幸福の科学を統一教会の信者が見ると -9ページ目

幸福の科学を統一教会の信者が見ると

幸福の科学も統一教会も、同じカルトじゃないかって?まあそうかもしれないけど、幸福の科学を見てるといろんなことを考えさせられるんですよ。「真実は小説よりも奇なり」

昨日はアンビリーバボーな奇跡話を紹介した。

勇気を与えてくれる話ではあるが、
じつは教会内ではそれほど奇跡を重要視しない。

2000年前、イエス・キリストは数々の奇跡を起こした。

イエスの奇跡によって
病気を癒され、
死んだ者が生き返った。

そしてその奇跡を見て、多くの人がイエスに従った。

$幸福の科学を統一教会の信者が見ると
レンブラントの名画「ラザロの蘇生」

しかし、いざ
イエスに対する迫害が激しくなり
いよいよイエスが捕らえられた時、
奇跡を見て付いてきた人たちはみな
クモの子を散らすように逃げていった。

自分の身にも危険が及ぶかもしれない、そうなったとたん離れていったのだ。

外的な奇跡によって信じてついてくる人は
外的な試練によってあっさりと離れていく。


もし奇跡によって信仰にいたることがあっても
それだけでは、ただのご利益信仰にすぎない。

やがて信仰をくつがえす時がくるだろう。

信仰の動機が自分のご利益にあるからだ。

外的な刺激による誘発的な信仰であり、
内的に深く神との絆が結ばれたのではないからだ。



イエスは「再び来る」と約束されて昇天された。

私たちは、もし再びイエスを迎えるようになったとき、
イエスを裏切った弟子たちと同じ過ちを繰り返すことはないだろうか?

そんなことはないと、自信を持って言えるだろうか?

それをしばしば考える。

だから教会内では、それほど奇跡を強調することはないのだ。奇跡によって誘発される信仰には限界があることをよく知っている。


信仰の目的は、失った神様との関係を取り戻すこと。
本当の親子の情を結び、
生涯神とともに暮らすことである。

そして神の心を自らの心とし
そのように生きるように努力すること。
良心に恥じない生き方をすることである。



事故で助かったから信じる?
もし助からなかったら信じない?

信仰とはそんなものではない。
それはあまりにも幼い信仰である。

信仰の本質は別のところにある。

そのことはまた次回に掘り下げて書くことにする。



この記事は昨日の「イイシラセ!まるでアンビリーバボーな本当の話」の続きでした。

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イイシラセ!まるでTV番組「アンビリーバボー」に出てくるような話だ。

と言っても、幸福の科学みたいに
神戸から北海道までドクターヘリが飛んで
大空に大エル・カンターレの文字が出た」
とか
「アメリカ人の信者さんが、
救急車で搬送した先で死亡が確認され、
そのまま救急車で自宅に帰ってきた。
正心法語を読誦すると数時間後に生き返った」
みたいな、設定からしてありえない妄想話でも捏造話でもない。

ブラジルのTVニュース映像。




乗用車が大型トレーラーとぶつかりペッチャンコ、
それなのに運転者は指に小傷をつくっただけという
ありえないような話だ。

ポルトガル語なので何を言っているのかわからないが、
TV局のインタビューアーも興奮している様子がわかる。


じつは彼はブラジルの統一教会員である。
ニュース映像では
教会(家庭連合)のシンボルが入った
トレーニングウェアを着た姿が映し出され、
ベッド上の手には文鮮明師ご夫妻の写真が・・・。

これが日本だったら
TV局に「あなたたちは霊感商法に加担するのか!」と
たちまち非難の電話が殺到するところだろう(笑)

ニュース映像のなかで彼は
「メシア、真の父母様が私を生かしてくださった」と
語っているらしい。(ポルトガル語がわからないので、私は未確認・・・)


メシヤは人間と神をつなげてくださるお方。

信仰の対象は、人間ではなく
どこまでも天地創造の神である。

親(父母)なる神、
全知全能の神であれば、
こんな奇跡をも起こされるのか、
と信仰の力に驚かされる。


ただし、教会内では奇跡の話はあまり強調しない。
その理由は次回「奇跡信仰の限界」に書くことにする。

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幸福の科学の元信者さんが書かれたブログ
「楽山日記」にとても共感する部分があった。

「死に備える方法」という記事。


以下、引用させていただく。


「死後に迷うことが無いように、生きているうちに、霊界知識を学ぶ必要がある」

わたしはこれを聞いて、もっともだと思い、霊界知識の吸収に励んだのだった。けれども、そのうちに次のことに気づいた。

「いくら霊界知識があったところで、良心に反する生き方をしていたら、地獄に堕ちてしまうのだろう。それだったら、死後の幸福のために第一に必要なのは、霊界知識よりも、良心に則って生きることではないか

