ショックを受けたことがあったので、ちらり。

いやいや、ぽつり。


あのね、mixiには簡単に書いたのですが

今日、「不幸論」という本を読みまして、

影響せれやすいちびっこ精神なわたしは、非常にショックを受けたのです。


知る、と、いうことは喜ばしいことでもあるんだけれども、

そのぶん、同じくらいにデメリットも存在するわけだ。

知ってしまうことで、

知らなかった~、という言い訳は使えなくなるわけだ。


不幸論は、おもしろいものの見方をしているのだけれど、

あくまで一意見と受け入れないと、

冗談じゃなく、この世で存在していられなくなってしまう。

読みすすめていくうちに、

わたし、もう1ページ読んで大丈夫だろうか、耐えれるか?と、

ドキドキしていました。

結果、わたしは、その内容のどこかに言い表せない矛盾を感じてしまったので

彼の意見をまるまる受け入れ、消化(消化、なんて出来そうにないわ!)するにはいたらなかったのですが

とても、疲れてしまったのと、

ポン、と、何か、真っ黒いものを投げ入れられて

型どおりにそれは波紋を広げまして、

心の中に、どうにも解消できないしこりが残ってしまった。

ふと、いつもより弱った夜に、

そいつから芽がでて、根をぐりぐりとはるんではないか、と、

それはもう星のおうじさまの「バオバブの木」のように。

わたしの心すべてを根でおおってしまって力余って、

わたしの心全て砕いてしまうんではないか、と、

不安です。

知らなければよかった。

あんな観念、知らなければよかった。

知らないフリって、もう出来ない。


わたしは、ビデオショップでも図書館でもお洋服やサンでも、

特に下調べもなく、手にとったものと直感で選ぶので、

知れても知れなくても、たまにこういうことがあります。


知れた、ことは、それが苦しくてもいいことなの?

安穏としていたかった。

後味、悪いなぁ。






朝の景色はやっぱり美しくて、風はわたしの頬をさすように、ちゃんと冷たい。


実家から送られてきた林檎が赤くって、赤くって、

林檎を持っている指先にその赤がうつるのではないか、と、ドキドキしていた昨日

久しぶりに、昔からの(高校からだけど昔からって思っちゃう)友達と、会う。


お腹が痛くなるほど笑ってしまう思い出は、

パッチワークじゃなくてちゃんとわたしがつくったものだから、胸をはれる。

思い出と、人間だけは、才能がない人間が純粋にオリジナルでつくれるものなんでしょう。


沖縄料理をおいしいおいしいと言いながらもりもり食べて、

たくさん笑った。たくさんうなづいてもらった。

頭の中できちんと形になる前に口から言葉がこぼれていってしまって、結局困ったりもした。

目張りって言葉を久々に発した。暗幕大将とか 笑

3人乗りや、お昼に食べたクリームパンのクリームの黄色みたいなどうでもいいようなことが

わたしの中で、結晶になって残っているよ。

その結晶は、どんな小さな光にも反射してくれる。

目をこらさなきゃ見えないような小さなところまで、きちんとギザギザしている。

心の一番きれいなところにぴたり、とはりついて

飾っている。

その結晶でピアスでもつくれたらいいのに。


他人を押しのけてまで幸せになりたいんだろうか。

よくわからない。

ゴーヤチャンプルーとソーミンチャンプルーって響きが大好き

チャンプルーって聞くと、なぜか口の中はビーフンの味でいっぱいになる

コートにくっつけるくるみボタンを買いにいく

花とギターの洋服が欲しい

でもお金がないから花柄の布で我慢しよう

そんな脈絡のない、ぼくの、日曜日

元気です。


花とギター

http://www.flower-guitar.co.jp/index.html
買ってください。もれなく好きになります。


あ、秋刀魚食べたい。












最近、やっと。


まよちゃんと仲良くなれた。

ちょっと気になる人があらわれた。

バイト先、楽しい。

話したい、つながりたいと思っていた人々とつながれてきたのに。


留学楽しみだけれど、楽しみで楽しみでいやなことなんか一つもないように思っていたけれど、

案外、残していくものや、わたしがいないうちにかすれちゃうものは多いようだ。


どこかで、薄くなったぶん、わたしは違う場所で濃くなっていくのね。


むん。


冬の景色はセンチメンタル。