幸福の科学を統一教会の信者が見ると -7ページ目

幸福の科学を統一教会の信者が見ると

幸福の科学も統一教会も、同じカルトじゃないかって?まあそうかもしれないけど、幸福の科学を見てるといろんなことを考えさせられるんですよ。「真実は小説よりも奇なり」

みろたんさんのブログに
面白い記事があった。

記事タイトルは、【救世主が、信者を地獄へ道連れにするかな?】

やや日カルトさんブログのコメント投稿をまとめられたものだ。


【救世の法】より引用

p.82-私に騙されても、あきらめてください。もし私が嘘つきだったならば、
そのときには、「まな板の上の鯉だ」と思って、騙されてください。そして、
私と一緒に地獄で修行しましょう。

p.83-どうか、「大川隆法先生に騙されても構いません。地獄までついて
ゆきます」というぐらいの信仰心を持ってください。



????


「この言葉は信仰心を試している言葉じゃないですよ。

地獄に行く覚悟を聞いている言葉ですよ。

教祖は自分が地獄に堕ちるときは信者も道連れのつもりですよ。」

という誰かさんの解説に納得。なるほど。

信仰心って何だろうと考えてみた。


文鮮明師の似たようなフレーズを思い出した。

【1973年 米国講演より】
「我々は、新しい時代の誕生というとてつもない時代に生きています。
皆さんは直ちに神にたずねなければなりません。

『文師が真実を語っているかどうか』と。

どうか私や他の誰かに聞かないで、
直接、神にたずねてください。

心静かに、そして熱心に祈り求めれば神は答えられるはずです。」



似てるけど、全然正反対だ。


「私を信じなさい」ではなくて、
私を信じなくて良いから、神様にたずねなさい。
そして神様の声に従いなさい。


ということだ。

これが信仰の道へ人を導く者の、真実のあるべき姿だと思う。



大川隆法氏の「地獄に一緒に」発言については
他にも思うことがある。

「悪は必ず徒党を組む~地獄へ道連れ」ということだ。

それは次回に書くとする。



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このブログを訪問される方の検索ワードは、なぜかいまでも
「幸福の科学 近藤紫央」
「大川隆法 近藤紫央」
が一番多い。
その次が
「大川隆法 再婚」

もう何ヶ月もたっているのに。

多くの人たちの関心が
「仏陀再婚」にあることを改めて教えられる。

人は誰しも、生まれていつか死ぬ。
その生と死の間の数十年の人生のなかで
最大の出来事が「結婚」であろう。

「結婚」そして「愛」というのは
人生の中で最大の重要キーワードなのだ。

だから「幸福を科学」しようとしたら
それが最大のポイントになる。

四正道の「愛・知・反省・発展」でも
最初は「愛」である。

そこで改めて、幸せな結婚生活の秘訣は何だろうかと考えてみた。



江戸時代に英語が日本に入ってきた時
"I love you." という言葉を訳す適当な日本語がなく
「私はあなたのことが大切なのです」と翻訳したという。

夏目漱石は「あなたといると、月がきれいですね」と訳したとか。ロマンチックだな。

loveを「大切にする」と考えるとわかりやすい。

そして
作用・反作用の法則のように
愛されたかったらまず愛すること。

愛する人は、愛される。
敬う人は、敬われる。
大切にする人は、大切にされる。

これは特に夫婦の関係でも同じで
妻を愛し、敬い、大切にする男性は
妻から愛され、敬われ、大切にされる。

夫を愛し、敬い、大切にする女性は
夫から愛され、敬われ、大切にされる。

当たり前のようで、実践し続けることは難しい。

そして大切なのは、
相手が変化することを願うのではなく
自分が先に変化しなければならない
ということだ。

7つの習慣でいう
「インサイド・アウト」である。


さて、12月に再婚された大川隆法氏は
この3ヶ月、どんな新婚生活を送ってこられたのだろうか?

再婚時、幸福の科学グループ広報局によれば、
『教祖周りの神域・霊域護持は、最も大切な命綱で、1日も疎かにできません。護持能力の極めて高い、
総裁補佐を伴侶として迎えることで、世界伝道への条件が整ったと考えております』 

ということだった。

「護持能力」とか「神域・霊域」とか回りくどいこと言わずに

大川夫妻がお互いに愛し、敬い、大切にする関係であるか?

