テレビ内容の宣伝マンではないけれど、ニュースやドキュメンタリーから知ったり学んだりすることは多い。
1週間位前のテレビでは、食い入る程ではないにしても、観てしまった。何かチャンネルを替えさせないものがあったのだろう。誰かが同じチャンネルを観ているので、切り売りではあっても私からの新鮮な発信ではないところが玉に瑕である。
肥薩おれんじ鉄道の話で、熊本の八代駅から鹿児島の川内(せんだい)駅までを往復する列車がある。2004年春に開通したそうだが、現在乗客も少なく経営不振で、新しい経営者を迎えた。その新経営者の企画力に興味があり、それで見入ったと言う訳なのだ。
新社長は若い力が必要だと提案し、3人の若い女性を採用した。車内で沿線走行中の案内をしたり、八代市や川内市の様子を宣伝した。乗っていたおばあさんはインタビューで「上手だったね」と答えていたが、他の少ない乗客もその新鮮さに目を奪われていたことだろう。制服の色は、恐らく白のブラウスにオレンジ色の上着だったように思う。おれんじ鉄道なのに、ブルーではね?
もう一つ感心したのは、この社長と3人の若い新入社員がミーティングをしていることだった。どうしたら活性化させることが出来るかを、一人一人に考えさせて言わせていることだった。この土地は温泉が出るし、駅からそう遠くもないので、日帰りでも温泉を楽しんで帰れることをアピールしたらいいと、若い娘達は大体そんなことのようだった。活性化のためには、何と言っても企画力と宣伝力だと思った。
後は、論文を書く訳ではないから集中して聞いてはいないが、所々断片的に覚えている言葉がある。それらの言葉は、自分の中で消化して行ったらいいことだ。
例えば、TVの韓国語講座の中からだったり、五木寛之氏の旅先からの話だったりする。
ドラマの中で、マネージャーとしての心得を話している何気ない言葉が気になったり・・。
「担当タレントのマネージャーは、母親にならなくては。母親は自分の子供がよく出来なくても、自分のことより子供のことを心配するじゃない」
とか、韓国俳優に対するインタビューで、
「駄目だったら、後で出来る時にうまく出来ればいいですから」
とか。繋がりはなくても、自分の琴線のどこかに触れる。
五木氏はお釈迦様の言葉を引用して話していた。
「自らを頼りとし、他人を頼りとせずにあれ」
普段もよく誰かが言っている言葉だが、ここで聞くと、もっともっと深い意味があるに違いないと思って聞く。
これは五木氏があらゆる経験や体験から、自分の言葉となって口をついて出たものだと思うが、
「絶望の中に生き続けることは難しい」
と言ったような断片的に受け止めた言葉の数々である。蚕の口から吐き出される糸のように、人の口から紡ぎ出される、自分が断片的にしか聞いていないものであっても、多くの珠玉の言葉がある。膨大な情報の波から、コップ一杯の海水を汲み上げることさえ困難かも知れないが、個人の判断力とアンテナを駆使して良質な情報を取り込み、よく咀嚼して味わった後、自らの言葉に変えて紡ぎ出して行きたい。
益にも有害にもなるテレビがなければ、少なくともこれらの言葉や様子は、私の頭の中にはない。テレビの善し悪しを論じる前に、何を観、何を感じ、何を考えるかだ。
今の私には、お釈迦様の言われた言葉が真理の光となって耳元をくすぐる。
「自らを頼りとし、他人を頼りとせず」。
1週間位前のテレビでは、食い入る程ではないにしても、観てしまった。何かチャンネルを替えさせないものがあったのだろう。誰かが同じチャンネルを観ているので、切り売りではあっても私からの新鮮な発信ではないところが玉に瑕である。
肥薩おれんじ鉄道の話で、熊本の八代駅から鹿児島の川内(せんだい)駅までを往復する列車がある。2004年春に開通したそうだが、現在乗客も少なく経営不振で、新しい経営者を迎えた。その新経営者の企画力に興味があり、それで見入ったと言う訳なのだ。
新社長は若い力が必要だと提案し、3人の若い女性を採用した。車内で沿線走行中の案内をしたり、八代市や川内市の様子を宣伝した。乗っていたおばあさんはインタビューで「上手だったね」と答えていたが、他の少ない乗客もその新鮮さに目を奪われていたことだろう。制服の色は、恐らく白のブラウスにオレンジ色の上着だったように思う。おれんじ鉄道なのに、ブルーではね?
もう一つ感心したのは、この社長と3人の若い新入社員がミーティングをしていることだった。どうしたら活性化させることが出来るかを、一人一人に考えさせて言わせていることだった。この土地は温泉が出るし、駅からそう遠くもないので、日帰りでも温泉を楽しんで帰れることをアピールしたらいいと、若い娘達は大体そんなことのようだった。活性化のためには、何と言っても企画力と宣伝力だと思った。
後は、論文を書く訳ではないから集中して聞いてはいないが、所々断片的に覚えている言葉がある。それらの言葉は、自分の中で消化して行ったらいいことだ。
例えば、TVの韓国語講座の中からだったり、五木寛之氏の旅先からの話だったりする。
ドラマの中で、マネージャーとしての心得を話している何気ない言葉が気になったり・・。
「担当タレントのマネージャーは、母親にならなくては。母親は自分の子供がよく出来なくても、自分のことより子供のことを心配するじゃない」
とか、韓国俳優に対するインタビューで、
「駄目だったら、後で出来る時にうまく出来ればいいですから」
とか。繋がりはなくても、自分の琴線のどこかに触れる。
五木氏はお釈迦様の言葉を引用して話していた。
「自らを頼りとし、他人を頼りとせずにあれ」
普段もよく誰かが言っている言葉だが、ここで聞くと、もっともっと深い意味があるに違いないと思って聞く。
これは五木氏があらゆる経験や体験から、自分の言葉となって口をついて出たものだと思うが、
「絶望の中に生き続けることは難しい」
と言ったような断片的に受け止めた言葉の数々である。蚕の口から吐き出される糸のように、人の口から紡ぎ出される、自分が断片的にしか聞いていないものであっても、多くの珠玉の言葉がある。膨大な情報の波から、コップ一杯の海水を汲み上げることさえ困難かも知れないが、個人の判断力とアンテナを駆使して良質な情報を取り込み、よく咀嚼して味わった後、自らの言葉に変えて紡ぎ出して行きたい。
益にも有害にもなるテレビがなければ、少なくともこれらの言葉や様子は、私の頭の中にはない。テレビの善し悪しを論じる前に、何を観、何を感じ、何を考えるかだ。
今の私には、お釈迦様の言われた言葉が真理の光となって耳元をくすぐる。
「自らを頼りとし、他人を頼りとせず」。