わたしには価値がない。
という思い込みの無価値感。
わたしも長年、ずっーとこの無価値感と
お友達でした。
ただ最近、この無価値感が薄くなってきて、
この状態を少し俯瞰して見られるようになったことで
見えてきたことがあります。
それは、
無価値感は
「自分には価値がない」という感情そのものというより、
「価値がある自分でいなければならない」
という前提から生まれるものなんじゃないか、
ということ。
たとえば、
役に立つ私なら価値がある。
人から必要とされる私なら価値がある。
ちゃんと稼げる私なら価値がある。
誰かを幸せにできる私なら価値がある。
みたいな。
こういう条件を無意識に置いていて、
その条件を満たせなかった瞬間に、
「私はダメだ」
「私には何の価値もない」
が立ち上がってくる。
だから、
「私には価値がない」
🔁
「価値を証明するために条件を満たそうとする」
ここを行ったり来たりしてる。
そして、この条件を満たしていない自分は
「ここにいていいのか?」
と、自分の存在まで問いたくなってくる。
価値のないわたしが、
ここに存在していいんですか?って![]()
だから、
ここに安心して存在するためには、
頑張って、
役に立って、
認められて、
「価値のあるわたし」で居続けなければならない。
これをラットレースのように
ずっとやり続けてしまうんです。
でも本当は、
「存在」と「価値」なんて
=(イコール)で結べるものじゃないですよね。
価値を証明したから
人は存在しているわけじゃない。
うちの愛犬しょうくんが
今日何の成果も出してなくても、
「今日のしょうくん、何の価値もなかったな」
とは思わない。笑
一日中寝ているだけなのに。(本当に!笑)
しょうくんは、
しょうくんとして、ただそこにいる。
そこに
「価値があるのか?」
「価値がないのか?」
なんて、そもそも考えもしない。
でも人間だけがいつの間にか、
「今日どれだけできた?」
「誰かに喜ばれた?」
「誰かの役に立った?」
「認められた?」
って、
自分がここに存在するための
“合格ライン”を引いてしまう![]()
そして、
その合格ラインに到達していないと感じたら、
自分の存在そのものまでを否定してしまう。
そしてもう一つ。
無価値感って、
もしあったとしても、
排除しなきゃいけない悪者でもないと思っています。
むしろ無価値感が出てきたときって、
「私は何を満たしたら、
自分には価値があると思えるんだろう?」
を見つけるチャンスでもある。
「お金を稼げたら?」
「人に必要とされたら?」
「人を喜ばせられたら?」
「ちゃんと頑張れたら?」
そこを辿っていくと、
自分が自分に課した
「存在許可の条件」が見えてくる。
わたしの場合は、ここに長い間、
「親の期待に応えられたら」
という条件を結びつけていました![]()
じゃあ、そもそも何で、
「自分の価値を証明しなきゃ」
と思うようになったんだろう?
わたしはそこを辿っていったとき、
小さい頃の自分の気持ちに行き着きます。
本当は、お父さんやお母さんを喜ばせたかった。
本当は、笑顔にしたかった。
本当は、幸せにしたかった。
本当は、もっと認めてもらいたかった。
本当は、もっと愛してほしかった。
でも、子どもの自分には
どうすることもできなかった。
そんな悲しさや寂しさが
未消化のまま残っていると、
「誰かを幸せにできる私なら価値がある」
「期待に応えられる私なら、ここにいていい」
そんなふうに、
自分の価値や存在と
結びつけてしまうこともあるのかもしれません。
だから大人になってからも、
あの頃の悲しさや寂しさを埋めるように、
「価値のある自分になろう」
と頑張り続けてしまうのかもしれない。
でもね。。
そのままのあなたに、
「価値がある」
「価値がない」
そもそも、そんな判定さえしなくていい。
何かができるからでもない。
誰かに必要とされるからでもない。
誰かを幸せにできるからでもない。
たくさん稼げるからでもない。
あなたはもう、
あなたとしてここにいる![]()
宇宙で唯一無二のあなたとして、
この地球に生まれてきた。
だからもう、
「わたしは、ここにいていいですか?」
って、その答えを誰かにもらうために、
自分の価値を証明し続けなくていい![]()
あなたはあなたで
堂々と存在してたらいい![]()
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