特別支援コーディネーターや、
特別支援教室の主任をしているので、
例年、配慮を要するお子さんの入学前面談には参加します。
特に特性の強いお子さんは、学年主任や、特性への配慮ができる先生のクラスになることが多いです。
それでも、学校生活は大変です。。。。😅💦💦
山あり谷あり。
そして
学校生活での困りごとの一つ一つを、
週1〜2回、多くても週3時間程度ですが、
丁寧に指導していくと
(また、その方法を担任とも共有していくと)
少しずつですが、
確実に適応していくことが多いです。
そうすると
2年に進級する頃、3年に進級する頃には
「もう、○○先生が育ててくれたから、少しは自立できるかな?」
という期待もこめられ、
少しハードルの高いクラスに入れられるようになります。
(それまではAくんシフト、Bくん対応…というように、その子にとって刺激の強いお子さんとは引き離されたクラス編成になっていることが多いです)
(ただ、年々要配慮児童が増えすぎて、
そんな悠長なシフトも組めない状況になりつつあります。)
特別対応から抜け出ることは、その子の成長の証でもあるのだけど
環境の負荷があがるのは、なかなか苦しい。
🍀 🍀 🍀
私が1〜3年と指導してきた、ギフテッド(フルIQ140)のHちゃん。
ものすごく頭脳明晰ではあるけど、予測できない事態にパニックを起こします。
特に虫と、多動男子の動きに弱く、叫んだり、走って逃げ出したり、手が出たり。
成長につれて、だんだん頻度が低くなり、
3年ではパニックゼロで過ごすことができました。
2年の頃まで心配でしょうがなかったお母様も3年の一学期が無事に過ぎた頃から、特別支援教室からの退級を考えるようになりました。
お母様から、
「来年あたり、退級でしょうか?」
と言われた時、
私は
「Hちゃんは、入学してからずっと素晴らしい先生方が、Hちゃんの苦手なことを先手先手で対応して環境を作ってもらってきているんです。
先生のフォローがなくなっても、落ち着いて生活できる力がついたら退級でしょうか。」
と言いました。
4年生になり、
初めて学年主任ではない、
しかも特別支援への理解の浅い担任になりました。
(悲しいことに未だにこういう先生方が残っています。かなり少数派になってきましたが…)
賢いHちゃんは、初日の出会いで
「この人は無理」
と思ったそうです。
お母様も
「これがTomomi先生の言っていた状況なのか…」
とすぐに察知しました。
そのことに気づいてから、Hちゃんもお母様も、理解してくれない人と無難にやり過ごす方法を意識して、
特別支援教室の指導や、保護者面談を活用するようになりました。
さすがIQの高いHちゃんです。
この相性のよくない先生との1年を有意義な学びへと変換していってほしいと思います。
(ギフテッドの子どもたちが皆このように切り替えられるわけではないことを、ご了承ください🙏)
ずっと、自分のことを理解してくれる先生や友達と過ごすことができたら幸せだけど、
長い人生、それで済むわけがないということを
私達、大人はよく心得ていると思います。
合わない人と一緒に過ごす、働く…って、
大人にとっても辛いですよね。
嫌なら辞める選択肢はありますが、
また新しい居場所を見つけるのにもパワーが要ります。
人生経験やスキルの少ない子供が
「この人嫌い」
と思うのは自然なことです。
それは、食べ物の好き嫌いにも共通するかも。
最初からすぐ、嫌い!
じゃなくて、
折り合いのつけ方を見つける経験。
そのような生きる力も、子どもたちは身につけていかなければなりません。
やはり、巷で言う「9歳の壁」までに、
ある程度はハードな環境をも経験することは
大事なのではないかと思うのです。
9歳までなら、大人(親、先生、医師、ワーカーなど)の介入が容易だからです。
合わない担任と過ごす一年は
親子共に辛い時間になるとは思いますが、
長い人生を送ることを考えたら…
いつか必ずプラスの意味に書き換えられると信じています。