魔にやられてるのはどっち? | 幸福の科学を統一教会の信者が見ると

幸福の科学を統一教会の信者が見ると

幸福の科学も統一教会も、同じカルトじゃないかって?まあそうかもしれないけど、幸福の科学を見てるといろんなことを考えさせられるんですよ。「真実は小説よりも奇なり」

自分自身の内面をチェックする法として
人の良いところと悪いところを
客観的に見ることができるか
ということでチェックして、努力している。

幸福の科学を批判しているからって
私は幸福の科学が全部悪いとは思っていない。
良いところもあるし、悪いところもある。
良い人もいれば、悪い人もいる。

私の信じている統一教会だって
もちろん全部良いとは思っていない。
良いところがあれば、悪いところもある。
良い人もいれば、悪い人もいる。

自分自身を見たって、
良いところと悪いところがあるじゃないか。


ところが、感情的になると
まったく目が曇ってしまうんだなあ。

相手のやることなすこと、全部が悪く見える。
冷静に客観的に判断できなくなる。

私心なく見るということは簡単ではない。
これが幸福の科学で言う「正見」ということであろう。

統一教会もさんざんマスコミから叩かれてきた。
とにかく「全部悪い!」という論調だった。

政治家や芸能人なんか、ちょっと関わっただけでも
糾弾されたり、気の毒だった。

絶対悪の統一教会を反対するんだから、
反対する自分たちは正義でしょという論理だ。

絶対悪の統一教会に反対するのならば、
何やっても許されるでしょみたいな空気がある。今でも。

正しく見てもらえるようになるには時間がかかるだろう。
自ら襟を正し、コンプライアンスを徹底し、
世の中に役に立つ存在になるよう努力しなければ。

アンチブログを色々みていると、
幸福の科学職員や信者の驚くべき姿がみえる。
「自分が全部正しい」
「批判する者は魔にやられてる」という考え方は
明らかに間違いである。

「魔にやられてるのは、そういう目でしか人を見れないあんたでしょう」
という話だ。

アンチの皆さんも、一度自分自身の心をチェックしてみられてはいかがだろうか?
「人のふり見て我がふり直す」者でありたいものだ。

マタイ福音書7章にあるイエス・キリストの言葉
「なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。」



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