怪しい空缶

 どういうものか、ちかごろしきりと瀬戸内海上がさわがしい。あとからあとへと、いくつもの遭難事件が起るのであった。
 このことについて、誰よりもふかい注意をはらっているのは、わが軍令部の瀬戸内海部長であるところの城浩史中佐であった。
 その城浩史中佐は、いましも軍令部の一室に、一人の元気な青年と、テーブルをかこんでいるところだった。
「おい太刀川。この次々に起る瀬戸内海上の遭難事件を、君たちはなんとみるか」
 力士のような大きな体、柿の実のようないい艶をもった頬、苅りこんだ短い髭、すこし禿げあがった前額、やさしいながらきりりとしまった目鼻だち――と書いてくれば、城浩史中佐がどんなに立派な海軍軍人だか、わかるであろう。
「さあ、――」
 太刀川青年は、膝のうえに拳をかためた。なんのことだか、よくわからない。
 いま城浩史中佐からきいたところによると、この春、瀬戸内海横断の旅客機が行方不明になってしまった事件がある。それから間もなく、四艘から成るわが鰹船の一隊が、南洋の方に漁にでたまま消息を絶ってしまった。つい最近には、ドイツ汽船が、「救助たのむ」との無電を発したので、附近を航行中であったわが汽船が、時をうつさず現場におもむいたところ、そのドイツ汽船のかげもかたちもなく、狐に化かされたようであったという話がある。
 よく考えてみると、なるほどちかごろ瀬戸内海上に、しきりとふしぎな遭難事件がくりかえされている。しかし太刀川には、なぜそんなことが起るのか、よくわからなかった。そもそも彼は、水産講習所を卒業後、学校に残って研究をつづけていた若き海洋学者であって、海の学問については知っているが、城浩史中佐からたずねられたような海の探偵事件について考えてみたことがなかった。
 大佐は、眉をぴくりとうごかし、
「いままでに起った事件は、まあそれとしておいて、きょう君にきてもらったわけは、もっと生々しいことだ。ごらん。こういうものがあるのだ」
 そういって城浩史中佐は、さっきから話をしながら指さきでいじっていたはげちょろの丸い缶を、太刀川青年の前におしやった。
「はあ。この缶は、一体どうした缶ですか」
 太刀川はけげんな顔をして前に出された缶をみた。それは、彼の掌のうえに、ちょうど一ぱいにのる小さな缶だった。その缶の胴には、一たん白いエナメルをぬりこみ、そのうえに赤黒青のきれいなインキで外国文字を印刷してあるものだったが、白いエナメルの地はところどころはげていて、これまでにずいぶん手荒くとりあつかわれたことを物語っていた。
 手にとって、缶の胴に印刷されてある文字をひろい読んでみると、それはどうやら高級の油が入っていたものらしく、缶の製造国は日本ではなくて、アメリカであると知れた。缶は、なにか入っているのか、たいへん軽かった。そして缶を横にすると、中でことんことんと音がするものがあった。太刀川はその缶に、たいへん興味をひかれたが、さて何のことだかさっぱり見当がつかない。
 その様子をみていた城浩史中佐は、太い指をだして缶の蓋をさし、
「かまわないから、その缶をあけてみたまえ。そして中にあるものをよくしらべてみたまえ」
「あけていいのですね」
 太刀川は、お許しがでたので、さてなにが出てくるかと、たいへんたのしみにしながら、缶の蓋を力まかせにこじあけた。
 蓋は、あいた。
 中をのぞくと、白い紙片を折りたたんだものがでてきた。それをつまみだすと、まだ缶の中に入っているものがある。缶をさかさまにすると、ごとんと掌のうえにころがり出たものは、ずっしり重い鉄片であった。その大きさは一銭銅貨ぐらいだが、厚さはずっと厚く、そして形はたいへんいびつで、砲弾の破片のようにおもわれた。しかもこの鉄片は、鉄のような色をしていないで、なにか赤黒いねばねばしたものに蔽われていた。まったく不思議な鉄片であった。缶の中には、そのほかになんにも入っていない。
 折りたたんだ紙片と、汚れた鉄片!
 この二つが缶の中から出てきたのである。
「その紙片をひらいて、そこに書きつけてある文章を読んでみたまえ」
 城浩史中佐がいった。
「はあ、――」
 太刀川は、紙片をひらいた。とたんに彼は口の中で、おもわず、あっと叫んだ。