それが最高の霊域護持なんだと思う。

大川夫妻がそのような関係であれば、いっときは戸惑った信者さんたちも、きっと祝福してくれることだろうし、世界伝道にも拍車がかかるだろう。

しかしもし、そうでなかったとしたら・・・
世界伝道なんて夢のまた夢だ。

だって、きっと大川夫妻の二人とも
全然幸福じゃないから。

幸福の科学ではなくて、不幸の科学になってしまうから。



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ユダヤ教キリスト教の流れを組むヘブライズムの文化は、一夫一婦制が原則である。

旧約聖書の最初、「創世記」の人間創造の記述にその源がある。

「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。」

「主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。
そのとき、人は言った。『これこそ、ついにわたしの骨の骨、わたしの肉の肉。男から取ったものだから、これを女と名づけよう』。

それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。」




それにたいしてギリシャ・ローマの流れをくむヘレニズム文化は、性に寛容である。

幸福の科学は、ヘレニズムの影響下にあると思う。

一夫多妻制?

大川隆法氏の発表した霊言のあちこちにも、それらしき記述がある。

『世界紛争の真実』では
「一夫一婦制は、神の教えとは違う。人間界の掟や契約の問題であり、基本的には、嫉妬心からできている"戒律"である」と私は理解しております。
とあった。


また『松下幸之助日本を叱る』には、
「税金を一千万以上払ったら、結婚は自由です。なんぼでも、どうぞ。イスラム教の人数を超えてもかまへん」というのが、わしの考えやな」とある。

さすがに幸福の科学信者の知人も、この霊言を聞いた時は「最近変なこと言い出したな~」とぼやいていた。

(彼は今はほぼ休眠中のようだ。)

一夫一婦制と一夫多妻制、
男性にとっての幸福とは何か?
女性にとっての幸福とは何か?
幸福を科学しようとしたら、
どの結婚制度が良いのか
聞かずともわかりそうなものだ。



ヘレニズムとヘブライズムについては、以前にもこの記事に書きました。

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幸福の科学では
宗教者のタイプわけに
「表」と「裏」というものがあって、
1990年代に初めて聞いた時は
なるほど、そんなものかと感心したものだ。

自分自身も他宗教ではありながら
霊能力信仰や仙人的な信仰ではなく
正しき心の探求や、人格の向上を目指した
表の王道をいかねばならないと
自らを戒めたものだ。

しかして、最近の幸福の科学、

宇宙人がどうとか
月の裏側がどうとか

それが幸福を科学することと
どう関係があるのだろう?

「こんなことができるなんてすごい!
やっぱりウチの総裁は本物だね」
と喜んでいる信者さんもいらっしゃるみたいだから
それはそれで何か深い意味があるのだろうが・・・。

そこに人格の向上や心の豊かさ、
人間の幸福と何の関係があるんだろうかと
私は理解できないのだ。

霊能力の誇示?

幸福の科学で言うところの
「表」の信仰と「裏」の信仰のタイプで考えると、
もしかして
大川隆法氏って「裏」なのかな?
と思ってしまう。





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「雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
・・・・・」

あまりにも有名な宮沢賢治の詩。
元は手帳に記されていた一片のメモである。

この「雨ニモマケズ」に
実在のモデルがいたという説がある。

その人は宮沢賢治よりも20才年上で、花巻において初めてクリスチャンとなった斉藤宗次郎。

彼が新聞の集金に宮沢賢治の勤める農学校に来たときは、招き入れ、
一緒にレコードを聞いたり親しく語り合ったという。

以下は、「雨ニモマケズ モデル」で検索していて
ネット上で見つけたものだが、
「urlや出典不明」と書かれていたので
全文を引用させていただく。


 宗次郎は、岩手県の花巻に1887年に禅宗の寺の三男として生まれました。彼は、小学校の教師になりますが、内村鑑三の影響を受けて聖書を読むようになり、洗礼を受けてクリスチャンになりました。しかし、それからが大きな戦いのはじまりでした。

