どぉーも♪
最近ブルーライトカットのメガネにハマっているタジリンでぇいす♪説明するまでもないかもですが、LEDライトの普及に伴って、様々な光のうち、ブルーライト(青色の光)が目や体に与える影響に注目が集まっています。
っっっってー!!真面目そうな話になりかけましたが、安心してください!!いつものタジリンですよ~(ヘラヘラ~)
そんな堅っ苦しくライトの話をするつもりはなく、単純にブルーライトカットのメガネで目の疲労だったり、肩こりだったり、良質な睡眠のために役に立つんかなとお試し中なわけですよ♪
自分で言うのもなんなんですが、、、こういうグッズに頼ろうとしているわけではないんです。もちろん日常の行動だったりがもっともっと重要なことはわかってんですけど、試したくなるんですよね~。
好奇心で試したくなるというより、こういう商品って、人の役に立つと信じて研究者たちが作ってるわけじゃないですか~。テンション上がってくるんですよね♪
アナタの魂の一品試させてもらいますっっ!!そんな具合です。
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また、ただいま
自己紹介シリーズ開催中
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か~ら~の~、
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さてさて、話は一気に変わりますが、みなさんは自分を責めちゃったことがあるだろうか?わたしは自分のことを責めた経験がわりとある。
何かが上手くいかなかったり、自分のせいで失敗してしまったり、誰かに迷惑をかけてしまった時などがそれに当たる。
まぁ、お子ちゃまでしたね。自分を責めれば相手が許してくれるとか、自分さえしっかりすれば、何事も上手くいくぐらいに考えていたんですから(笑)
自分を責めてる時間も人によっちゃあ将来のバネになるケースもあるんだろうが、自分を責めるヒマがあるなら考えて前に進めよ的な。。
自分を責めて、前進することを嫌がっていた自分がいたような気がする。そんなウダウダしてると、まわりの人にも良い影響は与えてなかっただろうな。
と、、、言いつつ過去の自分を責めている??もっと悲惨な感じになってしまっているので、この辺でシフトチェンジしてみよう♪
ここから話したいことは、「自分を責めること」と「自分に責任を持つこと」についてだ。この区別がしっかりと出来た時に、人は初めて新しい選択ができると考えている。
さらにさらに言えば、責任の枠が広がれば広がるほど選択肢は広がっていく。しかし、自分を責めることに囚われていては、その枠を越えた選択が見えなくなっていく。
また、責任というと、敢えて自分から背負いに行きたくないものだと感じる人も多いかもしれないが、責任を自分で背負うからこそ自由にもなれる。
責任という言葉を使うからややこしく聞こえるかもしれないが、「自分に責任を持つ」ってことは、「自分以外の何かの責任にはしない」ってことだ。何かってのは、環境であり自然であり人のことだ。
○○だから○○になったと現象面の話であれば、まだマシなほうだ。これが○○だから○○という気持ちにさせられたと感情面の話になっちまうと気の毒になってくる。感情が事実を捻じ曲げた瞬間だ。(もちろん本人の中ではそれが事実となるだろうが)
「自分以外の何かの責任にはしない」とは言ったものの、「全てを自責で考えろ」みたいなマインド体育会系のセリフは嫌いなので別の表現にする。
「他に自分が出来ることはなかったか?」
この言葉は「自責」とは大きく違う。「自責」のままでいると、冒頭に申し上げた、自分を責めることに囚われていてはその枠を越えた選択が見えなくなる。つまりは、視野が狭くなってしまう。
「他に自分が出来ることはなかったか?」こっちの言葉は、自分の可能性にスポットライトをピッカピカーと当てるものだ。何が悪かったとかではなく、A君でもなくBさんでもなく、アナタが他に出来ることはなかったのか?
これ考えだすとドキドキが止まらなくなります。自分の可能性に気づくってことは本田K介さんのマネをさせていただくなら、「のびしろ」に気づいたこととイコールですからね!!
(失礼、J.ダビッドソンさんが広めた言葉でした♪)
人はね、気づかないと行動しないもんなんです。今行動できてないからといって自分を疑っちゃあいけませんぜぇ旦那。。気づけたのなら、間違いなく「のびしろ」あります!!
うわ~、久しぶりにメンタル応援団長みたいな記事に仕上がってもーた(汗)
たまには熱く応援してもいいよね~♪
誰をだよ!!
本日も最後までお付き合いいただき
誠にグラーツィエ♪