この子は誰でしょう
女の子ではありません
では男の子?
そう、後のこの人です
アラン・ドロンですね
この人にニーノ・ロータの音楽が絡むと
映画はやはり…
となります
では予告編を…
太陽がいっぱい
原題 Plein Soleil(プラン ソレイユ)
スタッフ
監督 ルネ・クレマン
脚本 ポール・ジェコフ、ルネ・クレマン
原作 パトリシア・ハイスミス
製作 ロベール・アキム、レイモン・アキム
音楽 ニーノ・ロータ
仏伊合作映画
公開 1960年3月 (日本公開1960年6月)
上映時間 118分
キャスト
トム・リプリー…アラン・ドロン
フィリップ・グリンリーフ…モーリス・ロネ
マルジュ…マリー・ラフォレ
ルネ・クレマン
ルネ・クレマン監督は『鉄路の斗い』(1945年)で第1回カンヌ国際映画祭・国際審査員賞および監督賞を受賞し、その後『海の牙』(1946年)、『禁じられた遊び』(1952年)、『居酒屋』(1956年)など、社会性の強い作品を撮り続けてきた。
1959年2月、ミシェル・ボワロン監督・アラン・ドロン主演の『お嬢さん、お手やわらかに!』が公開。クレマンは同作品を見て、ドロンに主役のオファーを出したという。
同年8月3日から10月22日にかけて、イタリアのナポリ県、イスキア島、プローチダ島、ローマなどで撮影が行われた。
<出典 ウィキペディア>
アラン・ドロン
1935年パリ郊外で生まれる。
4歳で両親が離婚するなど、必ずしも恵まれた家庭環境にはなかった。寄宿学校を転々とし、生活は安定せず、やむなく十代前半から商店等で働き始める。
17歳でフランス海軍に入隊し、インドシナ戦争に従軍した。1954年ディエンビエンフーでの仏軍根拠地陥落により休戦となり、休戦協定によってドロンは20歳で除隊。
その後米国やメキシコなどを放浪、1956年に帰国し、パリのモンマルトルなどを転々としてさまざまな職業に就いた。
1957年ハリウッド映画のスクリーンテストを受けるチャンスがあり、それに合格するなど明るい兆しが見えてきた。
1959年コメディ映画「お嬢さん、お手やわらかに」に出演しフランスで大ヒットした。
翌1960年主演した本作「太陽がいっぱい」がニーノ・ロータの曲とともに爆発的にヒットし、世界的にその名を知られることとなる。
その類いまれな美貌により1960年代から70年代にかけて、「世紀の二枚目」として人気を博した。
2017年5月、今後出演する1本ずつの映画と舞台を最後に、俳優業から引退するとの意向を示した。
映画のあらすじ
映画は双発の飛行艇がモンジベッロ近くの海岸からローマ方面に向かって飛び立つシーンから始まる。
それからローマの街角のオープンカフェ。アメリカから来た大富豪の息子フィリップ・グリンリーフと貧しく孤独な青年トム・リプレー。そこにフィリップの遊び仲間のフレディがやってくる。彼も金持ちだ。フレディのトムへの視線はいつも嫌悪感に満ちている。
フィリップには婚約者のパリ娘マルジュがおり、イタリアではナポリに近い漁村モンジベッロにマルジュと過ごすための愛の巣を所有している。その近くのマリーナには豪華なクルーザーも所有し、その名は「マルジュ」。フィリップはマルジュの傍にいるためにイタリアで遊んで過ごしている。自由奔放なフィリップは、今回はマルジュを放置して、トムと二人きりで飛行艇に乗りローマに遊びに来たのだった。
フィリップはトムを見下している。トムは、フィリップの父親から彼をアメリカに連れ戻すよう依頼を受け、連れ戻せば報酬として5000ドルもらえる約束のもとアメリカからやって来たが、フィリップの方はイタリアで自由奔放な暮らしを続けようとするばかりで、一向にラチがあかない。トムは手持ちの金がなくなってしまい、フィリップの金のおこぼれをあてにして彼と行動を共にせざるを得なくなる。フィリップに言われれば買い物や調理やハガキの代筆をするなど、まるで都合の良い「使い走り」だ。「資産を持つ者と持たざる者」の境遇のあまりの相違を見せつけられるばかりで、実のところ嫉妬心や怒りにさいなまれている。フィリップと同じ金持ちのフレディの、トムに対する態度も気に障る。
