悪魔の虜

「さあ、お客さんたちも、艇員どもも、これで様子は万事のみこめたろう。うわっはっはっ」
 酔っぱらいのリキー――ではない潜水将校リーロフは、ピストル両手に、すっかり勝ちほこって、仁王さまのような顔をほころばせてあざ笑った。
「いいかね。これから、ケレンコとおれとが、ダン艇長にかわってこのサウス・クリパー号の指揮権を握ったんだぞ。不服のある奴は、遠慮なくおれの前へ出てこい」
 大男のリーロフは、両手のピストルを、これ見よがしにふりまわしながら、人々をにらみつけた。
 この恐しいけんまくの前に、誰一人あらわれる者もなかった。
 それにしても、気がかりなのは、日東の熱血児太刀川時夫のことではないか。どうしたのか、彼は先ほどからちっとも姿を見せないのだ。一たい何をしているのだ。彼もまた、ケレンコとリーロフの勢いにのまれてしまったのであろうか。
 いまや大飛行艇サウス・クリパー号は、おそるべき共産党員のため、すっかり占領されてしまったようである。
「おい、ダン先生」
 ケレンコはいった。
「これで写真電送の器械も役にたたなくなったし、無電装置もこわれて、外との無電連絡は一さいだめになった。そこでこんどは、この艇の操縦室へ行く番となった。さあ案内しろ」
「私がか」
「そうだ。君は人質なんだ」
 ダン艇長はいわれる通りにするほかはなかった。
 艇内にある武器は、潜水将校リーロフがすっかりおさえてしまった。艇員たちが、ひそかにポケットにかくしもったピストルも、みなリーロフにまきあげられてしまったうえ、頤がはずれそうなほどつよく頬をぶんなぐられた。乗客たちも、一応しらべられたが、この方は、ほとんど武器を持っていなかった。
「おや、四十九番と五十番との席があいているじゃないか。ここの二人の客はどこへいった」
 とつぜん大男のリーロフが、眼をむいた。
「さあ。存じませんねえ」
 リーロフのお伴をしている艇員が、首をふった。
「じゃ、乗客名簿を出せ。四十九番と五十番とは誰と誰か」
 リーロフは艇員の手から名簿をひったくり、太い指さきで番号をたどった。
「うむ、四十九番は石福海。五十番は太刀川時夫。ははあ、そうか。あいつは日本人だったのか。ふふん、うまく逃げたつもりらしいが、なあに今にみろ。素裸にひきむいて、あらしの大海原へおっぽりだしてやるから」
 リーロフは、ゴリラのように歯をむいてつぶやいた。
 一方、ケレンコ委員長は、ダン艇長をひったてて、操縦室へのりこんだ。
 操縦室は、一面に計器がならんでいた。そしていろいろな操縦桿やハンドルがとりつけてあった。そこには五人の艇員が座席について、熱心に計器のうえを見ながら、操縦をしたりエンジンの運転状態を見たり、航路を記録したり、いそがしそうにたち働いていた。
 だが、ケレンコがはいっていったとき、五人の操縦員の顔は、いずれも紙のように白かった。彼等はすでに、艇内におこった大事件を知っていたのである。
「おい、皆。わがはいが、ただ今からダン艇長にかわって、この飛行艇の指揮をとることになった。わがはいの、いうことをきかない者は、たちどころに射殺する。いいかね、命のおしい奴は、命令にしたがえ」
 それを聞くと、五人の操縦員は、いいあわせたように、ぶるぶると体をふるわせた。