特別支援の巡回教員を初めて6年になります。

 

30人以上の子供を同時に担任するのとは違い、

濃密な1対1の時間をもつことが可能となる特別支援の巡回教員。

 

 

◇パニックになると教室を飛び出す子 

◇思い通りにいかないと校外へ脱走してしまう子

◇学級崩壊の首謀児

◇暴力と暴言でしか自己表現をできない子

◇黙っていることが不可能な子

◇聞いたことをほとんど覚えていられない子

◇2~3学年下の読み書きしかできない子

◇物を盗る、壊すをやめられない子

◇物の管理が全くできない子

◇お母さんと離れられない子

◇頭痛や腹痛でなかなか学校に来られない子

 

 

いろんな子と対峙してきましたが、

怒りや衝動のコントロールが難しい子、親御さんに向かい合ってもらったり、抱きしめたりしてもらってきていない子(愛着障害の子)の指導は長期戦になります。

怒りや衝動は発達外来での処方薬でコントロールできることもありますが、個人的には「育ちなおしの時間」を確保してあげることが一番だと感じています。

 

 

育ちなおしに必要不可欠なのが、母親(あるいは重要な他者)との関係の中で愛され、安心できること。

大事な人に見守られながら、やり残してきた発達課題をクリアすることは、建物でいえば基礎工事の点検チェックみたいな感じ。

心のつながりやスキンシップが重視されますが、体を動かす経験(安定した二足歩行のための)も同じくらい大切です。

 

 

  

私は1対1の濃密な個別学習ができる巡回指導教員を6年経験し、

とりあえず一人前になれたかな・・・といったところ。

 

心の土台から、時間をかけた育ちなおしが必要なお子さんを多く担当してきたので、一人につき指導期間は2~3年になりました。ふつうは1年交代、長くて2年なのですが、わがままを聞いてもらえる職場環境だったことはありがたいです。

その中でもただ1人、4年間連続で担当し続けてきた子がいます。

 

 

その子は、年子の兄弟のお兄ちゃんでした。

私が彼と出会ったのは、彼が2年生の時。

担任とウマが合わず、クラスも落ち着ける環境ではなかったこともあり、彼は教室を飛び出して廊下や階段、体育館、校庭などで過ごしていました。

 

彼の弟は1年生。

当時は弟の方が大変。

基本的にクラスにいられないのですが、たまに戻ると無差別に、通り魔のように、その場で目に付いた友達を突飛ばしたり、殴ったりします。止めに入った教員を殴り、蹴り、噛みつくことも繰り返しました。



複数の支援員、管理職、事務職員、用務主事、専科教員、私たち巡回教員・・・様々な人的資源を使って、弟への支援体制が組まれました。


 

兄である彼の方は、飛び出すことはすれども人を傷つけることはなかったので、遠くから見守られる程度でした。 

 

 

二人の兄弟がこのように荒れた行動を繰り返す背景には、家庭不和の問題があり、

学校の報告→福祉が介入した結果、状況はある程度改善していきました。

 

 

弟は家庭の状況の改善につれて、目に見えて落ち着いていきましたが、兄は変われませんでした。

家族の中で兄の方だけ

「お兄ちゃんなんだから!」

「お前の方がわかってるんだから」

「お前はできるんだから」

と責められる構図が延々に続いていたからです。

 

 

私は初年度は兄弟二人とも担当しましたが、翌年から兄だけを継続して受け持ち、弟は他の教員に引き継いでいきました。

母からも、父からも、祖父母からも、家に帰れば責め続けられてしまう兄の方を、私だけは依怙贔屓してあげようと思ったのです。

思い上がりかもしれません。

 

  

主観で判断するのは恐かったので、管理職や担任、特別支援コーディネーターとも相談し、賛成していただくことで、私は彼を卒業まで支援しようと決めたのです。

 

 

彼は、著しく自己肯定感の低い子でした。

「どうせ~できないし」

「どうせわかんないし」

を繰り返していました。

 

できないことを「できない」「ああしろ」「こうしろ」ばかりを言われ続けて生きてきました。

 

だから、私からは「〇〇しなよ」という言葉を極力出さないようにしようと思いました。

どんなにおバカなこと、残念なことをしても。

私が言わなくても、絶対に誰かに言われるのですから。

 

ただ、一応教員なので、最低限の指導だけはしなきゃいけないと思い、

45分間のうち、42分は彼の自由にさせ、言いたいことを受け止め、尊重し、最後の3分だけ「〇〇だけは気を付けてみな。がんばれ」と言っていました。

 

『9割見守り、1割教える』

そんな4年間だったと思います。