母の恋愛体質に振り回されるのが嫌で

一人暮らしをする方向で動いていた中のことでした。

 

 

母より「最近便に血が混じる」と言われました。

 

私は医療系の学部であるため、

すぐに、癌じゃないかな?と思い、受診を進めました。

 

結果はやはり直腸癌。ステージⅢb。

 

 

契約していた物件は、即解約に行きました。

 

治療方針が決まり、まずは手術。

 

なんで私の国家試験の日に入院となっているんだ、、真顔

試験中も集中がとぎれることがある。でも受からないといけない。

試験が終わったら、友達との打ち上げは行かず、すぐに病院へ。

 

卒業旅行で温泉を計画していた日に手術、、真顔

さすがに手術の日は私1人でなく、親戚も来てくれた。

5時間くらいの手術が終わったとき、止まらなく泣いてしまった。

人前で泣くのは嫌いなのになんでだろう。

 

あぁ、私、本当に1人になるんだ。

もしものことがあったら、喪主は私。お金の処理も聞いておいた。

しっかりしなきゃいけない。

 

でもその後の入院期間は、経過良好だった。

 

洗濯物や必要なものを届けるために、病院に行くのだが、

母には時間指定されることがある。

 

 

そう。そうです。

あの新しい不倫パートナーとの時間をしっかり確保し

私とは鉢合わせないためだった。

約15年同居した父親代わりのおじさんが当然出ていってしまい

 

あぁ人ってこんなにも簡単に関係が終わるんだな。

お礼の一つも言えず。

、、と折り合いのつかない日々を過ごしていました。

 

母も「私だってなんでかわからない」の一点張りで

聞いてくれるな、という雰囲気を出し続ける。

 

 

おや?最近母の様子がおかしい、、

 

出かけることが多くなった。

私の話は上の空で聞いており、スマホばっかりみている。

風呂やトイレなど、片時もスマホを手放さない。

 

悪いこととは思ったが、隙をみてスマホ見てしまった魂

 

 

 

 

なんと新しいパートナーができていた、、

 

しかも同居していたおじさんと終わる前から連絡を取り合っている、、

「娘には会社の友達と会うって言ってるから大丈夫ピンクハート

みたいな記載もある、、

 

しばし、知らんふりして泳がせるとボロが出始める。

嘘つくと目を合わせず、声は上ずるのでわかりやすい。

 

ベッドの下に思い出の品とか、プリクラ(笑)などを隠してる。

あとはポエム的なものを書いている(笑)

 

相手は近々離婚予定だが、まだ妻子持ちの過去の同級生であった。

 

 

ある日、私は母親の恋愛体質に振り回されることに限界を迎え、

すべてぶちまけました。

 

母からは「私の幸せ奪わないで」とのことでした。

 

大学を卒業したら、家をでて一人暮らしをする。

 

そう決意してマンションも契約したのに、

大学4年の冬、予想外の事態が発覚してしまったのでした。

5歳で母と2人、母子家庭となった私。

 

新しい土地にもわりとすんなり慣れ

自身も新しい保育園で友達ができましたニコニコ

 

 

ほどなくして、母からあるおじさんを紹介されました。

 

なんかやたらおもちゃ買ってくれる。

あ、私に気に入られたいんだな。幼くてもわかりました。

 

あれ?!

気づいたら一緒に住むことになっている!!

 

そこから15年間くらいかな。

同居する生活が始まり、父の代わりとなったのです。

 

 

基本は優しくて面白い人でした。

きっと母1人では経験できなかったこともさせてもらえたし、

私のこと大切にしてくれた感じはします。

 

でも、疑問に感じる点も多々。

 

嘘ついていることがよくある、、

なんかお金にだらしないみたい、、

母名義で購入しているものが多い、、

 

おじさんには、私より年上の子どもがいたのですが

なんかこの人たち怖い。

実際、警察に捕まって勾留所から手紙が届いたりする、、

 

なんか子どもながらに不安。目の前の人が信用できない感覚真顔

 

私が高校生くらいになると、家の中は冷戦状態でした。

母とおじさんはしゃべらない。

 

そして私が大学生のときに、

おじさんはある日突然、家を出ていったのでした。

 

 

私は母子家庭のひとりっ子として育ったのですが

その経緯を覚えてる限り書いてみようかなと思います看板持ち

 

 

5歳くらいまでは他県に住んでおり、実父も同居していました。

 

父は私に対しては優しかった記憶なのですが

それよりも鮮明に覚えているのは、母に対しての暴力かな。

 

いちおう私が就寝した後などにしていたようですが、

目が覚めた時に母のことを叩いていたので、寝ぼけたふりして止めに行きました。

母は骨折もしていたようです。

 

食器棚などの家具はボコボコ穴が開いていたので

長らくキューティーハニーのポスターで隠されていた手

 

 

なんやかんやあり、母と2人で引っ越して新しい生活が始まりました。

私にとっては突然のことだったから、電車で大泣きしてしまったはず。

 

しばらくは父と電話はしていたけど

母が嫌がって電話線を抜いたりしていたから

なんとなく私もやめようかなーと思って成長していきました。

 

私も物心がつくと、善し悪しの判断がつくようになったので

父の自分都合でしかない電話に嫌気がさして、自分も着信拒否しました。

その後は、父がどこにいるか、生きているのかも知らないし聞かない。

 

幼少期の写真には父も映っているから、なんとなく顔は覚えているけど。

 

 

後にわかったこととしては

父と母は婚姻関係になく、私は認知されていなかったということ。

特に気にしてなかったけど、戸籍上の記載がのちのち仇となったのでした。

 

はじめまして。はふと申しますロゼワイン

 

現在の私は、転勤族の妻であり専業主婦です。

 

30歳になり節目の年だなーと思うのと

今はとっても時間があるので

これを機に自分のいままでとこれからについて考えていきます。

 

ダイヤモンド母子家庭・親との関係

ダイヤモンド結婚までの道のり

ダイヤモンド義実家問題

ダイヤモンド自分の仕事について

ダイヤモンド妊活をどうするか

 

このあたりがテーマになるかな、、

 

楽しいことばかりではなく、つらい経験もあったけど、

きっと今や未来の自分にとってプラスになっているんだろうなと

思いながら書いていきます。

 

似たような経験をされた方や

これからの人生の先輩となる方々と関われたらうれしいなニコ

 

よろしくお願いいたします!