ローマで遊んだフィリップとトムは、マルジュに会いにモンジベッロの家に戻った。マルジュは以前から、フィリップが自分に誠意を示さないと感じ、苛立ちを感じるようになっていた。放置され電話すらしてもらえなかったマルジュは、突然戻った二人を不満顔で迎えるが、フィリップはそれを意に介さず傲慢なことを言い、強引にソファに抑え込むようにしてマルジュを抱きしめ、マルジュの言葉を封じこめ、自分の行動や態度については一切謝りもせずうやむやにするばかりだ。トムは、自分だけでなく婚約者マルジュに対してまで示すフィリップの傍若無人な態度に、怒りと嫉妬は増すばかりだった。
洋上を走るクルーザー。フィリップはマルジュと二人きりになるために、トムに操舵を促しデッキ上に行かせ、船室内でマルジュと二人きりになると、「トムをヨットから追い出して下船させれば、僕らは以前のように二人きりになれる。」とマルジュにささやく(だがそれをトムは船室から甲板へと開く天窓の隙間から聞いてしまう)。
フィリップは、トムをヨット備え付けの上陸用の小ボートに強引に乗せ、それをロープでヨットのはるか後方に曵かせることでトムを隔離しようとするが、フィリップが船室内に戻った直後にそのロープは切れてしまい、トムは海上に漂うボートに取り残され、長い時間、炎天下の海上で日干し状態にされる。
フィリップは、ロープが切れてしまっており、トムを乗せたボートはどこにも見えなくなっていることに気付き、かなりの時間をかけて捜索する。やっとボートとその中に横たわるトムを見つけた時には、トムは灼熱の太陽に焼かれ息も絶え絶えになっていた。
マルジュはいちおうトムを親切に介抱するが、トムに「悪くとってほしくないけれど、タオルミナについたら一人で帰国して欲しいの。分かるでしょ?」とも言う。
トムは、もしそんな展開になったら、当初期待していた報酬の5000ドルを得ることも、このところ空想するようになったフィリップの財産を奪う計画も不可能になり、無一文のまま放りだされる状況になるではないかと悲観する。
航海中、フィリップはトムの持ち物の中に、フィリップの銀行口座の入出金が分かる明細書が隠してあることに気付く。トムが自分の財産を狙っているのだと気付き、このままでは財産目的で自分は殺されるのではないかと推理した。
フィリップは自分の推理・直観を確かめるために、あえて普通の会話のように「ボートで死にそうになった時、僕に殺意を抱いただろ?」と聞く。するとトムは「僕はもっと以前から殺意を抱いているよ」とサラリと答える。そして二人はまるで他人事のように会話を続ける。「だから僕の口座明細を持っているのか? 僕を殺し、金持ちになるつもりか?」とフィリップ。「その通りさ。へぇ、お見通しなんだね。」とトム。「実現は難しいぞ。露見して逮捕されるぞ。」とフィリップ。「大丈夫。僕は想像力が豊かだからね」とトム。
トムはタオルミナで無一文で放り出されるという窮地に陥ることを避ける為フィリップとマルジュの間を裂くという手を思いつく。前夜、かつてローマの中年女性が落としたイヤリングをフィリップの服のポケットに入れる細工をしていた。
このトムの策略にはまり、イヤリングに気付いたマルジュはフィリップが特定の女性と交際しはじめていると思いこみ、苛立ち、ささいなきっかけでフィリップと言い争い状態になった挙げ句、フィリップはマルジュが執筆中のフラ・アンジェリコに係る大切な原稿を海へと放り捨ててしまった。
二人は決裂した。マルジュは下船を決意して最寄りの漁港でヨットを下りてしまう。
