さて今回はアイヌの古人骨DNA解析を振りかざして【アイヌは先住民族である!】 と最近、口を開けばそう叫ぶアイヌ団体のアイヌ擁護派、そしてそれに頭から賛同してしまっている伊藤浩士氏のブログ記事を追う形で、


【遺伝子でアイヌは先住民族であると証明は出来たのか?】


を解説したいと思う。こういう遺伝子による解析する学問を【分子生物学】という。


そしてこの学問の世界で日本において分子生物学の手法で古代の人類の骨からDNAを採取し、そこから世界中の人種の起源と、時代とともに世界へ広がっていった人類の移動の痕跡を探る学問を【分子人類学】という。


そして、いち早くこの新たな学問に取り組んだ日本における偉大な先人(フロントランナー)は篠田謙一氏である。


まずは伊藤浩士氏の唱える【DNAはアイヌは先住民族であると証明している】と言った【間違った見解】の記事を読んでもらいたい。

夏炉冬扇の長袖者の尉のブログ


アイヌ民族珍説と正論


2024-02-27 00:00:00


テーマ: ネトウヨ


アイヌ民族に関して、先日取りあげたサトウのタケの仲間の櫻井証と称する者が、応援するつもりなのかこんなことを書いています。

 

【アイヌは先住民族じゃないのは歴史学者の間ではもう完全に解明されてますよ。それは私も知っています。先住民は縄文人で、アイヌは大陸の変な民族に追いやられて縄文人の住んでる北海道に逃げ込んできた大陸人ですから。

つまり、縄文人つまり大和民族より新参者で、侵略者といっても差し支えないわけです。ただ、縄文人が非常に平和的な民族なので、結構、受け入れてあげたんでしょうね。先住民族で迫害されたなどというのはとんでもないデマです。】

 

 「歴史学者の間ではもう完全に解明されてます」縄文人の時代のことを言っていて文献がないのですから、考古学になると思うのですが、解明した歴史学者は誰でどんな資料を用いたのでしょう、これでは何も分かりません。縄文人が非常に平和的な民族であることを裏付ける証拠は出土しているのでしょうか、差別主義者は他人には証明を常に過酷なかたちで求めますが、自分たちはなんの証拠も示さずに断定します。

 

 次に紹介するのは、私のブログに寄せられた

ラム夫さんのコメントです。

 

 【サトウ某はDNAがどうのと言っていますが、サトウ某など足元に及ばないほどの頭脳の持ち主である偉~~~い学者さん達が研究結果を平成24年に発表しているんですがね。

 その研究によると、分子遺伝学的には大和人とアイヌは共通の祖先、つまり縄文人から派生した集団であることを示しており、さらには大和人よりアイヌや琉球人のほうが縄文人の遺伝形質が色濃く残っているということが判明しています。以下に東京大学HPのプレスリリースを添付します。

 【記者会見「日本列島3人類集団の遺伝的近縁性」】
https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/press/p01_241101.html

 ヒトゲノム解析が行われるはるか以前より、縄文人とアイヌの関連性についての考察は存在しており、明治期には頭骨比較研究も行われているのですが、ヒトゲノム解析研究は「アイヌ=縄文人の末裔説」の信憑性を一層高めるものとなった次第です。サトウ某は「縄文人はアイヌより先に北海道にいた!」と考えているのでしょうが、そうではなく「北海道にいた縄文人の末裔がアイヌである」と考えるのが妥当ということですね。】

 

 「分子遺伝学的には大和人とアイヌは共通の祖先、つまり縄文人から派生した集団である」歴史学者の間での解明など、一発で吹っ飛ばすものです。縄文人が先住民で、そこからアイヌ人と大和人が分かれたのであれば、北海道の先住民、本州の先住民で良いわけです。東京大学HPのプレスリリースも添付されており、差別主義者が求める証明も用意されています。

 

 偏見なしに、ふつうの知能の人が両説を読めば、間違いなくラム夫さんの書いていることを支持するでしょう。日本を単一民族国家ということにしたい、過去の差別の歴史を修正したいといった歪んだ感情に囚われた、差別主義者、歴史修正主義者のみが櫻井証の言い分に賛同するはずです
 

 



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読んで頂けたであろうか?

