンポ。出だしの音の狂い。・・それは私の出番での一発勝負を意味する。緊張もするが、開き直りの瞬間でもある。ここで大切なのは、雑念を払い集中することだけだ。兎に角安易な失敗は許されなかった。
ピアニストSSさんとの出会いなどに就いては、またの機会に譲ろうと思うが、この人がいなければ、少なくとも今回の「鳥の歌」と「白鳥」は演奏されなかった。それだけ私にとっては大きな存在である。脳ある鷹は爪を隠すと言うが、例えは少し厳ついにしても、その紡ぎだす音や技術や心の素晴らしさは、聴く人から返ってくる言葉でも分かる。私より先にピアノを褒める人がいるが、私は寧ろその事の方が嬉しい。こんなに素敵な人に伴奏をして貰っているのだ、と言うことに。
一つだけ私の携帯に送られて来た文の一部を抜いておこう。
「・・あのピアノの方、最高に素晴らしいですね!! 繊細で美しい音色を引き出しながら、○○さんの演奏にピッタリ合わせて弾いていらっしゃいましたね。初めて聴きましたが、感動しました!」。その後で付け足しのように、私への心遣いが見られる。(笑)
次に来た返信に、
「・・また、オカリナ聴きたいです♪。もちろん、あのピアニストの方の伴奏で。・・」
とあった。
ピアノを弾く人の数は限りない。けれどその中で、誰と出会えるかが重要だ。誰でもいい訳ではない。なかなか言葉で言い表すことは難しいが、その素敵な人が、私のオカリナの伴奏をしてくれることにある。プロの歌い手やフルートやヴァイオリンの伴奏もして来たにも拘わらず、である。
私は不思議な出会いであると共に、縁があったと捉えている。心が通うところに互いに思いやりが生まれ、音が響きあうことを始めるのだ。
「素晴らしい! 感動したわ~」
と、一緒に聴いてくれていた人が言っていたそうだ。
何人かは分からないが、この人たちは和太鼓の練習日で、ちょっと抜け出し、私たち(オカリナとピアノ)の演奏を聴いてくれたのだ。その後すぐ練習に戻ったと言っていた。
「素晴らしかった」「感動した」「鳥肌が立った」、これらの褒め言葉は色々な所で聞く言葉だ。それをこんなところで聞くとは思わなかった。淡々と、一夏が終わったと感じただけだったのに。
この嬉しい言葉は、SSさんに、信頼できるピアニストSSさんに捧げよう。