幸福の科学はなぜ世界宗教になれないか? | 幸福の科学を統一教会の信者が見ると

幸福の科学を統一教会の信者が見ると

幸福の科学も統一教会も、同じカルトじゃないかって?まあそうかもしれないけど、幸福の科学を見てるといろんなことを考えさせられるんですよ。「真実は小説よりも奇なり」

週刊文春を立ち読みして
再婚されたお相手、近藤紫央さんのお顔を拝見した。

このブログに写真が掲載されている。

雑誌の記事中に幸福の科学広報局の見解として
「世界宗教への体制が整った」とあったが
とんでもない!!と思う。

今日は、幸福の科学の教義をふまえ、
大川隆法氏の愛人疑惑はなぜ出てきたのか?
なぜ世界宗教になることができないのか?

それを思想的な観点から書いてみる。


西洋文明の2大潮流として対比される
ヘレニズムへブライズムという2つの要素がある。

ヘレニズムはギリシャ的な思想や文化に由来する精神。
(辞書参照)
オリンポスの12神のように多神教が特長である。
人間の理性を重視する。
中世のルネッサンスはヘレニズムの復古運動だった。
そしてこれが大事なところ、性に対して寛容だ。
(フリーセックス、同性愛もあり?)


一方へブライズムは
旧約聖書などにみられる
古代イスラエル民族の思想や文化に由来する精神。
唯一絶対の神を信じ、
旧約聖書、新約聖書を経典とするキリスト教の源流になっている。

神と人間の区別が明確にされている。
人間も自然界も唯一神によって造られた被造物である。

天地創造の唯一神という絶対的な存在があるので
善悪がきわめて明確であり、
性に対しては、厳格である。

たとえば旧約聖書モーセの十戒には
主が唯一の神である
姦淫をしてはいけないとある。


さて、幸福の科学はどちらの流れだと思うだろうか?
私は多神教のヘレニズムの流れだと思う。

全国各地に建てられている支部等もギリシャ神殿風だし、
次々に出される霊言も
多神教の証明といえる。
前世は◯◯時代の△△という発想も。
みんな人間が神様になってしまっているではないか。

↓もろ、ギリシア神話


大川隆法=エル・カンターレ、地球神、天地創造の神なんて
あまりにも無理な設定であるし、
神と人間との関係が理論的に混沌としている。

たとえば、ユダヤ教徒、キリスト教徒が
この設定を理解する(受け入れる)とはとうてい考えられない。

世界宗教から見ると、大川隆法氏は
よく言って、神の言葉を預かるいち預言者といえるくらい。
悪く言えば、そのあたりのあやしげな霊能者、霊媒師にすぎない。

雑多な神様を祀る怪しげな霊能者、
そのくらいにしか見えないのではないだろうか?

そんな幸福の科学が、唯一神を信じるユダヤ教、キリスト教を
どうして包容することができるだろうか?

思想的背景から考えて、
幸福の科学が世界宗教になることは絶対にありえないといえる。

幸福の科学はヘレニズムの流れ。
だからこそ、性に対しても寛容、いや、ひじょうにルーズなのです。


アンチサイトを見ると、大川隆法氏にたいして
「人格異常」と批判されていることが多いのだが、
いろいろなスキャンダラスな話題がでてくるのも、
この思想的背景があってのことだと思う。


統一教会はどうなんだ?
統一教会だっていろいろ問題があるじゃないかと言われそうだが、
統一教会の教義は、旧約聖書、新約聖書の土台の上にあり、
ヘブライズムの流れにある。

性に対しては、どこよりも厳格だと思う。
祝福結婚式は、永遠の相対と永遠の愛を誓う場である。
お互いに絶対の貞操を誓う。
もちろん、それを全うできるかどうかは本人の責任。
守れない人もいる。

イエス様は「右の目が罪を犯すなら、右の目を捨てるほうが良い」と言われた。
「女をみて情欲を起こす者は、すでに姦淫を犯したのだ」と。
見て、思うだけでもダメだと。
それほど厳しいのが本来のキリスト教の教えだ。

そして統一教会では、その基準をまじめに目指している。
他の異性には目もくれなくなるほどの
夫婦の愛を目指せというわけだ。

世の中からは、「何を今どき」と笑われたり
「信じられない」と驚かれるだろうけど。

世の中の常識に逆行しているかもしれない。

でも、当の本人としてみれば、心はけっこう平安なのだ。
だって夫婦がお互いに疑う必要がないから。

「絶対純潔」これが本当の幸福の科学(幸福の秘訣)だと思う。


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