映画「光州5・18」 | 田口裕史のブログ

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 映画「光州5・18 」を観た。

 「光州事件」をテーマにした、韓国映画である。


 1980年5月、韓国・光州市において、民主化を求める学生や市民を韓国軍が弾圧するという事件がおきた。軍隊の暴力に対抗する市民の蜂起は当時の政府によって「暴動」「内乱」とされ、軍の行動の犯罪性が公的に承認されていくのは88年の盧泰愚政権成立以降である。死者154名、行方不明者70名、負傷及び連行・拘禁者が4138名とのレポートがあるが、いまだ正確な被害者数は不明と言われる(同事件については、光州広域市の「光州民主化運動」紹介ページ (日本語)、The May 18 Memorial foundation (英語)などをお読みいただきたい)。


 この映画について語るのは難しい。

 単純に「映画」としてみるならば、メロドラマ的なつくりや、殺戮場面の描き方への疑問等、技術的に言いたいことはいくつかある。しかし、いまだ癒えぬ「傷」として残るこの出来事の重さや、事件のなかで痛めつけられた一人一人の人間の記憶とつりあわぬレベルで、「作品」としてあれこれとこの映画を語ることに、どんな意味があるだろうか。しかも、事件の「外」にいた私に、一体何が語れるというのか。そう考えると、キーボードをたたく私の指は止まる。


 インターネット上で、いくつかの映画評を読んだ。

 そのなかで、もっとも印象に残ったのは、金正勲さんがお書きになった「「光州5・18」 28年前のあの日、今思い返す 」だった。

 韓国全南科学大学副教授で、夏目漱石の研究者である金正勲さん は、事件当日、予備校生として、デモをする市民の中にいた一人だという。現場を経験した人間にとって、この映画の重さは私の想像を超えるレベルのものであるだろう。書かれた言葉のひとつひとつに、圧倒された。私などには到底書けぬ文章である。ぜひ、お読みいただきたい。


 映画の最後には、「光州市民の皆さん、どうか私たちを忘れないで下さい。忘れないで下さい」という叫びの場面がある。この場面について、金正勲さんは以下のように述べる。


 「その叫び声は、先頭に立って積極的に闘いながら道庁で死んでいった市民軍と、そこに加われずに傍観していた一般人の間に存在する距離を指し示す。どうしてあなたは生きているのか。なぜ市民軍を救出できなかったのか、という問いに、苦しみと罪悪感を覚えない市民はいないはずだ。多くの市民がデモに参加したが、道庁を守るため最後まで残った烈士は少数であったからである」


 彼の言う「罪悪感」という言葉の意味を、たんに「下を向く」ものと捉えるのは誤解だ。金正勲さんは、「罪悪感に悩む気持ちこそ民主と平和を愛し、その価値を守ろうとする基盤であり、民主主義を脅すすべてのものに抵抗する原動力として働くのではないか」と述べている。

 「自分には関係がない」と割り切ってしまえば、問題との関係は切断される。楽ではあるだろう。しかし、むしろ、問題との関係を痛みとともに抱え続けていこうとする営みの中に、ゆたかな可能性がひらけてくるのではないか。 民主化の運動をたたかってきた韓国の市民たちの、成熟した精神が感じられる。


 彼の文章を読んだあと、私はもう一度、この映画を観た。

 「傍観していた者の罪責」は、1980年5月、テレビの前で事件を「目撃」していた私自身の「罪責」にも重なる。

 個人的には「罪悪感」「罪責」という言葉や意識とは別の角度で問題をとらえたいとは思うのだが、少なくとも、ここには、私がいままで「戦争責任」という切り口で考えてきた問題ともつながる部分がある。私たちの先達たちが行なった非道な事実と向き合うことが、よりまっとうな社会への模索につながると私は言い続けてきた。その意味でも、金正勲さんの文章は私にとって印象深かった。


 ふと、かつてNHKで放映されたドキュメンタリー「私は臆病者―ロシア人の“プラハの春”」(2004年)を思い出した。

 ソビエト連邦で政府批判のデモを行ない処罰された人々と、デモに行かなかった人々それぞれの、その後と現在を追った作品である。

 この作品については、また後日書くこととしたい。




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