ティファニーで朝食を
 

      

この映画のテーマ曲「ムーン・リバー」をオードリー・ヘップバーンの歌でどうぞ

  

作曲 ヘンリー・マンシーニ  

作詞  ジョニー・マーサー

 

 

スタッフ

 

監督 ブレイク・エドワーズ

脚本 ジョージ・アクセルロッド

原作 トルーマン・カポーティ

      Breakfast at Tiffany's 

音楽 ヘンリー・マンシーニ  

配給 パラマウント映画

 

公開 1961年10月 

(日本公開 1961年11月)

上映時間 115分

 

 

 

キャスト

 

ホリー・ゴライトリー…オードリー・ヘップバーン

ポール・バージャク…ジョージ・ペパード

2E…パトリシア・ニール

ユニオシ、I.Y.…ミッキー・ルーニー

 

「猫」…オランジー(trainer:フランク・イン)という名の茶トラ

 

 

あらすじ

 

  

 

映画はコミックなラブストーリー仕立ての都会派ドラマ。

アカデミー音楽賞を獲ったヘンリー・マンシーニのメロディが全編を通して流れる。

パリ・コレでお馴染みのユベール・ド・ジバンシィのデザインになるリトル・ブラックドレスなどに身を包んだお洒落なホリー。

都会的で洗練された魅力を持ち、視線の温かい優しいポール。

二人の恋の行方をエドワーズ監督が軽快なタッチで描いてゆく。

随所に現れるユニオシの道化や茶トラの可愛さがある種のアクセント。

テンポの速い展開にカポーティらしさを感じながら、エンディングの

「ムーン・リバー」の歌詞にホッとさせられる。

 

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早朝のニューヨーク市内を走る一台のタクシー。高級宝石店のティファニーの前で止まり、一人の女性が降りる。女性はウィンドー越しに店内を見ながらデーニッシュをほおばる。

女性はいわゆる高級コールガールで、名をホリー・ゴライトリーという。名前のない「猫」と暮らしている。

華やかな世界に憧れる彼女は、化粧室に行くと言っては小銭がないのを理由に男性から50ドルをもらい、生計を立てている。また収監中のマフィア、サリー・トマトと面会し、彼の話す「天気予報」をある弁護士に伝えることで多額の報酬を受け取っていた。

彼女が住むアパルトマンには彼女の取り巻きの男達が訪れては騒動になっている。

同じアパルトマンに売れない作家のポール・バージャクが引っ越してくる。ポールが本を出したのは何年も前のことで、今は裕福な有閑マダム2Eのお相手をして相応の手当を稼いでいる。

ある意味、二人は似たような境遇にあった。

ホリーはポールに弟フレッドの姿を重ね、またポールは無邪気で奔放なホリーに魅かれていく。

しかし、ある日アパルトマンの前に佇む男がおり、2Eが夫の雇った探偵ではないかと懸念するのを受けて、ポールが男に近づくと、彼はテキサスの牧場主で獣医をしており姓をゴライトリーという。

実は、彼はホリーの夫であり、ポールは、彼女の本名はルラメイで不幸な生い立ちから14歳で結婚したことを知る。

ホリーはこれを機にゴライトリーとの別離を決意し、ポールに付き添われて夫にその旨を告げ、夫を見送る。

ホリーは次第にポールとの親交を深める。ポールも2Eに関係を終わらせようと話し、引き止められるがこれを断り、別れを告げる。

ポールはホリーと共に訪れたティファニーで、クラッカー・ジャックという菓子のおまけの指輪に二人のイニシャルを刻印してもらう。

その後二人は図書館で逢うが、ホリーは熱心に南米のことを勉強していた。なんと彼女はブラジルの大富豪ホセとの結婚が決まったと言い、二人は激論するが、結局喧嘩別れに終わる。その際、ポールは自分も他の男と同じ扱いなら…とホリーに化粧室へ行く際のチップ50ドルを渡し、去って行ってしまう。

