The Man Who 

Knew Too Much

 

 

 

 

A single crash of Cymbals

and how it nocked the lives of 

an American family.

 

シンバルの一打に

そのアメリカ人一家はいかに

心身を揺るがされたか

 

 

 

映 画

知りすぎていた男

 

監督…アルフレッド・ヒッチコック

脚本…ジョン・マイケル・ヘイズ

   アンガス・マクファイル

音楽…バーナード・ハーマン

主題歌(『ケ・セラ・セラ』)…ドリス・デイ

公開…1956年6月 (日本公開…同年7月)

配給…パラマウント映画

上映時間…120分

 

<キャスト>

ベン・マッケンナ…ジェームズ・スチュアート

ジョー・マッケンナ…ドリス・デイ

ハンク・マッケンナ…クリストファー・オルセン

エドワード・ドレイトン…バーナード・マイルズ

ルーシー・ドレイトン…ブレンダ・デ・バンジー

ルイ・ベルナール…ダニエル・ジェラン

 

※本作はイギリス時代のヒッチコック作品

『暗殺者の家』(1934年)のリメイク

 

あ ら す じ 

 

アメリカ人医師ベン・マッケンナはパリでの学会からの帰途、妻のジョーと息子のハンクを連れてアフリカのモロッコにやってきた。多忙な日々から解放されて暫く観光を楽しむつもりだ。いま彼らはカサブランカ発マラケシュ行きの乗合バスの車中にいる。

映画はここから始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

彼らはバスの中でちょっとしたトラブルに遭う。仲裁してくれたベルナールという貿易商がモロッコ料理のレストランで夕食をともにしようと誘ってくれた。彼はベンとジョーにあれこれ質問をするものの自分自身のことは語ろうとしない。ジョーは彼に不審の念を抱くが、ベンは微塵も気にしない。

 

 

夕食に出かける前のひととき、ジョーはホテルの一室で『ケ・セラ・セラ』を歌いながら夕食に同行できない息子ハンクとダンスに興じる。ジョーは歌手・女優であり、かつては欧米の各地で幾多の公演をこなしてきた。

 

 

出かける直前になって、あろうことかベルナールが急用ができたので行けないという。一体何だ? 

 

 

彼と別れ、不本意顔でレストランに向かったベンとジョーは、そこでイギリス人のドレイトン夫妻と知り合い、親しく話をする仲になる。

 

 

翌日、マッケンナ親子三人とドレイトン夫妻は連れだって街の市場に向かい、観光を楽しむが、そこに背中をナイフで刺された瀕死のベルナールが現れ、ベンにすがりつく。

 

 

 

 

彼は現地人の扮装をしており、苦しみを堪えてベンの耳元で「ロンドンで要人暗殺の計画がある」と告げ、「アンブローズ・チャペル」という謎の言葉を残し、その場で死ぬ。

 

 

 

 

 

 

ベンは重要参考人として警察署で事情を聞かれるが、そこに何者かが電話をかけてきて「あなたの息子を誘拐した。ベルナールから聞いたことを誰かに話せば息子の命はない」とベンに告げる。

 

 

 

 

 

 

 

ハンクはドレイトン夫人が預かってくれているはずだが…。ベンはドレイトン氏に質すが、彼は「妻はホテルにはいない」という。どういうことだ! ベンとジョーは焦る。

二人は急いでホテルに戻るがドレイトン夫妻は既にチェックアウトしていて、ハンクの姿もない。

一刻の猶予もない。ベンとジョーはベルナールの言葉を頼りにロンドンに飛んだ。

 

 

息子の捜索を開始するが、アテになるのはアンブローズ・チャペルという名辞のみ。電話帳で探すが行き着いた所は剥製加工の作業場で、とんでもない空振りと分かる。

 

 

結局、アンブローズ・チャペルは人名ではなく文字どおりの教会だった。

二人はその教会でドレイトン夫妻を発見する。ああ、やっぱり。

 

 

だが、あと一歩のところでハンクを取り戻すことはできなかった。

実はこの暗殺計画は某国の駐英大使が訪英中の自国首相を殺害しようと企てたもので、大使の指示を受けたドレイトン夫妻はモロッコでそのための殺し屋を雇っていたのだった。死んだベルナールはこの計画を探っていた工作員で、暗殺を阻むべく伝言をベンに託したのであった。