まったく同感である。

もちろん、霊界知識も大切である。

たとえば地球の真裏の南米に行くというとき、
まったく南米のことを知らずに行けば、行ったあとで大変戸惑うことになる。

まず季節が正反対である。
こちらが冬でもあちらは夏である。

それから言葉が通じない。
スペイン語かポルトガル語である。

日本的感覚で行けば、カルチャーショックの連続だろう。

備えがあるに越したことはない。


しかし、知っていたとしても
本質的に準備するものが何かを間違えば
行った先で全然通用しないということになる。

霊界の知識も知っておけば心の準備ができる。
しかし霊界に行くために本質的に準備しないといけないものは何か?
それを間違えばとんでもないことになる。

楽山さんが書かれているように
「良心にしたがって生きる」
「善く生きる」
これが霊界に行くための何よりの準備であろう。

決して
エル・カンターレを信じさえすればOK
というような安易なものではないはずだ。


「最も大切なことは、罪を犯さず、影のない人生を生きることです。
何が罪なのかということは、宗教的に、また哲学的に多くの論争の種になりますが、はっきりしていることは良心が躊躇(ちゅうちょ)することをしてはならないという事実です。
良心に引っかかることをすれば、必ず心に傷が残るのです。」


文鮮明先生自叙伝「平和を愛する世界人として」より


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エル・グレコの名画「受胎告知」

初期の頃、幸福の科学についていいなと思った部分がある。
聖書について先入観がないところだ。

「イエスの霊言」講義のテープを聞いていて
マリアの処女懐胎に対する大川隆法氏の見解があった。

それは「処女懐胎ではなく
普通の夫婦の営みからだと思う」
というものだった。

キリスト教福音派といわれるキリスト教の派では
聖書を絶対的真理として
聖書に書かれた記述を文字通りに一言一句信じる。


彼らからすると、
「処女懐胎ではなく夫婦の営みからイエスは生まれた」
というのは、聖マリアを侮辱するもの!となってしまう。

しかし現代人にしてみれば、処女で子供を身籠るなんていう話は非科学的で信じられるものではない。

統一原理においても、
宗教と科学の統一がひとつのテーマであり
高度に科学が発達した現代人でも納得できるように、宗教的真理を解明している。

統一原理では、
マリアは処女懐胎ではない・・・というのみならず
イエスの本当の父は誰か?
というところにまで言及している。

(もちろんそこに、神の導き、
聖霊の役事があったと考える。)

キリスト教福音派から統一教会が
「異端」として徹底的に排斥されるのも当然のことである。


大川隆法氏も「マリアの処女懐胎」を例にして
「キリスト教にも洗脳的要素がある」
と語ったことがある。


福音派のように文字通り聖書の一言一句を信じるのではなく
歴史的・組織的な教理体系から離れ、
個人が霊的なインスピレーションを受けながら自由に聖書を解明する自由主義神学の立場もある。

それがためにキリスト教のプロテスタントは
いまや、400以上の宗派に分かれてしまった。


幸福の科学自体は仏教の立場をとっているし、
聖書は教典でもないので、
自由に解釈し、
大川隆法氏はインスピレーションを受けるままに
語ることができたと考えられる。

歴史的・組織的な縛りもない。

それで、より真理に近かったのではないか。


言われるままの「盲信」ではなく、
本心から納得できるまで真理を探し求める者もいるであろう。

幸福の科学においても、
仏法真理を一言一句絶対視して信ずる立場と、
頻繁に変更し実践が伴わない教義体系についていかず、
自由に理性的に解釈する立場の人も出てくるのかもしれない。





「ハリボテの科学」「砂上の楼閣」「ぐるぐるポチ」で書いたような
幸福の科学の無原則な行動パターンを見ていると、

何だか、焦って正常な判断ができなくなってる人に似ている・・・。
心の余裕がないというか、何かに追い立てられているような感じ。

サラ金の返済に追われてるみたいな。

「オレだよ、オレ!」って電話がかかってきて「すぐ振り込まなくちゃ」と慌ててるみたいな。

それとか、
うまい儲け話を聞いて「よし、これにかけてみよう」とさらにお金をつぎ込んでしまうみたいな。


その辺の心理はどこからくるんだろう?と考えていたら
元信者さんのブログにわかりやすく説明してくれていた。

しんしんさんのブログ HSからの解放 Before & After

さらにその記事を、2ちゃんねるの使者さんがPDFファイルにまとめてある。

『幸福の科学』をやめて知った本当の『幸福』



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