私は毎週朝9時から「題名のない音楽会」を聴く。初めて見るスイス生まれのペーター=ルーカス・グラーフさんの姿があった。80歳で白髪の紳士である。今時の言葉を使っても使わなくても、兎に角格好いい。

佐渡裕さんがその昔ペーターさんのフルート演奏を聴きに行き、感動して楽屋まで押しかけ、そこでフルートのレッスンをして貰ったそうだ。何たる一途な情熱と思い。

今このステージで、二人のフルートのデュエットが実現している。人の飽くなき憧れは、いつしか見えない糸で繋がれていく。これは失われることのない自分の強い願いが糸を繋げるのか、神々の人事かのどちらかだ。

魂が揺さぶられ、その息は唇を通して歌口へ伝えられ、巧みな指の動きによって感動を齎すことになる。私が凄いと思うのは、長く伸びる息である。失礼な言い方になるかも知れないが、この歳で、こんなに安定した音で引っ張ることが出来る。演奏の最後に、音が聞こえなくなっても唇は歌口を離れない。きっと微かな息がまだ歌っているのだろう。聴衆は緊張感を持ちながら、最後まで見守る。

私は私のオカリナ演奏を人に聴いて貰いたいと思っていた。何と言う思い上がりだっただろう。人に感動して貰うためには、息がオカリナの中で正確に振動しなければならない。それに、息が切れないで美しく伸びることが必要だ。私はプロではない。だったら「どうせプロではないし、プロみたいな音など出せる訳がない」。そう思って、開き直ってもいいだろうか。せめて魂の揺れだけはしっかり保って置きたいと思う。行ける所まで、諦めずに、ただ只管に歩く。これが人生なんでしょ? それから、人に聴いて貰おう。

ペーター=ルーカス・グラーフの指は、魂から生み出される息の揺れを巧みに操って、ドビュッシーの「シリンクス」を奏でていた。それは感動以外の何ものでもなく、自分の道をただただ歩いて来た一人の人の姿だった。

卓球で汗を流した後家でシャワ-をしてから、私と同期の友人が出場する「徳之島一切節大会」に出かけた。丁度10組が出演するが、彼は相方のハヤシに回るのと、自分が主になって三線を弾きながら歌うのとの二組に出た。1時半からだったが、はじめの挨拶やなんかで、何とか歌が始まるのには間に合った。一組おおよそ7~8分で2曲が原則のようだった。

男は裏声を使わないととても歌えないのが奄美に伝わる歌の特徴のようだ。民謡だってそうかも知れない。彼は40年のキャリアでその喉は鍛えられ、裏声と言えども大層高い声が出る。それに美しい声だ。私は最後の二つを残して帰ってしまったが、一つの会の会長をし、毎日曜日には師匠としてある会館で教えたり練習したりしている彼である。何度か聴かせてもらったこともあるからと言って贔屓をする積もりはないが、流石に上手い。一番安心して聴くことが出来た。

ステージは二人位で丁度いい位の狭いものだったが、前の辺りにぺたっと座っている人30人。その後ろに椅子に座っている人が50人。留められたエレベーターを挟んでその後ろに立っている人が70人。ざっとそんな感じであった。私はエレベーターのすぐ後ろで、何とか見えるように立っていた。ずっと立っていると言うのは、言いたくないが堪える。

今年は、1609年に薩摩が琉球に軍事侵略してちょうど400年後になる、とプログラムの後ろに書いてあった。奄美の人達には悲しい歴史の1ページだ。この三線をかき鳴らしながら声を張り上げて歌い、島の人達は夜通し飲み、踊るそうである。そんな輪の中に私も浸ってみたいと以前から思っていたが、この余り複雑とは言えない思い思いに陽気に踊る姿は、あの悲しい歴史を背負っていたのだった。

彼は、楽譜などないこれらの歌を残したいと思っている、と言った。この文化を遺産として残すことには大賛成である。徳之島一切節大会の一切は、「ちゅっきゃい」と読むそうだが、島にいる人も、島を出た人も、この歴史的な区切りとなる今年、その心の軌跡を一切節としてまとめ、新たな島歌を創出していきたいと願っているそうだ。

少し疲れていたので、波照間島産の黒糖を買った。小石のような粒が小さな袋にぎっしり詰め込まれている。家に戻るとすぐに口に入れた。1粒ではない。口の中で溶けると、5粒も6粒も頬張った。煮詰まったさとうきびの強い甘みが暫く残っている。砂糖をこのように食べることはないが、この黒糖には、ほろ苦い奄美が、詰め込まれている。

人にはそれぞれの道があり、またそれぞれの道しかないと思える1日だった。