そしたら自転車好きで、そもそもは山好だった『私の事』から、話を始めようとおもう。(笑)

🔵『山一つ向こうは別の国』

『川一つ向こうは別の国』という言葉もあるんだが、兎に角『山一つ向こうは別の国』。この言葉が好きだ。

誰かの言葉の引用か?とも思ったが、コレと同じ言葉も、コレに類似した言葉もインターネット上では見つからない。『もしかしたら俺オリジナルでは?』とも思っているのだが、『実感をもって』この言葉は気に入っている。

今でもそうだが、私は自転車という乗り物が大好きだ。

それで自転車好きになった切っ掛けはマウンテンバイク(以下MTB)。

そこからMTBの世界にのめり込み結果、スポーツバイクの取扱いに強いショップを見つけ、週末に走った帰りに、そして仕事の帰りにと、日参するようになれば、自ずと『店のチームがあるんだけど、入らない?』『レースに出て自分の力を試してみない?』の世界に誘われる。それで走ってみたら地方の小規模のレースだったら、私は『そのクラス全選手の中で中の上。所属チームでも中々に速い』という事が分かり。そうなるとレースにものめり込むようになる。

そんな中で車のラリーレースに似た要素のある自転車競技に出会う。

この競技のルールは選手にはレースの場となる地域の地図と方位磁石だけが情報摂取の手段と制限され、その上で地図上のA地点(スタート)からZ地点(ゴール)まで総距離で道路のみを走るなら30〜50kmのコースをどれだけの速く走り抜けるか? となるのだが、まずこのレース『何処を走っても構わない』。

だが途中にCP(チェックポイント)が、山の中の道。獣道から一般道まであるが、その道路上に、4から5箇所のCPが設けられていて、そこにはコースマーシャル(立証員)が立っている。まずCPが5ヶ所なら①から⑤へと順番通りに巡らねばならない。途中どこかのCPを抜かしてゴールしたら失格。キチンとゴールしたけりゃ飛ばしたCPの通過を要求される。

さらに
例えばそのマーシャルの立っている道が東西に走っていてる場合、『必ずレース主催者が指定された道の方向からマーシャルに接近し、マーシャルに自分のゼッケンを宣言・確認してもらい通過しなければならない』のだ。

つまり、あるCPの道が東西に走ってて、『道を西から東に通過しなければならない』となっているなら、『道を東から西に通過した場合は違反!』となり、それまたゴール後のタイムにペナルティ(ゴールタイムにプラス10分などが加算)となるのだ。

でもそれ以外の道の選択は自由。というか『自転車に乗ることも叶わない道なき道を自転車を肩に担いで走って(藪こぎと言う)のショートカットもOK!』そういうレースだ。

当然、このレースの選手には地図と方位磁石を駆使しての『地図読みの能力』と、走りながら地図を読み込み、ココだ!と決断したら、道を外れ藪に飛び込み、道もないところを自転車を担いで走り、己の地図読みの能力を信じて突き進める『体力』が要求される。だが、例えば等高線の読みをまちがえば、死にたくなるよな急斜面を登ったり、降ったりするハメになり、また自分の今いる場所(現在地)を間違えていたり見失ったりしたら、あっさり『遭難』出来るのがポイント。

そんなルールのレースの初体験の時、
その時レースに選定されたフィールドは県境にまたがる巨大な山の中でA県からスタート。ゴールはB県となっていた。

この時、まだ地図読みも得意で無い上に、季節は極寒・山は真っ白・雪も降る中、好成績は残すつもりでゴールを目指したのだが、人里あるA県からスタートして、人っ子1人いない、自分が今どこに居るかもよくわからない山中で四苦八苦。そうして山中を彷徨った挙げ句の数時間後、やっと見えたB県の人里を山の上から見つけた時、不安でしかなかった山中を抜け、山のうえから見下ろす風景の中に人の居るB県の里を発見した感動の後に、B県の里とA県の里が、直線距離なら僅かの山を隔てているだけで、人里の雰囲気が全然違うコトに驚いた事が頭に鮮明に焼き付いている。僅かな距離でも『山という障害』があり、その2点間に「真っ当な道が整備されていない」と、街の形も家々の集まり方もどこか違うのが判るのだ。

この時「山一つ向こうは別の国だ……。」を、その身をもって、ありありと実感した。


明治時代以前、
山は完全な「障害」であり、交流するなら、困難な山を越えるか、大きく迂回するしかなかった。当然山を間に挟んでの村と村の交流は殆どなく、地図上では隣と言って良い距離なのに互いはそれぞれ『異なる文化』を育む事になる。

これが江戸期までの日本では当然の事であった。
これは『川』にも言える。川も立派な『障害』だった。

東西に流れる川に橋がなければ、南から来た人間達と北から来た人間達がそれぞれ住まうも、川の向こうには進めない。それが30年も経てば、それぞれに『互いに違うルールで動く違う文化』が出来上がる。

これに国の境界線が出来てしまえば、目の前にみえる川の向こう川であっても交流は増々困難になる。

その後、自分の故郷の昔に興味が出てきて、里帰りの際に取り敢えずはと、市の図書館でこの地方の古文書を纏めた本があったので調べたら、ひいき目に見ても川幅15m程の小さな川の手前が我が地元の藩の領地、向こうは他藩の領地で境界が敷かれていた事実を知った時は仰天した。(今は川の手前も向こうも我が市になってる。)『山一つ向こうは別の国』の発見から凡そ10年後の出来事だ。これ以降『川一つ向こうは別の国』も持論にする。

