売られゆく神さま

「われわれロップ族は、ぜひクイクイの神を買うことにする」
 ロップ島の酋長ロロが、ミンミン島の酋長ミンチの肩をたたいていった。
 酋長ミンチは、それをきくと、ぐっと胸をそらして、
「よし、いよいよ買うか。では、そのかわり、わしがほしいといったものを、こっちへよこすか」
「それは承知した。ちゃんと持ってきてある。これこのとおりだ」
 酋長ロロがとりだしたのは、なんと一枚のやぶれたシャツだった。
「おう、それだ。わしがほしくてたまらない物は!」
 酋長ミンチは、破れシャツをひったくった。
「おう、これこれ、すばらしい宝物だ」
 ミンチは破れシャツをなでまわして、よだれをこぼさんばかりの喜びようだ。
「では、こっちは、クイクイの神をもらってゆくぞ」
「たしかに、とりかえた」
 破れシャツ一枚とクイクイの神との取りかえっこだ。
 クイクイの神は、これをきいてがっかりした。自分の体が、破れシャツ一枚にかえられるとは、なんというなさけないことだと思った。
 ロップ島の原地人たちは、クイクイの神を手に入れて大喜びである。これでこそ、はるばる遠い波の上をここまでやってきたかいがあったと、たがいに顔を見合わせ、きいきいごえを出してうれしがっている。
 それからすぐに、クイクイの神こと三浦須美吉は、ロップ島の原地人にまもられて、酋長ミンチの椰子の木の家からくらい地上におりた。
 ミンミン島の原地人は、だれ一人、三浦をおくってこない。彼等には、夜の地上はこの上もなくこわいからだ。
 ロップ島の原地人は、クイクイの神を手に入れて、まるで凱旋でもするような賑やかさだ。あの死ぬくるしみをしていた女までが、先にたってさわいでいる。
 海岸には、丸木舟が五隻ほど待っていた。
 三浦クイクイの神は、もうこうなってから逃げようとしても、とてもだめだとわかっているので、おとなしく丸木舟にのりこんだ。
 やがて丸木舟は、櫂の音もいさましく、まっくらな海の上を走りだした。
 磁石もなにももたぬ原地人たちは、星を目あてに、えいえいとこえをそろえて漕ぎゆくのだった。舟は、矢のように走る。夜の明けないうちに、五十キロも先のロップ島へかえりつかねばならないのだ。
 三浦須美吉は、酋長ロロが舵をとる丸木舟の舳にしゃがんでいたが、目が闇になれてきたとき、原地人たちはいつの間にか、ミンミン島で鼻までたれてかむっていた頭巾をぬいでいるのがわかった。
 ロップ島の原地人たちは、太陽の光をおそれて、昼間はその深い頭巾をかぶり、夜が来てあたりがくらくなると、それをぬぐ習慣だということを後で知った。
 さいわいに海は畳のように平らかで、三浦須美吉は大して疲れもしなかった。もう三十キロも来たであろう。時刻もそろそろ夜中の十二時ちかくになるとおもわれる。
「がんばって漕げよ、若い者たち、もうあと半分もないぞ」
 酋長ロロは、こえをはりあげて、はげました。原地人たちは、きいきいごえをあげて、酋長の命令にこたえた。
 その奇声をじっときいている三浦須美吉は、ふだんののんきな性質もどこへやら、たえられないほどさびしい心になった。
(ああ、おれは今、二十四の青年だが、いったいいつになったら、救いだされて、あのなつかしい日本へかえれるだろうか)
 そう思うと胸がせまって、ほろほろと頬の上にあつい涙がながれた。
 その時だった。
 酋長が、何かするどいこえで叫んだ。
 原地人たちは、酋長の叫びをきくと同時に、ぴたり櫂をこぐ手をとめてしまった。そして、き、き、きと妙な声をあげ、あわてて例の頭巾を頭からすっぽりかぶった。
(どうしたのだろう?)
 三浦は、ふしぎにおもって、首をぐるぐるまわした。すると、はるか後の方に、ぴかぴかとへんに光っている物があるではないか。
「おや、あれはなんだ」
 よく目をすえて見ると、くらい海の一てんから、青白い長い光がすーっと出て、横にうごいている。
「探照灯みたいだが――」
 と思っていると、こんどは別のところから、ものすごい火柱が二本も立ちあがって、それからまっ赤な火の玉が、ぽろぽろと海面へおちはじめた。
 やがて、そのどろどろと宙にもえていた火柱の色が、急に赤みがかってきた。それと同時に、火柱のたっている近くの海が、急にぼーっと明るくなった。
 海が光りはじめたのだ。海の上だけではない、海面の下までが、電灯でもつけたかのように光っている。
 原地人たちは、もう櫂をこぐどころか、ただ口々に神への祈りをくりかえしている。
 そのとき酋長がふるえごえで、三浦によびかけた。
「おう、クイクイの神よ、われわれロップ島の人民を、おそれの谷にたたきこむのは、あの魔物であるぞ。クイクイの神の力によって魔物のあの光る息をおさえつけてもらいたい。そうすれば、われらは、クイクイの神にどんな宝物でもさしあげるだろう。た、たすけたまえ」
 三浦は、あああれこそいつぞやの大海魔にちがいないと思った。海魔というが探照灯や信号弾のようなものを放っている様子を見ると、動物ではない。何か恐るべき科学の力によって仕組まれているものとにらんだ。では、大潜水艦みたいなものか、いやそれにしても、大きさからいって潜水艦どころのさわぎではない。
 三浦は、酋長ロロにたのまれた以上、ここでなんとかしてクイクイの神の力をあらわさなければならないのだ。そこで彼は、あやしい光にむかって大きなこえで、呪文をとなえだした。もしそれを日本人がきいたら、腹をかかえて笑いころげたろう。磯節の文句を調子はずれにどなっていたのだったから。
 すると、まもなく海上を照らしていた火がぱっと消え、ついで海中の光もなくなって、ふたたび闇の世界にかえった。
 丸木舟の上の人たちは、これこそクイクイの神の力できえたものと思い、よろこびの奇声をあげて、クイクイの神をたたえるのであった。
「そら、こげ、今のうちだ!」
 酋長の号令に、丸木舟は、またもや矢のように海上をはしりだした。
 そして東の空がうっすりと白みはじめたころ、ようやくロップ島の岸につくことが出来た。
 ロップ島! この島から、海魔があばれている海魔灘まで、わずかに十キロあまりしかないのである。