思い出したように戦車企画を書くのさ♪
specification
重さ 28t
全長 6730mm
全幅 2920mm
全高 2438mm
装甲厚 14~45mm
兵装 76.2mm砲×1門
機関銃 ×2挺
速度 49.8Km/h
乗員 4名
革命国で作られた革命的戦車にゃ違いないが・・・・
第二次世界大戦中の戦車開発史で必ず出てくるのが『 T-34ショック 』の話。
この戦車は敵対したドイツ・イタリアの戦車設計者たちを驚かせ、その後の戦車の設計を一変させるほど先進的なものだった。
装甲は敵のドイツ軍戦車の弾をガンガン弾き返すし、主砲は強力、そして走りも速くて、幅広の履帯でどんな荒地も乗り越え、燃費の良いディーゼルエンジンんで長く補給を受けなくても平気。カタログデータは良いことづくめ。
だが敵の弾をガンガン弾き返す装甲が厚いという訳ではない。T-34の装甲の厚みはドイツの重戦車の装甲の厚さには遠く及ばなかった。 だが及ばないが、それでもドイツ重戦車の速く重い弾を『 ガインッ! 』と弾き、『 当たったのに何故 弾き返される!? マジか!? )とドイツ戦車兵たちを驚かせた。 秘密は傾斜装甲にある。
えーと 図解図解・・あ! コレ使わせてもらおう♪
装甲を斜めにしたり丸めたりすると弾のエネルギーの一部の方向が分散し、エネルギーが削がれるの。
傾斜装甲における弾弾きのことを『 避弾経始 』というんだけど、たとえば厚み100mmの装甲鋼板に『 110㎜の鋼板を貫通する弾 』が当たれば、当然撃ち抜かれて、中の人間は悲惨な死を迎える事になるが、100mmの装甲鋼板を斜め45度に傾けたものは「見かけ上、141mmの鋼板の強度と同等」となり、141㎜の弾まで耐えられる鋼板と同じ能力を発揮する。 つまり100mm鋼板がこの状態でいる時、貫通力110mmの弾があたっても『 ガイン!』 と弾き返せる。
そこで『 だとしたら30㎜装甲薄くして70mmにした傾斜装甲だったら、貫通力110mmの弾もギリ弾けるよね。』という発想もでてくる。 3cm分、鋼板を全体的に薄くできたら、( 実際は難しいトコもあるけど )車体はムチャ軽くなる。エンジンの開発での急激な馬力UPは技術的に難しい。 戦争をする車両の軽量化は人命にも関わるので困難だが、軽量化できれば機動力は上がる。敵のウラをかける。 被弾経始は戦車におけるジレンマの大部分を解決してくれたといえる。
それまでの戦車( 特にドイツのやつ )は垂直装甲。 飛んできた弾の持つエネルギーを真っ向から全部受け止めていた。
うーん真四角♪( 参考タイガーI型 ) コレはコレで好きだけどね。
こう( 垂直装甲 )なると敵弾を弾き返すには装甲をドンドン厚くするしかなくなるのだが、ソ連は傾斜装甲だと、装甲の厚さが薄くても、分厚い垂直装甲の戦車の鋼板と同じくらいの防弾能力に迫ると気がついたわけだ。
装甲が薄くなれば重くない分、エンジンはビンビンに快調♪ 反対に厚くなるほど車体重量がかさんで、戦車は鈍重になる。
厚くしたいが、厚くすれば走りは鈍重、しかし装甲を薄くすれば、敵弾がスポスポ貫通してしまう。 それをこの傾斜装甲が一気に解決したというわけ。 まさに革新的な戦車がソ連に現れたという訳だ。
もうね中戦車なのに装甲は薄いから動きは素早いし、重戦車の弾でも、距離と当たり所次第ではギリ弾けることもあったし、
燃料はディーゼルなんで、被弾による爆発的炎上も起こりにくいし、軽くて燃費が良いから燃料満載にすれば補給が滞っても大丈夫。幅広の履帯は、ぬかるみ易いロシアの大地にハマって離脱にあえぐドイツ戦車を尻目に、ロシアの泥濘した大地をウリウリ走り抜けたという。
これ以後、T-34の出現にショックを受けた主にドイツやイタリアの戦車設計士は傾斜装甲の戦車作り一色となり、、、。
ドイツV号パンターや
イタリアはP40なんかを製作することに。
しかし!ソ連はこんなに優秀な戦車の真の活用法を当初は、 まーったく知らんかった(笑)
その原因は『 赤軍の至宝 』や『 赤いナポレン 』と呼ばれた戦車による戦術を研究しつくていた『 ミハイル・トゥハチェフスキー 』を彼を敵視していたスターリンがドイツ側のスパイ容疑で逮捕し、拷問にかけて銃殺にしたからだ。
( 詳しいことはダメダメ戦車話。 ホントにざっくりな歴史編③ 人物伝読んでね )
他にも歴戦の将軍クラスもバンバン処刑したもんだから、第二次世界大戦前当時ソ連軍の将兵の多くは経験不足な上に、スターリンにただひたすら傅(かしづく)だけの『 ボンクラ 』ばかり。
しかし、そこに今は亡き天才だったミハイル・トゥハチェフスキーが編み出した『 縦深作戦理論に基づく・縦深攻撃 』の理論と資料だけが残っていたからサァ大変!
