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幸福の科学を統一教会の信者が見ると

幸福の科学も統一教会も、同じカルトじゃないかって?まあそうかもしれないけど、幸福の科学を見てるといろんなことを考えさせられるんですよ。「真実は小説よりも奇なり」

週刊文春の7月19日号に、幸福の科学にかんする記事がでるようです。

記事タイトルが「大川隆法『性の儀式』 一番弟子が懺悔告発」、どきっとするタイトルですね。



統一教会に対しても、いままでさんざんこれ系の記事は書かれたから
まあそんな批判もあるよなあ・・・と思いますが。

私がはっきり覚えている文鮮明先生の70才のお祝いの時のスピーチ。

「いままであらゆる中傷を受けてきたが、私は自分のやるべきことに忙しく、
そのような言葉に一切耳を傾ける暇はなかった。
今日、70才になる私だが、80才に向けて、今までよりもっと忙しくがんばるでしょう」

そんな意味のことを語られました。衝撃でした。

どんなにマスコミから叩かれようと、一切気にしていない。
70才となれば引退しても良い年なのに、これからもっと頑張るだって?

そしてそれからすでに22年が過ぎ、
その言葉に偽りはなかったことがわかります。

80才になっても、90才になっても変わらないです。

92才の今も現役で、神様との約束がまだ果たされていないと言われながら、
今日は韓国、明日は米国と世界中を飛び回っておられます。

大川隆法さん、
ちょっとくらいマスコミに叩かれたくらいで
大あわてしないでくださいね。

こんなつまらない本、出したりしないで。



真実は必ず明らかになるときがきます。

誰もが認めざるを得ない実績を積み、
黙々とやるべき事をやるのが王道でしょう。

昔から「お天道様は見ておられる」と言うとおりです。

週刊新潮の編集長が、最新刊で幸福の科学霊言に対して反論しているようです。



この本に対するもの。

かつて「文鮮明守護霊の霊言」に対して、幸福の科学への抗議文が、統一教会公式サイトに掲載されました。

以下の言葉で締めくくられていますが、この批判は、しごくもっともな事だと思います。


他の宗教・教団を貶め、自らのイメージアップを図るという発想は、あまりにも品格を欠くものです。このような書籍を出版し、排他的な姿勢を世に明らかにすることで、大川総裁ならびに貴グループの常識が疑われるだけではなく、日本国民の中の「宗教嫌い」を益々増やす結果となることを憂慮しています。

 いたずらに他の宗教・教団との違いを探し出して攻撃し、足を引っ張り合おうとする姿勢ではなく、それぞれの共通点を見いだし、人類の幸福と世界平和のために手を取り合って努力していくのが、宗教者としてのあるべき姿であると当法人は考えます。

 大川総裁が、そのような建設的な選択をすることを心から祈るばかりです。



霊言を出すたびに、宗教の品位を落としている幸福の科学。
そのことに気がつかず、相変わらず霊言本を連発するということは、
もはやそのような客観的な視点も持てなくなったのでしょうか。

1980年代、幸福の科学から出される霊言本は、もっと生き生きしていて
読んでてもおもしろかったですよ。
「これって本当かも?」と思いましたもん。

でも、ここ数年出される霊言って、聖なる感じがひとつもしない、
何の感動も、感銘も受けない、
読んでて気持ち悪くなるものばかり。

多くの信者さんも、霊言のレベルの低下に気づいているのではないでしょうか?
ザ・リバテイ 2012年5月号。



書店で最初に見かけたとき、
書棚に並べてあって、一番上の見出しだけ見えたんですね。

「独占■インタビュー 勝財務次官、プーチン、馬英九・・・」
へえ、独占インタビュー?と思って手にすると、
幸福の科学の「ザ・リバティ」だった。

しかも「独占」と「インタビュー」のあいだに「守護霊」の文字。
何だ・・・がっかりです。

守護霊の霊言なんて、自己満足的なことはせずに、
直に本人にインタビューしてきてほしい。

できるできないではなく、せめて挑戦してほしいものです。
本気で世界を変えようと思うのなら。

統一教会の文鮮明師のほうが、もっと真摯ですよ。

ゴルバチョフに会ったり、金日成に会ったり。




 