この話をよく覚えてて欲しい。


🔵地理的障害は遺伝子に影響する

こうした山などの地理的障害と、それに伴う文化の違いは日本の社会は勿論、アイヌの部族社会でも起こっていた。

そして実際にアイヌの文献を探ると、川を挾んで、山を挾んでなどの部族間抗争の記録はよく見かけられる。当時、こうした抗争は頻繁に起こっていたのだ。
ここで断言するがアイヌ協会やアイヌ擁護派がすぐに口にする『アイヌは自然を愛し、慈しむ争いを好まない民族で、それを破壊したのが日本人だった』というのは嘘である。

アイヌ文化には文字がないから『言った!』『言わない!』の喧嘩は頻繁で、この水掛け論の喧嘩で、口で騙し、脅し、すかして言い込めるアイヌはアイヌからも心底嫌われた。

このアイヌに文字がないのを良い事に『口八丁手八丁』で相手を言い負かす、やり込めるアイヌの事をアイヌは『チャランケが得意な奴』といって忌み嫌った。

現代のアイヌ協会を筆頭としたアイヌ擁護派はチャランケを『話し合い』と意訳して、何でもアイヌは話し合いで解決した。と『清らかな民族のイメージ』に仕立て、如何にもチャランケは公平な話し合いで素晴らしい印象で説明し、これをやったアイヌ民族は清らか・平和主義者の民族だったのだ。という風な印象を吹聴し、バラ撒いているが、それは大ウソ。チャランケは『公平な話し合い』で片付けられるような生易しいモノではなかったのが実態だった。

話は逸れたが、このような山や川などの地理的障害は遺伝子にも影響を与えるものなのだ。


🔵分子人類学の一つの『限界』

分子人類学は古人骨(古い時代の人骨)から遺伝子(DNA)を見つけ、取り出し遺伝子の配列を他地域の古人骨DNAの特徴と比較・検討し、現在は人類の始祖はアフリカ発祥であろうと、ほぼ確定している。

その人類がその後、どの時代に、どうやって、どのルートを辿って世界中に分布していったのか?を探る学問である。

DNAの解析の技術自体は分子人類学なる新たな学問が生まれた時から精度が高く、しかもその解析も正確さも技術の進歩で増々上がっている。だからそこで得た情報はほぼ正確で正しい。

ただし
現状、今揃っている各時代の古人骨の数が圧倒的に少く、さらに発掘された古人骨の地域がバラバラなので、この出揃ったDNAの解析を以て、『アイヌは縄文人の直系の子孫』という断言は決して言えない。

では北海道における古人骨の発掘地域とそれぞれのDNAが採取・解析が成功した古人骨の時代の図①を提示しておく。表示内の『n』は人数を表す。

あと北海道の地形が分かるカラー図②も添える。申し訳ないが、このカラー図と遺跡の地点を脳内で『重ねながら』見て欲しい。



北黄金貝塚     縄文前期   2人
八雲コタン温泉遺跡 縄文前期〜中期 1人
入江貝塚      縄文前期〜後期 5人
船泊遺跡      縄文後期   14人
高砂貝塚      縄文後期〜晩期 4人
栄磯遺跡      縄文晩期  1人
釧路緑ヶ丘遺跡   縄文晩期  1人

有珠モシリ遺跡      縄文晩期〜続縄文 21人
南有珠6遺跡         続縄文   1人
江別坊主山遺跡      続縄文   1人
茶津2号洞穴遺跡    続縄人   1人
オンコロマナイ遺跡 続縄文   1人
釧路テンネル貝塚  続縄文後期 1人

見て分かるだろう。余りに古人骨の数が少く、地域は山を越え、川を越えと『天然の障害』が立ちはだかる.そして地域もバラバラなら、時代もバラバラなのだ。

(人数が多い所も一つの遺跡に集中し過ぎ)

こんな状況を文系的に例えるならメッセージが虫食いだらけで、読めないのと同じということだ。文章の始まりを古代。終わりになる程、現代とイメージしながら⬇の文章を読んで欲しい。読めるだろうか?