フィリップとトムはヨットでモンジベッロへの帰路につく。
マルジュが下船し周りには目撃者が全くいない海という場所で二人きりとなり、フィリップ殺害計画が実行段階に入る。
マルジュの下船により中断した二人のきわどい会話が再開する。
フィリップ「二人きりになれたから、落ち着いたな。さっきの話の続きができるな。さて、君は僕を殺すのだとして...その次に 一体どうするんだ?」
トム「君を埋めて、偽サインで金を受け取る」
フィリップ「サインはマネできても手紙の偽造はできないぞ」
トム「(筆跡については)君のタイプライターがあるし、文体のほうはマネるのは簡単さ」
それを聞いて焦るフィリップ。
フィリップは殺害計画を思いとどまらせるために、トムにいくらか金を渡すことで彼を追いつめている無銭状態から抜け出させる手を思いつく。そのため賭けポーカーをすることをトムに持ちかけ甲板上のテーブルでそれを始める。やがて、トムが持っている懐中時計が正午(真昼間)をベルの音で告げた。フィリップは2500ドル賭け、八百長でわざと負けてトムが2500ドル勝ったことにしようとする。だが、トムは、その八百長を見抜き、2500ドルなんて「はした金」だ、5000ドルでも少ない、あくまで全財産を手にするんだ。だからフィリップの八百長を受け入れるような安易な取引はしない、と決意する。
このゲームは君の勝ちだと言いフィリップが渡そうとする2500ドルを自分から返上する宣言をする。フィリップが八百長する際にわざと落としたカードを拾おうとした時、トムは隠し持っていたナイフでフィリップの心臓辺りを深く刺す。「マルジュ!」とうめいて倒れるフィリップ。彼は絶命した。
折しも風が出て船は大揺れに揺れる。そんな中、トムはすかさずフィリップの死体を帆布で覆い隠す。そして周囲を見回すと人影は全く見えない。トムは死体を重石がわりの碇と一緒に帆布でくるみロープで結わえて海中に投棄した。
港に戻った後トムは予定の計画どおり、フィリップになりすまして彼の財産を手に入れるための策を着々と打ち始める。フィリップのパスポートの偽造には、公印の凹凸を粘土で型どりすることでニセの公印を作り、それを自らの写真に押すことで見事に差し替える。フィリップのサインをそっくり真似るため、スライド映写機を手に入れ彼のパスポートの筆跡を拡大して壁に貼った紙に映写し、筆跡の映像を何度も繰り返しなぞって練習する。見事にフィリップと完全に同一のサインができるようになった。さらに彼の声色も真似てフィリップになりすまし、電話越しで婚約者のマルジュすら騙すこともできた。マルジュがフィリップに会いたがれば、フィリップのタイプライターでつれない文面の手紙を作成し、マルジュに手渡し、フィリップに女ができたから会いたがらなくなったのだ、と思わせることにも成功する。
トムは船の仲介業者のところに行き、フィリップになりすましてクルーザーの売却手続きを進める。ところがフィリップの仲間で金持ちで遊び人のフレディが、やはり船を所有していて同一の仲介業者と取引があり、フィリップの最新の滞在先住所を聞き出し、フィリップに会うつもりでトムが潜伏している建物へ突然現れる。トムはとっさに機転をきかせ、フィリップは昼食に行った、僕は挨拶に寄ったところだ、と言って誤魔化すが、お手伝いの女性がトムを「グリンリーフさん」と呼んだことで、トムがフィリップになりすましていることがフレディに露見。それを追求しようと部屋に戻ってきたフレディを、追いつめられたトムは殺してしまう。陶器の置物で背後から頭部を打撲したのだ。
夜になって、フレディを泥酔した酔っ払いであるかのように装い、抱きかかえてフレディの車へ運び、その死体を捨てにゆく。死体を捨てる際に「君を殺したのはフィリップさ、僕じゃない」と、まるで自分に言い聞かせるようにつぶやく。