そのことを知ったベンとジョーは暗殺計画の現場であるロイヤル・アルバート・ホールへ向かう。

ホールでは盛大なコンサートが行われていた。

曲目の『ストーム・クラウド・カンタータ』は終盤にさしかかっている。

バーナード・ハーマン指揮のロンドン・シンフォニー・オーケストラの演奏、コヴェント・ガーデン・コーラスの合唱、バーバラ・ハウィットのソロが一体となって盛り上がり、

聴衆を惹きつけている。

 

 

 

ジョーは殺し屋の銃がロイヤルボックスにいる首相に向けられるのを見た。

 

 

ジョーは悲鳴をあげる。

 

 

シンバルが打たれる。同時に銃声が…。

狙いがわずかにそれた銃弾は首相の腕をかすめただけに終わり、ベンに追われた殺し屋は二階席から階下へ落ちて死ぬ。

 

 

 

 

難を逃れた首相は夫妻に深く感謝し、改めてお礼をしたいので明日大使館に来てほしいと告げる。

大使館では首相暗殺に失敗したドレイトン夫妻が大使に叱責されていた。

 

 

大使はドレイトン夫妻に対して、大使館の奥の部屋に軟禁されているハンクを殺すよう命じる。夫のエドワードはそれを承諾するが、妻のルーシーは困惑する。ハンクに情が移っていた。

 

 

警察はハンクが大使館にいるという情報を得るが、大使館は治外法権下にあり踏み込むことはできない。それを知ったベンが首相に電話をかけ、明日ではなくこれから大使館に伺いたいと伝えると、首相は喜んで承知する。

大使館では首相や王女を賓客としてパーティーが開かれていた。

 

 

 

 

ジョーは首相に乞われて歌を披露することになり、広間のピアノを弾きながら『ケ・セラ・セラ』を歌い始める。

 

 

人々がジョーの歌を聴いている隙にベンは大使館の奥に忍び込み、ハンクを探す。

ジョーの歌声が奥の部屋にいるハンクと彼を監視しているルーシーの耳にも届く。ハンクの助命を考えるようになっていたルーシーは、歌声にあわせて指笛を吹くようハンクに言い、ハンクが思い切り吹いた指笛の音はジョーにもベンにも聞こえた。

指笛を頼りにベンはハンクを見つけるが、そこにエドワードが現れる。

 

 

彼は上着のポケットに隠し持ったピストルをハンクに向けて構え、ハンクを人質にして大使館から抜け出そうと、ハンクとベンを先に立たせて広間への階段を下りる。しかし隙を見てベンがエドワードを突き落とすと、階段を転がり落ちるエドワードのピストルが暴発してエドワードは死ぬ。

かくしてマッケンナ夫妻は息子ハンクを救うことができたのだった。

 

  

 

  

 

 

 

Que Sera, Sera
 

 

 

ドリス・デイの歌

音符1956年2月24日リリース

音符ドリス・デイのシングル・レコード

音符作曲…ジェイ・リビングストン

音符作詞…レイ・エバンズ

音符アカデミー賞 歌曲賞受賞 

 

  

  

 

<ドリス・デイのこと>

1922.4.3生~2019.5.13没(97歳)

歌手そして女優

・映画

『二人でお茶を』

『カラミティ・ジェーン』

『知りすぎていた男』

『先生のお気に入り』

『夜を楽しく』

『恋人よ帰れ』

『女房は生きていた』 ほか

・楽曲

『センチメンタル・ジャーニー』

『ケセラセラ』

『二人でお茶を』

『虹の彼方に』

『ムーングロウ』

『Don't Take Your Love From 

Me』

『On Moonlight Bay』

『Happy Talk』   ほか

 

1980年代から動物愛護に力を注ぎ、「Doris Day Animal 

League」を拠点として家庭内ペットの愛護のあり方などを指導する一方で、「動物権」擁護に係る活動に尽力した。

  

 

 

 

ケセラセラ

ルンルン一般的には「なるようになる」という意味のスペイン語だとされている。

ルンルン別題として「Whatever will be,will be」などがある。

ルンルンカバー

 コニー・フランシス

 メリー・ホプキン

 ナタリー・コール(ナット・キング・コールの娘)

