次男は補習を受ければ卒業・・・(訂正あります) | 思いつくままのひとりごと

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何気なく〜心のままに〜
呟いてみます

 

 

コロナ感染の診断書未提出

 

 

いよいよ次男も専門学校を

卒業見込みまでに到達した〜

 

4年になって3年後期からまた

不登校に陥り

出席日数が足りず

卒業できないところまで

追い詰められていた〜

 

その時は学校も行かない

就活もしないで

退学覚悟のニートに

なっても構わないとまで

考えていたらしい〜

 

でも先生に説得されて

渋々学校に復帰はしたが

あくまでも就活はしないと

言い張っていた〜

 

先生も粘り強く説得して下さり

後期に入って就活を始めた〜

 

何社か面接までしてもらい

内定をいただいた〜

 

折角の専門的知識を活かすことなく

ニートになるのは勿体無い〜

 

勉強についていけなくなり

途中で止まったけれど

基礎はしっかり習得しているので

就職はできると説得されたのだと

夫は考えていた〜

 

不登校になっても

何も言わずただ見守っていた〜

 

私には到底できないことだった・・・

 

 

中学1年の学年末テスト(3月)

不登校になり

2年のゴールデンウィーク明けから

少しずつ学校に復帰〜

 

教室には入れず

支援学級にも入れず

空いていた別室で

私と過ごし

給食前に帰宅の2ヶ月間〜

 

給食を一緒に食べようと言ってくれた

クラスメイトと支援学級で

給食をとるよになったから

私の付き添いは登校時のみに〜

 

登校時間は30分遅くに行っていた〜

 

みんなと会いたくないと言って

そこは譲ってくれなかった〜

(頑固なところは私似?)

 

給食を共にしてくれた彼には

小学校の時から度々助けられた〜

 

いじめられた時も間に入ったり

相手を嗜めたり・・・

 

彼のおかげで3年生になってからは

教室に入れるようになった〜

 

 

不登校が始まった頃は

私もどう対応すれば良いのか

全くわからず

ガミガミ怒っていた〜

 

なので次男も反発して

どんどん目つきが悪くなり

私を睨みつけるようになっていった・・・

 

 

 

そんな事があったので

この4年間は何があっても

ガミガミ言わないようにした〜

(気持ちは複雑だった)

 

普通に振る舞うのが大変だった〜

 

言いたくなるのを堪えるのが

しんどかった・・・

 

 

 

でも卒業できることになり安堵・・・

と思いきやそうでもなかった〜

 

昨年10月下旬に体調を崩し

お医者さんに行ったら

コロナに感染していた〜

 

診断書を学校に提出しなかったので

普通に欠席扱いになり

それが仇となり

補習を受けなければ

卒業できない事となった〜

 

明日が最終日〜

 

何日かは補習を受けに行かねば

ならないけれど

内定をもらっているし

いろんな提出書類等も

記入しているようなので

サボることはないでしょう〜

 

 

 

軽度発達障がい(学習障がい)

診断されてから19年間〜

 

肩の荷が降りたかな???

 

 

 

 

音譜今日も感謝の気持ちですベル

 

 

 

        最後までお読み頂き有り難うございます❣️