おはようございます。
お天気が良くありません。
寒いですね
本当にお陰様で、息子の卒業式も無事に終えることが出来ました。
学校関係者の皆様、改めてありがとうございました。
式が終わるまで、私と娘は駐車場の車の中で待っていました。
体育館から続々と卒業生が出てくるタイミングで外に出て【花道】に、遠目ではありますが参加しました。
花を片手に、二年ほど前に身長が逆転した妻と2人で歩いて来ます。
拍手をしながら娘と2人で「おめでとう‼️」と声を掛け、最後にたくさん写真を撮りました。
帰路に就く為、車に乗り込んだら
『はい、これ。』
手紙を手渡してきました。
【両親へ】
と書かれた手紙は、お父さんとお母さんへ向けた、息子なりの精一杯の感謝の気持ちが便箋二枚にびっしり書かれていました。
私は運転中でしたので、妻が"朗読"してくれました。
息子は目の前で、声に出して読まれて少し恥ずかしそう。
泣きました。
本当に6年間は長かった。
本当に長いですね6年というのは。
息子には中学年の時に、転居による転校もさせてしまいました。
それでも、二つの学校で6年間1日も学校を休まず"皆勤賞"も頂きました。
(通院での遅刻・登校中、骨折して午前中早退はありましたが)
本人がどれ程頑張ったか。
空手も黒帯を取るまで、一生懸命練習に励んできました。
手紙の中には私の病気を心配する言葉もありました。
桜の前で最後に撮った家族写真を改めて自分を見てみると、自分が
【おじいちゃん】の様に見えました。
痩せて。顔も白い。
ほとんど出歩いていないのでしょうがないか
桜の花を見ると、いつも
明智光秀の娘、細川ガラシャが自害する際に読んだ、辞世の句が頭をよぎります。
「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」
(花は散る季節を知っているからこそ、花として美しい。私もそうありたい。)
※とんでもなく美女だった事でも有名なガラシャ。
その【最期】も壮絶なものとして有名ですよね…爆薬による爆破…。享年38歳でした。
いつ自らの"散り際"が来るのか、
だれも分かりません。
でも私は命の限りこの癌に抵抗し、必ず息子の中学校・高校の卒業式にも出席します。
闘病も仕事も、息子に背中を見せられるよう、
しっかり生きていかないと。