多動・衝動が強いだけでなく、
自他の感情の区別がつかず、
やりたいことしかやらない
やりなくないことはぶち壊す

家族は、彼に学校に行かせない選択をした。
でも、家族は心身ともに疲弊していく一方。

そんな彼と、彼の家族へ。
特別支援教室の仲間からの手紙が。



その後、
ご両親は再び校長に面談を申し込みました。

うちの子が大変だと分かっていたのに
どうして新任を担任にしたのか?

大変な児童に対応した実績のある担任をつけてもらうことを望む。
そうでなければ、わが子が学校で学ぶチャンスはもうなくなる。

と。

あまりに一方的な物言いで、教員7年目だった担任は呆れましたし、
私も心を痛めました。
どうしてここにきて、そんな抗議口調で要求を出してくるのか………。


校長が決めた新しい人事は、皆半信半疑でした。
その人事で本当に解決するのかと。
(つまり人事の問題ではないと)
 
 
一方で

彼は、保護者にこれが最後のチャンスだと諭されていました。
何度か病院に足を運び、複数の検査を受け、
コンサータという衝動性を緩和させる薬を体重分ギリギリまで処方してもらい、
4月に備えていました。
 
 
一見クレーマーのような勢いの要望は
最後のチャンスに賭ける
ギリギリの思いだったのだと、後から理解できました。
その時はそう表現せざるを得なかったのだと。
 
  



4月、教室配置や席順を工夫した上で、
3ヶ月ぶりに登校。

 
 
彼は、離席することなく
担任の先生の説明中に口を挟むことなく、
話を聞くことができました。

時間を守ることができました。

当番活動に参加することができました。

 

自分の給食の配置や片付けすらしなかった彼が
白衣を着て給食当番をする姿に目を疑いました。

廊下を全力ダッシュしかしなかった彼が
歩いている姿に目を疑いました。

 
 
最初だけかと思っていましたが、
一ヶ月、二ヶ月と続きました。

次第に、
クラスの他の子の方が騒がしくなり、
彼なんて全然目立ちませんでした。
 
 
薬のせい???

いや、同じくらいの量の服薬をしている子をたくさん知っています。
薬を飲むだけではこんなに行動は変わりません。


お母様に
「これが、最後のチャンス。
学校に通いたいならば、ルールを守らなくてはダメ。
ルールを破るようになったら、学校に行けなくなる。」
と言われ、

学校に行きたい一心でがんばったのです。
 
 
 
5月末の運動会では、リレーの選手に選ばれました。
足の速い彼は、テイクオーバーゾーンも自分が走りきりたいと猛ダッシュ。
バトンミスで、1位だったのに失格になってしまいました。


 
 
驚いたことに、彼を責めるチームメイトは誰もいませんでした。
4月から彼が誰よりも努力して学校生活を送っていたことを、みんなわかってくれていたからです。


彼は、このリレーで相手の調子を伺う必要性を初めて知りました。
 
 
担任の先生は、運動会のあとにリベンジマッチを設定してくれました。
テイクオーバーゾーンのルールと、次の走者のタイミングをしっかりと意識して、
彼のチームは1位を取ることができました。
 
  
彼のご両親は、運動会にて
また息子がやってしまった!
みなさんに迷惑をかけてしまった!
と頭を抱えたのですが、

リベンジマッチを設定してくれた担任の先生の機転に心から感謝をしたことは言うまでもありません。


また、彼はそのころ地域のバスケットボールチームに入り、
そこでも友達との付き合いを深めていきました。

放課後はバスケの練習か、公園で友達と遊ぶか。
毎日毎日楽しくて、
何気ない日常を天国のように、味わっているのが伝わりました。


続く…