十分ののち

 暴風雨中のこの大冒険を、艇員や乗客は、操縦室、そのほか方向舵の見える場所に、顔をおしつけあって、どうなることかと見まもっている。
 瀬戸内海委員長ケレンコも、ピストルをにぎりなおして、艇員を見はっていながらも、やはりリーロフの身の上が案じられて、ともするとその注意力は、艇外にゆきがちであった。
 それを待っていた者があった。
 艇の後部にいて、さっき電話機で艇長とうちあわせた艇員の一団であった。彼らは、ひそかに操縦室の入口にせまり、ケレンコの前に両手をあげて、つったっている仲間たちの肩ごしに、ケレンコの様子をじっとうかがっていたのだ。
 うちあわせた十分間は、もうすぎていた。
 その中の一人、貨物係主任のレイという男が、この時うしろにむかって片手をあげた。
(おい、用意はいいか)
 という合図だった。
 レイの片手が、さっとおりた。
(それ、とびかかれ!)
 五、六人のものが、ぱっとケレンコにとびついた。
「あ、こいつら、何をする!」
 ケレンコはさっと身を横にひらいて、ピストルの引金をひいた。
 カチリと音がしただけだ。しまったと、また引金をひいたが、これもカチリといっただけであった。三度めに引金をひこうとしたとき、おどりかかった艇員のために、またたくまに、その場におさえつけられてしまった。悪魔のごとく、おそれられている共産党瀬戸内海委員長としては、あまりにあっけない捕らわれ方だった。
「さあどうだ。じたばたすると、首をしめちまうぞ」
 艇員たちは、急に鼻息があらくなった。
 ダン艇長は、この時ケレンコにむかい、
「どうです。ケレンコさん。何かいうことがありますかね。あの停電のくらがりで、あなたが懐中電灯を出そうとして、ピストルをおかれたのはお気の毒でした。そのすきに、太刀川さんのいいつけで、中国人少年の石福海が、弾をすっかり抜きとってしまったのですからな」
 ケレンコは、大ぜいの艇員におさえつけられながらも、胸をはって、
「そうだったか。よし、じゃ一たんは、おれの負としておこう。あの日本の青二才に、うまくひっかけられたかたちだ。しかし見ていろ。いまにお前たちは、おれの前に平つくばってお助け下さいと言うようになるぞ」
「何をぬかす、この強盗殺人めが!」
 と、艇員のひとりが、ケレンコの横面を力一ぱいなぐりつけた。
 こうして、ケレンコは、ともかくもかたづいた。だが艇外の大冒険はどうなったであろうか。
 これをたくらんだ太刀川時夫は、大男のリーロフをたくみに艇外にさそいだして、ケレンコをおさえる機会をつくったのだ。
 はたしてケレンコは、あっけなくつかまり、リーロフは、大きな体をふきとばされまいとして、力のかぎり、尾翼のつけねにとりついている。もちろん彼は、ケレンコがとりおさえられたことなど、知るよしもない。