 ピンク・マルティーニ

 など

ルンルン歌詞のバージョン

 幾通りもある

 劇中にハンクが歌うバージョンもその一例

 冒頭部分が

 When I was just a little boy…

 男児が歌う歌詞にしてある

 ドリス・デイのシングル・レコードの歌詞が一般的か

 When I was just a little girl

 I asked my mother what will I be

 Will I be pretty, will I be rich

 Here's what she said to me

 Que sera, sera

 Whatever will be, will be

 The future's not ours to see

 Que sera, sera

 What will be, will be…    

   

 

ヒッチコック 

 

 

カメオ出演

 

ヒッチコックはほとんどの監督作品に彼自身がいわゆるカメオ出演をしている

本作はどうか?

 

マラケシュの市場の大道芸のシーン

↑この後頭部には何か見覚えがある

  う〜ん、やっぱり出とる

 

 

who's who

 

1899.8.13生~1980.4.29没

出生地…イングランド エセックス

死没地…米国カリフォルニア州ロスアンゼルス

国籍…イギリス、米国

職業…映画監督、映画プロデューサー、脚本家

 60年にわたるキャリアの中で50本以上の長編映画を監督した

 「サスペンスの巨匠」とか「スリラーの神様」などと称される

・大英帝国勲章の受章(1979年12月)

 イギリス騎士団勲章のひとつ

 5ランクある中の2番目のKBEを受けた

 かくして彼の名は、威儀を正していうと

 Sir Alfred Joseph Hitchcock, KBE  となる 

 

 

ヒッチコック・タッチ

 

映画界でのキャリア

20歳のころ、サイレント映画の字幕デザイナーとして初めて映画業界に脚を踏み入れた。

1925年に『快楽の園』で監督デビュー。

2年後、サスペンス映画『下宿人』で最初の好評作を。

さらに2年後、『恐喝』でトーキー映画を。

1939年、米国の名プロデューサー、セルズニックと契約して渡米。米国での活躍が始まる。

第1作の『レベッカ』(1940年)がアカデミー賞作品賞を受賞する。

以後、成功作を重ね、ワーナー・ブラザーズ、パラマウント、ユニヴァーサルなどの大手映画スタジオと契約を結び、監督のほかプロデューサーも兼任し、多くの傑作を発表し

高い評価と興行的成功を収めた。

その間、1955年にはアメリカの市民権を取得した。

 

ヒッチコックの世界

・独特の演出や手法…映像を重視し、それによって観客の感情を操作し、不安や恐怖を盛り上げていく

・ヒッチコック・タッチ…独自のスタイルやテーマの設定に腐心し、登場人物の視線でストーリーを描くことで観客を映画に引きずり込むという手法、加えてサスペンスとユーモアを適宜組み合わせて過剰深刻に陥らないように配慮するなどの高度のセンスが窺える。

 

  ヒッチコック映画教室

 

 

 

  ☘️つ ぶ や き☘️

 

<『ケセラセラ』について> 

我が国で『ケセラセラ』の邦訳版が流行り始めたのは本作が公開された昭和31年の7月から半年以上経った頃だったろうか。

♪ケセラセラ  

なるようになるわ  

先のことなど   分からない 

ケセラセラ… といった具合で。

雪村いずみ、ペギー葉山らの競作だった。

 

 

昭和31年について

本作公開の1956年は昭和31年

・昭和31年といえば、「もはや戦後ではない」のフレーズが知られる。経済企画庁(当時)が発表した『経済白書』の副題だ。

このコピーによって、すでに戦後復興をはかりながらの成長は終わり、今後の経済成長は技術革新が支えると宣言。

・昭和31年といえば、邦画の『太陽の季節』。第34回芥川賞の受賞作『太陽の季節』が映画化された。受賞者の石原慎太郎が特別出演したほか、弟の裕次郎が初出演した。ほどなく裕次郎は『狂った果実』で主役デビューし、日活青春映画全盛の時期を画した。

・昭和31年といえば、今から68年前。

ふと気づいたが、来年は昭和100年である。

昭和人間にとって感慨深い。

・昭和は64年まで続いたが、元年と末年はそれぞれ1週間ほどで、実質は62年と2週間だった。

人生の半分以上が昭和時代であった身にしてみれば、「昭和人間」という表現に誇張はない。

 

 

 

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今回もお付き合いをいただき

ありがとうございます