すばらしい知恵

 太刀川青年の作戦計画は、どうやら図にあたったようである。
 彼があやういせとぎわで、思いついたのは、リーロフの潜水服と彼の潜水服とが、まったく同じものであることであった。それを太刀川は、うまく利用してリーロフととっくみあいをはじめ、上になり下になりして、隊員たちの目をごまかしたのである。潜水兜の顔を正面からのぞけばいいようなものだが、そんな失礼なことをすると、あとでどんなお目玉をちょうだいするかわからない。ただ二人の言葉を気をつけてきけばわかりそうなものだが、これも、二人がおなじような言葉をどなりあっている以上、水中できく超音波の電話の音色では、ききわけられないのであった。
「おい、なにをぐずぐずしている。みんな、手をかさないか」
「おい、なにをぐずぐずしている。みんな、手をかさないか」
 隊員たちは困ってしまったが、頭のよい奴が、
「ど、どっちがリーロフ大佐ですか。リーロフ大佐の方が、手をあげてください」
 といった。
 が、どっちの潜水大佐も、いいあわしたように手をあげたので、やっぱりだめだった。
「あ、おれのまねをしやがる。おい、みんな、こいつだ!」
 と、一人の潜水大佐が、相手の胸を指さすと、相手もだまっていず、
「何をいう。おい、お前たちにはこのリーロフの声がわからないのか」
「おや、おれの声をまねるとは、こいつふとい奴だ。おい、みんな、早くこいつを銃で撃ちとれ」
「あ、あぶない。おれはリーロフだ。おれの相手を撃て」
 どうもこれでは、どこまでいっても、どっちが本物のリーロフ大佐だか、わかりっこない。
 潜水服の中にびっしょり冷汗をかきながら、生きた心地もないリーロフ大佐は、今は、酒の酔いもさめてしまって、ふうふういっていた。
 その時とつぜん下腹に、はげしい痛みをおぼえた。
「あ、なにをする!」
 といったが、あとはくるしそうなうめきにかわって、どたりとその場にころがった。海藻がびっくりしたようにゆらゆらとゆれて海底の泥が煙のようにたちのぼっている。――太刀川時夫が、さっきからねらっていた一撃が、リーロフの潜水服のよわい箇所の下腹へはいったのである。
「口ほどもないやつだ。さあ、このにせ当番水兵の手足をゆわえてしまえ」
 太刀川は、リーロフの声をまねして、隊員に命令をくだした。
 隊員は、きゅうに元気づいて、そこにたおれているリーロフのまわりにあつまった。そして腰につけていた綱をはずすと、リーロフの手と手、足と足とを、ぎゅっとゆわえてしまった。
(ふーん、やっぱりリーロフ大佐は強いなあ。たった一撃で、相手をたおしてしまった)
 リーロフの強いことを知っている隊員たちは、これで始めて、どっちが本物のリーロフであるかを知って安心したのだ。まったくのところ、彼らはリーロフ以上に腕力のつよい軍人を知らなかったのだから、そうおもうのもむりではなかった。
 リーロフになりすました太刀川は、もうすっかり肚をきめて、きびきびと号令をかけるのだった。
「ほら、むこうに大きな古錨がある。あのくろい岩のかげだ。あの古錨に、こいつをくくりつけておけ。いまに海坊主のえじきになるだろう!」
 なにかこう、らんぼうな、むごたらしい言葉をつかわないと、感じがでないので、リーロフのまねをするのも、らくではなかった。
「海坊主て、なんですか」
 水兵の一人が、ききかえした。
「海坊主を、貴様たちは、知らないのか」と太刀川はわざと肩をそびやかしたが、考えてみると海坊主なんてものは、日本の話にだけあるおばけらしい。
「海坊主とは、海にいる幽霊のことだ」
「海にいる幽霊、ははあ、吸血鬼のことですか。かねてうちの母から、海中にはおそろしい吸血鬼がすんでいると聞いていましたが、な、なーるほど」
 と、水兵はほんとうにして、にわかにがたがたふるえながら、前後左右を見まわしたのであった。