ビッ〇〇〇〇〇〇〇〇

いどこがその価値を〇〇〇〇〇〇のでしょう。

 

担保に〇〇〇〇なに〇あり〇〇ん、〇〇〇沢山持っていて〇〇〇〇利息〇〇〇ません。利息が〇〇〇〇と言う点では、〇〇〇〇よりも駄目〇〇〇

〇〇や株や〇〇〇違い、ビッ〇コ〇ンは〇〇〇〇〇価値を生み出さ〇〇〇〇なのです、〇〇〇〇たお金は1円も増え〇〇ん、欲〇〇と〇〇〇〇次々と現金を〇〇〇〇〇〇てくれなければ回っていかな〇〇〇〇〇〇、だからネズミ講と同じ〇〇〇す。


こんな風に北海道の人類という生物の歴史は虫食い状態なのだ。現れた文字は確かに正確だが、途中がなく欠落している。欠落しているから(正しい文章の)断定が出来ない。これが分子人類学の『現在地』なのだ。

なので分子人類学のフロントランナーの篠田謙一氏は、アイヌは縄文人の末裔の可能性はあるとは言うものの、決して『アイヌは縄文人である』とは決して言わない。


正しい学者としての矜持(プライド)を持つ故に早計な事は言えないのだ。


そして、これだけアイヌ協会やアイヌ擁護派は、現時点のDNAの解析結果をブンブン振りかざして、『アイヌは縄文人の末裔であり、先住民族なのは間違いないのだ!』と喚くのに、何故かアイヌを先住民族である。と助けてくれた『DNAを扱う学問の世界のヒーロー』でしかない篠田謙一氏が更なるアイヌ古人骨DNAの解析を望んでいるにも拘わらず、『我らの先人の遺骨を掘り出して、研究に使うのは先人に対する不敬である!』と言って、そんなにDNAの解析結果を『アイヌは先住民族であり、解析の結果がその証拠である!』と強弁しているのなら、篠田謙一氏の研究に協力すれば、たちまちアイヌが縄文人直系の子孫である事が確定するであろう筈なのに、氏の研究の邪魔をし、頓挫させる動きに出ているのだ。

篠田謙一氏は現代のアイヌのヒーローなのに、
その現代のアイヌは、そのヒーローの邪魔をする。

お陰で篠田教授のこの数年は何とかアイヌ古人骨の研究に協力してもらおうと、アイヌ協会や擁護派を怒らせないよう言葉を必死に選びながら、へりくだる発言ばかりしている。

まるで篠田謙一氏の研究がこれ以上進んでは困るかのように研究の邪魔をするアイヌ協会を筆頭としたアイヌ擁護派……。


こんな奇怪な話はない。



これが北海道における『分子人類学』の現状なのだ。


そもそも伊藤浩士氏が添付した『証拠』という東京大学HPのプレスリリース

 【記者会見「日本列島3人類集団の遺伝的近縁性」】


https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/press/p01_241101.html
これを読んだが、この検証では『現代アイヌ』なる人達の血液を採取して縄文人と比較して近いという『だけ』のものである。

アイヌが縄文人以来の直系の子孫か?否か?の疑問に解答を出すための『必要な答え』の為の材料は『現代アイヌは縄文人のDNAが多く混じっている』というだけの結果ではなく、『いつ、どのタイミングで縄文人に、何処の縄文人以外の血が混ざってアイヌになったのか?』である。

その答えを得る為に何としても欲しい具体的なモノは縄文人のDNA情報はもちろん、

続縄文の時代、オホーツク文化の時代、擦文文化各の時代の古人骨である。もっといえば、千島・樺太・カムチャツカ果ては直ぐ側の大睦の古人骨DNAも必要だ。なのに現代アイヌの遺伝子の解析結果を振りかざして『アイヌは縄文人の直系の子孫である!』なんて、『知識がある人なら』とてもこんな結論、胸を張っては言えない。

こんな、根源で核心である『問』に対して、的外れなものを振りかざして【アイヌは先住民族である!】と言い張るのはなんとも……

①読解力が無いのか?
②アイヌの歴史・分子人類学における『アイヌは縄文人直系の末裔か?否か?』で決定的となる証拠物が何なのか?が分かっていないのか?
③アイヌが縄文人の直系か否かの問の意味の本質が分かっていないのか? 

これらのいずれか、あるいは『全部が分かっていない』としか思えない。


仮にも伊藤浩士氏は人の世を良くしようという、分野で見識を深めようと目指している社民党の党員の1人であると判じているが、分子人類学は正確なれど、いまだコマ(証拠)が足りず、故に不充分な見解にしか達しておらずが現常で、まだ発展の途上の学問なのだ。

その発展の途上段階の知見を、決定的な証拠として振りかざしす知識の浅薄さ、それによる浅い見識では本当にどうにも心持たない。


伊藤浩士氏に人の為、国の為、という『志(こころざし)』があるのならば、もっともっと一層の研鑚してほしいものだ。




次回、
分子人類学の欠落部分を補完するような、『ある研究結果』を紹介したいと思う。

殆ど論文の丸々掲載。なので文章の難解さと量を覚悟しておいて欲しい。