映画
ロミオとジュリエット
(1968年)
Prologue
権勢を競い合う
二つの名家あり
キャピュレットとモンタギュー
ここは花の都ヴェローナ
古き恨みが
新たに噴き出し
人々の血が
人々の手を染める
その憎き敵の家系から
不幸な星の下
生まれ出た恋人たち
重なる不運が二人を襲い
死をもって
親たちの不和を葬り去る
あ ら す じ
映画の舞台は、15世紀中頃のイタリア北東部のヴェローナ。
15世紀といえばイタリア・ルネサンスの全盛期。フィレンツェ同様「花の都」と謳われたヴェローナには忌まわしい負の事情があった。
それは2大名家による抗争である。
キャピュレット家とモンテギュー家。
家長から下男にいたるまで、お互いを仇敵視し、ときには血で血を洗う闘いが勃発する。
映画は、街中のマーケットでの両家の若者による小競り合いのシーンから始まる。
小競り合いはその域を超えて、双方が剣を抜いて戦い、民衆を巻き込んだ大乱闘になる。
死傷者が出る。
人々は逃げ惑う。
知らせを受けたヴェローナ大公エスカイアが近衛兵を率いて現場に到着する。
抗争を制して叫ぶ
「過去の不幸にも懲りずに愚行を繰り返すとは不届き千万。死刑を望まぬのならすぐに退け!」
「今後このような蛮行を引き起こした場合、関わった者はすべて死刑に処する!」
その後、大公は両家の家長をそれぞれ召喚して厳しく追及する。
そんな中、ロミオとジュリエットが出会うのは、キャピュレット家の屋敷で催された仮面舞踏会だった。
モンタギュー家の跡取り息子ロミオは、友人に誘われるまま、その舞踏会に忍び込む。
キャピュレット家に係る若者の中にジュリエットの従兄のティボルトがいた。彼はロミオの存在に惑わされる。
そこで彼が見初めたのが、キャピュレット家の一人娘ジュリエット。二人はひと目で強く惹かれ合う。しかし皮肉なことに、互いが敵対する家の者と知った途端、許されない恋心ゆえの苦しみが始まるのだった。
レオナードが歌う 'What is a youth'
舞踏会の夜、ジュリエットは意中の若き男性がこともあろうにモンテギューの跡継ぎであることと、そのロミオを愛してしまった自分の切なさを吐露して、思わず「ああ、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの」と嘆く。
一方、ロミオもその夜、ジュリエットに会うため、彼女の部屋のバルコニーへと忍び寄る。
月明かりの下、ロミオはジュリエットへの熱烈な恋心を語る。
2人は、永遠に愛し合うことを誓い合うのだった。
家の敵同士という障壁を越えるため、2人はローレンス神父の助けを借り、密かに結婚式を挙げ、そして結ばれる。
二人がが結ばれた直後、不運な出来事が二人を襲う。
ロミオの親友マキューシオが、ジュリエットの従兄ティボルトの剣に倒れたのだ。
実は二人の果たし合いに割って入ったロミオの腋を掠めてティボルトの剣がマキューシオの胸を貫いた。マキューシオは深傷を受けながら、強がりを繰り返し、また両家の確執を呪うあまり両家などくたばれなどと口走る。が、ほどなくして絶命した。
ティボルトがマキューシオを殺した!
怒りに我を忘れたロミオは、ティボルトに刃を向け、両者は死闘を重ねた末、ロミオはティボルトを殺害した。
ロミオは流血の上に愛を成就させてしまった罪の意識に苛まれる。
二人の葬儀の日、両家一族を前にヴェローナ大公が登場。
大公の声が響く。
「敵同士の両家は?」
「キャピュレットとモンタギューだな」
呼名に応えて両家夫妻が前へ出て、恭しく礼をする。
大公が声を張り上げる。
これが憎悪に下った天罰だ
天は両家の宝を愛によって奪った
私もお前たちの不和を見過ごし
身内を二人失ってしまった
皆が罰せられたのだ
(さらに声を荒げて)
皆、罰せられた!
その場に居合わせた全ての人々が
深くうなだれた。
映画のスタッフ
キャスト
製作余聞
映画化の歴史
シェイクスピアの時代
☆ウィリアム・シェイクスピア
1564年4月26日生~1616年4月23日没(51歳)
出生地はストラトフォード=アポン=エイヴォンで、1585年前後にロンドンに進出し、1592年には新進の劇作家として活躍した。
1613年ごろに引退するまでの約20年間に、四大悲劇『ハムレット』『マクベス』『オセロ』『リア王』をはじめ、『ロミオとジュリエット』『ヴェニスの商人』『夏の夜の夢』『ジュリアス・シーザー』など多くの傑作を残した。『ヴィーナスとアドーニス』のような物語詩もあり、特に『ソネット集』は今日でも最高の詩編の一つとされている。 <ウィキペディアより>
☆同時代人
・エリザベス1世
1533年9月7日生~1603年3月24日没(69歳)
在位 1558~1603年
エリザベス朝のイングランド国王
イングランドの黄金期
・セルバンテス
1547年9月29日生~1616年4月23日没(68歳)
近世スペインの小説家
『ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』(Don Quijote de la Mancha)の著者として著名。
※シェイクスピアとセルバンテスの没年月日が同一であるとすることについて一部に異論がある
・徳川家康
1543年1月31日生~1616年6月1日没(74歳)
江戸幕府初代将軍
幕藩体制の礎を築いた
・ヌルハチ
1559年2月21日生~1626年9月30日没(67歳)
後金(後の清王朝)の始祖(太祖)
満州民族による中国支配の礎を築いた
☆アフター・シェイクスピア
~シェイクスピア没後間もない欧米~
・メイフラワー号の渡米
1620年、イングランド国王ジェームズ1世による宗教的弾圧を怖れてピルグリム・ファーザーズが本船に乗り、新天地アメリカの(現在の)マサチューセッツ州プリマスに渡った。このプリマスこそが後のプリマス植民地の中心地となった。
・三十年戦争の勃発
1618年、主にドイツを舞台として30年に亘り断続的に行われた宗教的・政治的戦争が始まった。ドイツにおけるプロテスタントとカトリックとの対立、オーストリア,スペインのハプスブルク家とフランスのブルボン家との抗争を背景とし,オーストリア領ボヘミアの新教徒が神聖ローマ帝国に対して反乱を起こしたことに端を発した。
当初は皇帝=カトリック軍が優勢であったが、プロテスタント国のデンマーク、ス
ウェーデンが参戦し、旧教国フランスが新教国スウェーデンを支持するに至り、もはや宗教戦争とは言えなくなり国際的戦争となった。
「最後で最大の宗教戦争」ともいわれ、ドイツの人口の20 %を含む800万人以上の死者を出し、人類史上最も破壊的な紛争の一つとなった。
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梅雨の晴れ間
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今回もお付き合いをいただき
ありがとうございます