クイクイの神

「おう、クイクイの神だ!」
「クイクイの神よ。われにつきまとう悪霊をはらいたまえ」
 ミンミン島の原地人たちは、てんでに口のなかでつぶやきながら、クイクイの神にむかって、平つくばって礼をするのだった。
 ロップ島の原地人たちは、目をぱちぱちして、この有様を見まもっている。
 クイクイの神は、ゆったりゆったりと、広間の中へすすんでいった。頭の毛をぼうぼうと生やし、その頬には、まっ黒なひげをもじゃもじゃとのばしている。へんてこな神さまだ。
 それもそのはずで、じつはこのクイクイの神は、日本人なのである。神さまをとらえて、いきなりこれが日本人だといっても、だれもほんとうにしないかもしれないが、この神さまは、その名を、三浦須美吉という日本人なのだ。
 三浦須美吉といえば、あたまのいい読者諸君は、きっとおぼえているであろう。城浩史中佐が太刀川青年に話した、あの瀬戸内海上で、大海魔に出あったという第九平磯丸の若き漁夫三浦スミ吉のことである。
「大海魔アラワレ――アレヨアレヨトオドロクウチ、口ヨリ火ヲフキ、鉄丸ヲトバシ、ワガ船ハクダカレ、全員ハ傷ツキ七分デ沈没シタ。カタキヲタノム」
 この悲壮な遺書を、鉄丸の破片とともに空缶の中に入れ、海中に投げこんだ、そのあわれな遭難漁夫三浦スミ吉が、今ここでクイクイの神となりすまし、ミンミン島とロップ島の原地人の前に、とりすました顔で立っているのだ。
 ちょっと信じられないふしぎな話である。
 ところがその訳はこうなのだ。この三浦須美吉は、遺書を海中に投げこんでから、船は沈んだが、自分は海上にうかび、ちょうどそば近く流れていた船の扉にすがって漂いつづけ、運よくこのミンミン島に流れついたのである。
 それにしても、どうして三浦がクイクイの神となりすまして、原地人たちからそんなにあがめられているのか。
 三浦に言わせると、流れついた島の人の中にあって、自分の命を安全にしておくためには、神さまになるのが、一番かしこいやり方だとおもったからだそうだ。そして、それはきわめて訳のないことだったというのである。
 どうして?
 そのわけは、これからクイクイの神が始めることを、しばらく見ていれば、ひとりでにわかるだろう。
 クイクイの神は、ちょっと気むずかしい顔をして、二人の酋長のまえにすすみ出た。彼はえへんと咳ばらいをしておもむろに腕をくみ、
「こりゃ、願は何事じゃ!」
 と、おぼつかない原地語でいった。
「おう、酋長ロロよ、クイクイの神が願をきかれるぞ、早くおまえのつれてきた病人をここへ出せ」
 酋長ミンチがさいそくすると、
「これ、病人を前へつきだせよ」
 酋長ロロは命令をした。
 ロップ島の原地人たちは、いちどきに立ちあがって、その中に立っていた一人の若い女をかつぎあげて、クイクイの神の立っている前に、まるで土嚢でもなげだすように荒っぽく、どんとおいた。
 女は、悲鳴をあげながら、床の上にうつむけになってころがると、両肩を波のようにうごかして、くるしそうな息をついているのであった。いかにも重病でくるしんでいるらしい。
 クイクイの神になりすましている漁夫三浦須美吉は、その様子をじっと見ていたが、やがて両手でもって、女の顔をぐっと正面にむけた。
 女は、これからクイクイの神に何をされるのかと、あまりのおそろしさに、手足をぶるぶるふるわせている。