数か月後、ポールがホリーの家に招かれると、リオデジャネイロ行きを明日に控え、彼女はすっかり家庭的になろうとしていた。

一方、ポールも短編が売れるようになったことをきっかけに作家として生計を立てられるようになっていた。

その日、ホリーが料理に失敗し、二人は外食に出かけるが、帰宅すると警官が待ち構えていた。

かつてのホリーの金づるサリー・トマトの麻薬密売に加担したとして、ホリーは勾留され、さらに大々的に報道されてしまう。

ポールの奔走により、翌日ホリーは保釈されるが、猫と共にホテルに身を隠すように告げられる。

ホセからは、事件により家名に傷がついたという理由で結婚は破談にするとの手紙が届いており、タクシー内でポールがそれをホリーに読んで聞かせる。

彼女は失意の裡に観念する。しかし予定通りリオには行くと言って聞かず、自分はこの猫と一緒で名前がなく誰でもない…とタクシーを停め、猫を外に逃がしてしまう。

ポールはもう必要なくなったとティファニーで刻印をしてもらった指輪をホリーに投げつけ、彼女を残してタクシーから降りる。

ホリーは指輪を指に嵌めるや否や涙ながらに思い直し、タクシーを降りてポールと猫を追う。

雨の中で猫が見つかりポールとも再会して、二人は熱い抱擁を交わすのであった。

 

♫ 世界を巡る二人の漂流者

見るべき場所はたくさんある

私たちが追うのは…

同じ虹の端っこ

ハックルベリーのような友

ムーン・リバーと私

(原詞 ジョニー・マーサー)

 

 

オードリー・ヘップバーン 

 

女優誕生

 

 

 

 

 

1929.5.4生〜1993.1.20没

 

ベルギーのブリュッセルで生まれた。幼少期をベルギー、イングランドで過ごし、オランダにも在住した。

W.W.2後、イギリスへ。バレーの舞台や映画に出演。

1951年のブロードウェイ舞台作品『ジジ』で主役を演じて大好評を博し、さらに1953年の映画『ローマの休日』でアカデミー主演女優賞を獲得するなど、一流女優としての地歩を固めた。

 

 

その後の代表作

 

 

『麗しのサブリナ』1954年

『戦争と平和』1956年

『パリの恋人』1957年

『昼下りの情事』1957年

『ティファニーで朝食を』1961年

『シャレード』1963年

『マイ・フェア・レディ』1964年

『おしゃれ泥棒』1966年

『いつも2人で』1967年

『暗くなるまで待って』1967年

 

 

'70年代以降 

 

ヘップバーンは自らの後半生の多くの時間を映画ではなくユニセフ(国際連合児童資金)での仕事に費やした。

とりわけユニセフ親善大使としてアフリカ、南米、アジアの恵まれない人々への援助活動に身を捧げ、1992年にはアメリカ合衆国における文民への最高勲章である大統領自由勲章を授与された。

翌1993年の初め、スイスの自宅で亡くなった。

63歳だった

 


W.W.2とアンネ

イギリスにいたオードリーは大戦勃発直前にオランダのアルンヘムに戻った。中立国オランダはドイツからの侵略を免れると思われていたが、1940年にドイツはオランダに侵攻した。

ホロコーストで犠牲になったアンネ・フランクはオードリーと同じ1929年の生まれで、ナチス政権成立後に迫害から逃れるために祖国のドイツを離れオランダに亡命していた。

しかしドイツの侵攻後はユダヤ人狩りを避けて隠れ家生活を余儀なくされる(『アンネの日記』)。

アンネはアムステルダム、オードリーはアルンヘムと地域は異なるが、一時期、同じオランダで生活していた。

 

 

二人はそれぞれに1944年6月の連合軍によるノルマンディー上陸作戦成功のニュースを知っており、その連合軍による進軍によって近い将来、当時のオランダの悲惨な状況が劇的に解消されることを強く念願していた。

だがオランダのナチス支配からの解放は緩慢で、不幸にもアンネ一家は隠れ家を発見され、全員が強制収容所へ移送され、さらにアンネと姉のマルゴットはドイツのベルゲン・ベルゼンに移され、そこで発疹チフスに罹患して亡くなった。

1945年の3月上旬ごろだと推察される。

一方、オードリーも十代前半でありながら反ドイツレジスタンス活動に関与するなどして解放の時期を待つ。

当時のオランダ中部の住民にとって、ナチスに次ぐ脅威は「オランダ冬の飢餓」とも呼ばれる食糧・燃料危機で、約2万人のオランダ国民が犠牲になったと推計されている。

連合軍がアルンヘム方面に進撃し、地域を解放したのは1945年の4月であった。

解放されたとはいえ、ヘップバーンは極度の栄養失調と多くの身体不調に苦しんでいた。

ヘップバーンたちの回復を助けたのがユニセフの前身であるUNRRAからの食料と医薬品であった。

ヘップバーンが少女時代に受けたこれらの戦争体験が、後年のユニセフへの献身につながったといえる。

 

