朝から夏の日差しが照り注いでいた。

家を出るとバスに乗り、電車を乗り継いで、とある駅に着いた。一人目の美人と会うためである。知ったのは8年ほど前のことだが、この前会ってからは、1年ばかりになる。

二人は10分ちょっとの緩い上り坂を歩いた。遠い昔、誰かと歩いたことがあったと、おぼろげに思い出された。一人目の美人は日傘を差していた。漱石の小説に出て来るマドンナのようだった。
「蒸し暑いですね」
と言った。

二人目の美人の家に着くと、
「お久しぶりです」
と言いながら、快く迎え入れてくれた。ちょうど10時頃だった。

上がるとすぐの部屋には、グランドピアノが二台、向かい合わせで置かれていた。さて、もうお分かりと思うが、二人とも才媛のピアニストである。二人の美女は昨年の夏に知り合いになった。私と二人目の美人はそれより数ヶ月早く出会っていた。

一人目の美人に出会ったのは、私の拙曲にピアノ伴奏の編曲を初めてお願いした時だ。二人目の美人は、オカリナ演奏のピアノ伴奏をして貰いたくて、在る場所でお話した時がきっかけとなった。

話に花が咲き、楽しい時が過ぎて行く。今日伺った目的は、今度オカリナを演奏する時のピアノ伴奏との音合わせのためだ。少し練習をした。一人目の美人は、しっかり聴いた後、的確なアドバイスをしてくれた。素人に対するプロからの指摘である。

「何を伝えようとしているかが分からない」
と、はっきり言って貰った時は、心底嬉しかった。忌憚のないものだったからだ。ゆったりする所はゆったりして、最後に聴衆の聞かせ所を作ることでその曲はよくなると言う辺りの指摘は、正に目から鱗が落ちたようだった。二度目三度目とよくなったと言ってくれたが、私にも大きく変わっていったのが分かった。

「自分の思いがあるから、好きなように吹いたら、それに合わせて伴奏します」
と言ってくれたのは、勿論二人目の美人だった。こう言えるのも凄いことだし、一人目の美人も褒めていた。素人がプロと合わせるのだから・・。

音は生き物で、今正に作られようとしている。二人の美女の伴奏に対する考えと率直な意見がなかったら、私の発展はなかっただろう。そして、感動のない、杓子定規な演奏で終わっている可能性が高い。

音楽理論を持ち、今日まで研鑽を積み、この道を歩いて来た二人。なのに、こうして私と三人で、何でもないように紅茶を飲み、ケーキを食べている。私には不思議に思われて仕方がない。多分、心の奥底に、人間を愛する何かがあるに違いないと思えるのである。出会いを実感し、出会いを大切にし、一期一会の意味が分かっているに違いない。何故出会っているのか。この不思議こそ、縁と呼ばれるものなのだ。私にとっては、尊い掛け替えのないもの・・。

人は今が一番大事で、瞬間瞬間が動いては過去に張り付き、未来に浮遊するものへと繋がって行く。今が輝いたものに、最良のものになるように努力してみよう。以前、藤本義一氏のサインにあった言葉が今でも離れなく、やっと意味が分かって来たように思う。「男は振り向くな。すべては、今」。

出会いを大切にし、心の奥から人間に対する優しさを吐き出せる人。それこそが、今に生きる人だと言えよう。二人の美女は紛れも無く美しいが、心の池に湛えられたやさしさが、さらに美しく輝くものにしていると確信している。敢えて敬語を省略したが、美しさは省略の余地が無い。天才で秀才の美人。この二つに序列などあろうものか。

時間の経つのはあっと言う間で、正午になろうとしていた。名残惜しかったが二人目の美人の家を後にした。

帰りも来た時と同じ道であり、違うことと言えば緩やかな下り坂だと言うことだけである。所々に植わっている白や桃色の夾竹桃が、梅雨明けの間近いことや灼熱の夏の到来を予感させていた。下り坂のせいもあって、細い体に似合う小さな日傘を揺らせ持つマドンナとの道行きも、とある駅までは恐るべき早さだった。