「日銀総裁とのスピリチュアル対話」とか「財務省のスピリチュアル診断」とか、
日銀総裁と財務省事務次官の守護霊の霊言が発刊されていて、
これが財務省や経済学者のなかで話題になっているらしい。
言論界にも衝撃を与えているらしいです。(←リバティメールによると)

そもそも守護霊を呼び出して対談するということ自体が
あやしさいっぱいなのですが
私がいわゆる「守護霊の霊言」なるものを見ていつも思うこと。

それは
「言いたいことがあれば、
その人に直接言ったらいいのではないですか?」
「直接会って、インタビューなり対談したらいいのではないですか?」

ということです。

すでに死んで、霊界に行かれている人と対談する
というのならまだ許せるけど、
まだ生きている人に対して、
「あなたの守護霊を呼び出しましたよ。
彼はこう言っていましたよ。
あなたの本音はこうだったのですね」

これってかなり失礼なことではないですか?

そんな事言われて、だれがまともに相手するのでしょうか?

人をバカにするなというか、
信頼関係も何もあったものではありません。

幸福実現党という政党もあり
メディアも持っているのだったら
堂々と渉外してインタビューすればよいものを。

自分がそうされたら、怒るだろうな。
いや、無視してまともに相手しないかも・・・・。

大川きょう子夫人との裁判に、
夫人の守護霊の霊言ビデオを証拠として出したほどですから
頭の壊れぐあいがわかります。

ここ数年、大川隆法氏は

公開霊言シリーズという「○○氏守護霊の霊言」なる書籍を乱発しています。


     



守護霊は地上人にたいして
いったいどのように働きかけてくるのだろう?


地上人を潜在意識という形で誘導しているのだろうか?


人間というものは、守護霊の考え、思想のままに
あやつられている存在なのか?


守護霊の考え=地上人の本音

幸福の科学では
そのような設定で語られているようだ。


「あなたは表向きはそう言っているけど
本音ではこう思っているのでしょう。
守護霊がこう言っていますよ」


ここにどれだけの真実があるのだろう?


実際は本人に対してかなり失礼な話だと思う。


100歩譲って
これが幸福の科学の言うとおりだとする。


「○○氏の守護霊はこういっていた」
教祖のこの話を、信者は鵜呑みにする。
つまりそれが○○氏の隠された本音だ
と断定するだろう。


ただ、ここで大きな問題がある。

人は固定的なものではないということだ。

昨日のその人と、今日のその人と


考えが変わっているかもしれない。


昨日から今日にかけて
つまり昨晩のうちに何か特別なことがあって、
考えが大きく変化しているかもしれない。


もし、昨晩その人が
大川隆法氏の著作を読み
涙を流して
「ああ、私のいままでの考えは間違っていた。
私の人生は誤っていた。
主エルカンターレよ、私の罪を許してください」
そう涙ながらに悔い改めたかもしれない(笑)


信者は○○氏に対して
どのように接するであろうか?


昨日の姿、
教祖による守護霊による霊査の結果を金科玉条として
「あなたはこうこうではないか!」
と決めつけたまま、断罪するだろう。


そこにはもはや
他人への尊厳はなく
教祖によってすり込まれた人間像を鵜呑みにして
他人を責める
そのような愛のかけらもない信者の姿があるだけではないか?


前世がどうとか
守護霊がこういっているとか、
人に対して固定的な決めつけで見てしまう

きわめて危険な思想であると思う。



親というものは
子供がどんなに悪いことをしても
心の底では信じているものだ。


昨日の過ちがあったとしても
今日は違うかもしれない。

心を入れ替えているかもしれない。


先入観や決めつけではなく
いつも真っ白な心で子どもに対する


それが親の愛であり
神様の愛だ。


私たちは他人に対しても
このような姿勢で対すべきだ。


私はそのように統一教会で教えられました。

幸福の科学が「邪教だ」と断罪する統一教会でね。


愛の無いところからは人は去る、

愛のあるところに人は集まる、と思えば

時間と共にすべて明らかになっていくでしょう。