誰が知りたい、私の人生 3 | さよなら▲のブログ

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私の母は、男にだらしないというか、男運が全くないというか・・・・ダメンズが好きというか。

同じ人生を歩んだから、寂しかったのと強すぎて甘えれる場所を求めていたんだと少しだけ理解することができました。


自分の洋服は買わなくても、子どもたちには良いものを着せてあげたい、美味しいものを食べさせてあげたいという母でした。

そのために必死に働く強い母でした。


私が年中さんのころからしか記憶があまりないのですが、4軒長屋に住んでいました。

昼間は木材の工場で働き、夜は長屋のご夫婦に私達兄妹を頼みキャバレーで働いていました。


昔は、ハーフみたいで綺麗だったんです。

それだけは羨ましかった。

年を取ったら普通のおばあちゃん顔になったんですが、今の私は年を取った母にそっくりになってきました。

ハーフ顔が似たかったなぁwww


話はそれましたが、小学生に上がる前に、知り合いの勧めもあり喫茶店を経営することになります。

店舗は借りて、経営は雇われではなく店長をしてました。

子どもたちが学校から帰ってきたときにただいまと帰ってこれる場所がほしいと・・・

そのへんは、素晴らしい母でしたね。

住まいは、その店の上でした。

帰ってから寝るまで、お店で過ごしてましたよ。ジュースもアイスも好き放題でしたwww


ハーフ顔と言うことで、母はモテなんですよ〜なので彼氏も店のお客さんだったり。

既婚者が多かったですけどね。


小学6年の頃の母の彼氏も既婚者でした。

ですが別居していたらしく、中学に上がる頃母はマンションを買ったのです。

お店から自転車で15分くらいの場所で、そこに母の彼氏も同居するようになります。


私はそれが嫌で、お店の閉店1時間前に母と交代をし片付けをしていました。

その同居が不幸の始まりだったんです。


母の彼氏は多額の借金持ちでした。

本当のところはどうか知りませんが、当時の奥さんが散財する人で、その借金だったといいます。

ですが、母と一緒に暮らしたく格好をつけるために、家具や家電を買ってくれたのも借金してらしいです。

こうなるとホントに奥さんの借金かどうかなんてわかりませんよね。


今の若い人たちは、格好つけてグレてたりして、軽くヤンキーとか言ったりしますが、昭和50年代の中高生でグレている子は殆ど家庭環境が悪かったんですよね。

例にもれずに私もグレはじめます。たいしたことはしてませんが。


友達なんて要らない、大人は信じられない。

一人でいるほうがいいなんて強がっていたわけです。イキっていたんですね〜

この性格があとで泣きをみることになります。