 

 

製作余聞 

 

茶 ト ラ

 

映画には、たびたび可愛い茶トラが登場する。ホリーの「猫」である。名前がないので、劇中、ホリーは茶トラを'CAT'と呼ぶ。
オープニング・クレジットでも
’CAT’と表記され、共演者として扱われている。

 

右の最下段

 

本作に出演した茶トラは1匹ではない。同じ猫に複数の動作を教え込むことは難しいので、シーン毎に違う猫が投入されたとか。

例えば、甘える猫、宙を跳ぶ猫、座る猫、鳴く猫、ゆっくり歩く猫 etc.

そのため少なくとも十数匹の猫が出演しているという。

 

その猫集団はフランク・インというトレイナーにより訓練され、Orangey(オランジー)と呼ばれた(上掲のクレジット参照)。

 

 

 

 

 

 

 

 

image

 

SNS等で本作での動物(猫)のキャスティングについて疑義を示す投稿がある。劇中での扱いに虐待が懸念される部分があるという。

作る側は動物愛護の精神を忘れてはならない。これは大切なモラルである。

 

 

 

ユニオシのこと

 

劇中、随所に出てくる「日系アメリカ人」。

(当時の)アメリカ社会におけるステレオタイプな悪意に満ちた日本人像を反映して表現されている。

いわく黒ブチ眼鏡、出っ歯、低身長、LとRの発音の混同など。

演じたミッキー・ルーニーは当時、「監督の指示どおりの演技だった」と語ったが、後に繰り返し釈明と弁明を行う必要に迫られたという。

また、エドワーズ監督も「あれは失敗だった。今は民族の描写に大変気を遣う時代。日本人をあのように描くべきではなかった」と述べている。

なお、カポーティの原作には、映画のようなコミカルな描写はない。

 

 

ティファニー

 

本作の撮影は1960年10月2日(日曜日)の夜明け前にニューヨーク市マンハッタン57丁目と5番街の角にあるティファニー本店前で始まった。

磨かれた花崗岩でできた外観はウィンドーディスプレイでよく知られている。

本作の大ヒットで一躍ニューヨークの観光名所となった。以後、数多くの映画のロケ地として使われてきた。

2019年から店舗の大規模工事が始まり、その工事は2023年に完了。リニューアルに際して、その店舗の名称を「ランドマーク」と名付けられた。

<出典 ウィキペディア>

 

 

 

マンシーニとマーサー

 

楽曲「ムーン・リバー」の誕生

ヘンリー・マンシーニはイタリア系アメリカ人。

彼は以前からエドワード監督とはコンビを組んでおり、気心は知れていた。

マンシーニは作詞家としてジョニー・マーサーを希望、マーサーもマンシーニと共作したいと思っており、また、曲も好きだったので快諾した。

マーサーは3つのバージョンを作ったが、結局、「ムーンリバー」というタイトルの歌詞におちついた。

歌詞は、リスキーなホリー役を引き受けたヘップバーンの心情を音楽で表したかのようでもあり、エドワーズをはじめ関係者を納得させるに十分だった。プロデューサーのジュローやシェファードも満足であった。

劇中歌の歌い手であるヘップバーンも手紙でマンシーニに「あなたの音楽はみんなを浮遊させ、高く飛翔させてくれました。私たちが言葉や演技で表せなかったものすべてをあなたが表現してくれました。ありがとう、ヘンリー」と書いている。

 

 

ヘンリー・マンシーニとジョニー・マーサーのタッグ

☆上記①「ムーンリバー」の他に…

☆②「酒とバラの日々」

 同名の映画(ブレイク・エドワーズ監督)のテーマ曲

☆③「シャレード」

 同名の映画(スタンリー・ドーネン監督)のテーマ曲

 *3作とも1960年代前半

 *①と②はアカデミー賞最優秀歌曲賞を受賞

 

 

 

 

 



 

 

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今回もお付き合いをいただき

ありがとうございます