『 縦深作戦理論に基づく・縦深攻撃 』は基本として『 第一の矢となる軍団 』『 第二の矢となる軍団 』の時間差で出撃し、攻撃開始地点から、攻撃終了地点までの間の地域の敵を徹底的に蹂躙し、駆逐し、完全に沈黙させる性質のもの。
簡単に言うと、たとえば攻撃開始地点からゴールまでの100km先までの区間と決めた範囲の敵が死に絶えるまで、自分たちにどんな被害が及ぼうとも、( 戦友が横で死んでも、または自分らが死んでも )決めたゴールまで走らねばならない。というキッツイ注文(オーダー)がついてくる。
そんなキツイ注文だからこそトゥハチェフスキーは自軍の喪失( 兵士の死亡 )を減らすべく、無線装置を作戦に関わる全ての車両に取り付け、無線による連絡と連携を密にすべし! とガッチリ書いていた。
だが、トゥハチェフスキーが亡くなると『 縦深作戦理論に基づく・縦深攻撃 』の理論だけが生き残り、ボンクラ軍部はこのアイデアを頂いたのは良かったが、肝心の攻撃の主軸となるT-34に無線機を付けなかった!
これじゃ仲間との連携もクソもない。
さらに、外を見ながら戦況を把握し、動きを指示するのがリーダーたる戦車長の役目だが。車内に隠れたまま外の様子を伺うことができる『 ペリスコープ( 覗き窓 )がコイツには無い! 』。仕方なしにハッチを開けて外に頭を出せば、簡単に戦車長は敵戦車や潜んだ歩兵の鉄砲の弾にズドン!とヤられた。
さらに!T-34の戦車長は『 砲手( 弾を砲身に詰め込む役 ) 』を兼ねていたので、戦闘が始まると、弾込めに気を取られて、ロクに外の戦闘の展開を把握できない。 そこに来て無線機がないものだから仲間が何を考えているのか分からないし、自分の考えも十分に伝えられない。
結果、戦車隊は隊長の車両のケツにひたすらくっついて回る金魚のフン状態での動きとなり、そこをドイツ戦車にバカスカ撃ち込まれ、死屍累々のあり様に。
T-34/76 そのほか話
1941年にソ連に侵攻したドイツ軍の目の前に現れたT-34/76はそれまでの戦車業界を一変させた。この時のドイツの対戦車(戦車殺しの大砲)といえば、3.7cm砲なのだが、彼ら砲兵がT-34に向けて23発も撃ちこんだが、T-34は弾を全て弾いてピンピンしていた。これにドイツ軍対戦車砲部隊は愕然。
以来、ドイツ対戦車3.7cm砲は『 ドア・ノッカー 』 (T-34に『 コンコン? もしもーし?誰かいますかー? 』 のノックぐらいしか役に立たない砲 )という不名誉なアダ名を付けられる。
でもソ連もソ連で、まずロクな準備(戦車兵の訓練)なしでT-34実戦投入したもんだから、マトモに操縦できる兵がほとんどいなかった。
車両の動きを指揮する車長が砲手も兼ねているから、戦闘中は周りの戦況を伺うヒマ余裕なし!外を見るにしても開くハッチは大きすぎて、敵に見つかりやすいわ、頭を出した車長は狙われるわ。
弾が無くなると砲弾収納ボックスから弾を取り出すわけだが、その収納ボックスは床下。挙句に車内は狭い! 床板を引っぺがすなどのドタバタの間に敵からズドン!
無線機が足りないからの理由で、無線機なしのT-34がいっぱい! そのため戦車兵たちには事前に赤白の旗フリフリの『 手旗信号 』での通信訓練をさせ、『 コレで他の友軍の戦車と交信するのだ。 』と言われたが、戦闘中にそんな悠長に旗フリフリなんて出来やしない。
結局、小隊長の戦車の後ろを部下の戦車隊が金魚のフンよろしく付いて回るしか能がなくなる。高度な連携プレイなど望むべくもなかった。
車両自体は優秀だが、バカスカ撃たれ死屍累々。でも、それでも『 優秀な戦車 』とされたのは、共産主義国だからマズい情報は秘密にし、一方でウンザリするほどT-34シリーズを造りまくって、ゾンビの群れのように大群で敵に挑んできたこと。そして第二次世界大戦に勝った事!
( 推定で4万両以上生産は確実。5万両以上の噂も。 撃破しても撃破しても 現れるソ連戦車 )
そして、トゥハチェフスキーの高度な『 縦深攻撃 』の理論も『 目的達成まで、前進!前進じゃー! 』の『 突撃・突貫攻撃 』に低下。 ソ連戦車兵達は『 Ураааааааа!!( ウラー! 万歳の意味 ) 』の掛け声で、がむしゃらに突撃していた。
よく日本軍は玉砕覚悟の突撃をしたというが、ソ連軍も実は同じかそれ以上に突撃・突貫な軍だった。