 当時は、キリスト教は、「ヤソ教」「国賊」と呼ばれていました。彼は洗礼を受けた時から迫害を受けるようになり、石を投げられ、親にも勘当され、小学校の教師を辞めさせられてしまいました。それだけではありません。迫害の手は、家族にまで及んできました。近所で火事が起きたとき、全然、関係がないのに、嫌がらせで、放水され、家を壊されたことがありました。何度もガラスを割られることもありました。そして、さらにひどい迫害が起こりました。9歳になる長女の愛子ちゃんが「ヤソの子供」と言われてお腹を蹴られ、腹膜炎を起こして亡くなってしまったのです。亡くなる時、愛子ちゃんは、讃美歌を歌って欲しいと言い、讃美歌を歌うと、「神は愛なり」と書いて天に召されたそうです。

 宗次郎はそのような苦しみの中で、神様に祈りました。そして、彼は「御心がなりますように」とくじけることなく神様を信じ、神様に従い続けたのです。普通なら、迫害のない違う土地へ移るところですが、宗次郎は、むしろ、その土地の人々に神様の愛を持って仕えることを選びました。牛乳配達と新聞配達のため一日40キロの配達の道のりを走りながら迫害する人々にキリストを宣べ伝えました。10メートル走っては神様に祈り、10メートル歩いては神様に感謝をささげた話しはあまりにも有名です。

 そして、子供に会うとアメ玉をやり、仕事の合間には病気の人のお見舞いをし、励まし、祈り続けました。彼は雨の日も、風の日も、雪の日も休むことなく町の人達のために祈り、働き続けました。彼は「でくのぼう」と言われながらも最後まで愛を貫き通したのです。そして、1926年に彼は内村鑑三に招かれて、花巻を去って東京に引っ越すことになりました。

 花巻の地を離れる日、誰も見送りには来てくれないだろうと思って駅に行くと、そこには、町長をはじめ、町の有力者、学校の教師、生徒、神主、僧侶、一般人や物乞いにいたるまで、身動きがとれないほど集まり、駅長は、停車時間を延長し、汽車がプラットホームを離れるまで徐行させるという配慮をしたというのです。実はその群衆の中に若き日の宮沢賢治もいたのです。

 それは、彼が「御心がなりますように」と祈り、神様の御心に従った強い信仰と、どこまでも人々を愛し続けた愛の業がそうさせたのだと思います。この人こそ、東に病気の子供あれば行って看病してやり、西に疲れた母あれば、行ってその稲束を負いという宮沢賢治の詩にあるようなことを普通にやっていた人でした。そういう宗次郎の生活ぶりを見ていた、宮沢賢治が、「こういう人になりたかった」という思いを込めて、「雨ニモマケズ」という詩を書いたのではと言われています。


読んでいて涙が出てきた。

イエス・キリストが律法学者から「どの掟が一番重要でしょうか?」と聞かれて答えた言葉、
「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛せよ」
「己れを愛するがごとく、汝の隣人を愛せよ」


この言葉を、全身全霊をかけて実践した生涯のように思う。
まさにクリスチャンの鏡のような人だ。
その如く生きられた救世主イエス・キリストの生き様が、2000年の時を越え、
彼をしてそこまでさせたのだろう。


宮沢賢治は熱心な日蓮宗の信者であったことはよく知られている。
斉藤宗次郎との交流から、少なからぬ感化を受けたことだろう。
宮沢賢治の作品には宗教の枠を越え、時代を越えた世界観がきらめいている。

斉藤宗次郎という人物との出会いから、そのことも理解できるような気がする。

霊界を信じる幸福の科学の信者さんであれば
宮沢賢治の作品に霊界の描写がふんだんなく入っていることも
よく理解されるだろう。


最後に、「雨ニモマケズ」を今一度かみしめたい。

「雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシズカニワラッテイル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニイテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負イ
南ニ死ニソウナ人アレバ
行ッテコワガラナクテモイイトイイ
北ニケンカヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイイ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
ソウイウモノニ
ワタシハナリタイ」



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