海底を行く

 そんなこととは気がつかないから、リーロフは、物なれた手つきで、潜水服を着こんだ。それがすむと、大きな潜水兜をとって、自分の頭のうえにのせた。いくつかのねじをしめると、それで潜水の用意はできたのだった。
 リーロフは、奇妙な体をごとんごとんとうごかして、同じ部屋のすみに立っている郵便函を太くしたような円柱のところに歩みよった。円柱は開いた。リーロフは、その中に入った。円柱はもとのようにしまった。しばらくすると、どーんという音がした。
 それっきり、リーロフの姿もあらわれず、物音もしなかった。リーロフは、海中にとびだしたのだ。これを見ると、太刀川は、扉のかげから姿をあらわした。
「さあ今だ。今でなければ、海底要塞をとびだす時がない」
 彼は、戸棚から、のこる潜水服の一つをおろし、さっきリーロフがやったとおりそれを体につけた。それは思いの外、らくらくと着られた。最後に大きな潜水兜をかぶり、円柱を開いて、その中に入った。
 その円柱の壁には、番号のついたボタンがあった。それを一つずつ押してゆくと、円柱はひとりでに閉じ、やがてしゅうっと圧搾空気の音がしたかと思うと、彼の体はどーんと上にうちあげられた。
 ぐらぐらと目まいがした。気がついてみると、彼はすでに海水の中にあった。いや、海底にごろんと横たわっていたのだ。
「おい、なにをぐずぐずしているのか。はやく向こうへならばなければだめじゃないか」
 腰のあたりをけられたので、彼はしまったと思いながら起きあがった。ふしぎにも、水中で相手のいうことが聞える。超音波を利用した電話が、この潜水兜の中にとりついているらしい。
「おい、はやく行け。おくれると、後でほえ面をかかなければならないぞ。水中焼切器は向こうにある。それをもって、商船の底を焼切るんだ」
 太刀川の前に立って命令をしているのは、何者だか、よくわからなかった。太刀川は、こっちの顔を見られまいとして、顔をあげないので、相手の潜水服の足だけしか見えないのだ。そのうちに、その足は向こうへふわりふわりと動いて、立去った。
(逃げだそうかと思ったが、なかなか見張がきびしいようだ。どうなるか、ともかくも、潜水隊員と一しょに、しばらく仕事をしてみよう)
 太刀川の肚はきまった。
 五十メートルほど向こうの海底に、二十四、五名の潜水隊員が整列していた。いずれも同じような恰好だから、誰が誰だかわからない。
 ここは相当ふかい海底と思われるが、水がほとんど動かないところらしく、海藻が腰の深さに生えしげっている。その上を、鯛の群がゆらゆらと泳いでゆくのが見える。
 海底が、意外に明るいので、あたりを見まわしてみると、どうやら海底要塞の方から、つよい光を出して照らしつけているらしく、体をうごかすと、影が幾重ものあわい縞となってふるえるのであった。太刀川は、めずらしげに、あたりに注意をくばりながら、隊の方へゆったりゆったり歩いていった。
 海底に隊員をならべて、その前で足をふんばったり、手をのばしたりしてしゃべっているのは、たしかに副司令リーロフにちがいなかった。
「いまから二時間のうちに、船底に穴をあけて、積荷をとりだすんだ。おれの命令するもののほか、なにものも取出すことはならんぞ。よいか、わかったな」
 そういって、リーロフは一同をずーっと見まわした。
 その時リーロフのぐにゃぐにゃした体が、急に化石のようにかたくなった。
「おや?」
 彼の口から、おどろきの言葉がとびだした。彼は右手をつとのばすと、太刀川の方を指さして、
「おい、そこにいるのは何者だ。名前をなのれ」
 太刀川は、ぎくんとした。なぜリーロフは自分をうたがったんだろうか。
「当番の一等水兵マーロンであります」
 とっさの返事だった。
「なに、マーロンだって。ふふん、おれをだまそうと思っても、そうはゆくものか」
 というと、隊員の方をふりかえり、
「おい、みんな。あそこにおれの潜水服を着ているあやしい奴をとりおさえろ。胸のところに、これと同じように大佐の縞がついている潜水服を着ている奴だ!」
「しまった!」
 太刀川は、思わず声に出して叫んだ。潜水服のところに、妙な縞模様がついていると思ったが、これは共産党大佐の徽章であったか。