このフレディ殺しで警察が動き、トムが滞在中の部屋にも警察が迫るが、きわどいところで機転をきかせ屋根伝いに逃走することに成功する。
フィリップが行方不明となり警察はフィリップと行動を共にしていたトムの身辺調査を始めた。トムはフィリップがフレディを殺しどこかに潜伏しているかのように見せるための手を打つ。様々な嘘や小細工を用いて、刑事にそう信じさせる。警察の手先の女に尾行された時も敢えて偽情報を聞かせ、フィリップがまだ生きていてモンジベッロに戻ったと信じさせる。また偽造パスポートと偽造サインで銀行で1000万リラの預金を引き出すことにも成功する。
その一方でトムは着実にマルジュの心を自分に向けさせる手を打つ。マルジュを自分に取り込んでおいてから、トムはフィリップの母宛に「母さん僕は死を選びます。すべての財産を愛するマルジュに譲ります。あなたの息子フィリップより」と綴った手紙(遺言状)を偽造し、ポストに投函した。
引き出した現金はモンジベッロの部屋に残した。
フィリップの遺書とフィリップの口座から引き出された現金が見つかったことで、それまでトムになにか裏があると疑い周囲をかぎまわっていた刑事も、ようやくフィリップこそがフレディ殺害の真犯人で、姿を隠したかあるいは自殺した、と認識を改め、トムを重要な容疑者とは見なさなくなった。彼がローマから離れることも許可した。
マルジュはフィリップが死んだと思い、心を閉ざし、モンジベッロの部屋の鍵をかけ、引きこもって、もうかれこれ2週間誰とも会わずにいた。
トムはそれでも巧みに隙を見つけて部屋にもぐりこみ、マルジュの心を操りはじめた。フィリップは君を愛していなかったと言い、自分もアメリカへ帰るとほのめかすなどして寂しさにつけこみ、巧みに口説く。
結局、マルジュはトムに心を開いた。
マルジュはトムと日々を重ねるうちに次第に前向きになった。遺言状で贈られたフィリップのクルーザーも売却することにした。
クルーザーの仲介業者によってマルジュから次のオーナーへの引き渡しがおこなわれる日、トムとマルジュはイスキアのビーチで泳ぐ。フィリップの父親と仲介業者も到着して、マルジュはクルーザーの引き渡しにともなう簡単な検査に立ち会うためにマリーナに向かう。トムは引き渡しの立ち会いはマルジュにまかせ、ビーチに残りビーチチェアに手足を伸ばして寝そべり、太陽の光を存分に浴びて、自分のまばゆい未来に酔っているような表情でまどろむ。
トムの様子に売店のウエイトレスが気を使い近寄り、「ご気分は?」と語りかけると「気分はいいよ。太陽がいっぱいだ。今までで最高の気分だよ。何か飲み物を」「何を?」「一番いい物を。最高の気分だ」
自分が成し遂げた完全犯罪に酔いしれる。
トムが人生最高の気分を味わっている一方で、マリーナではクルーザーを簡易検査するために一旦陸に引き揚げる作業が進み、船体が船台とともに陸上に上がる。と、それに続いて船尾のスクリューに絡みついた一本のロープに引っ張られるようにして、海中から黒ずんだ帆布の塊が現れ、隙間から腐敗した人の手が飛び出しているようだ。
マルジュの絶叫がマリーナに響きわたった。
やがて厳しい表情をした刑事たちが売店にやってきて、ウェイトレスにトムを呼ぶように言う。
「リプレーさん、お電話ですよ!」。それを聞いたトムは笑顔で売店へと歩いていく。
その背後には、太陽がいっぱいのビーチとどこまでも青い海原が広がるのみだった。
<出典 ウィキペディア>
☘️
ここで「さいならおじさん」の解説をどうぞ
ニーノ・ロータ
Nino Rota
1911.12.3生~1979.4.10歿
イタリアの作曲家
クラシック音楽と映画音楽の分野で活躍した
ニーノ・ロータ・グランド・オーケストラによる「太陽がいっぱい」のテーマ曲
来 歴
北イタリアのミラノ出身。
11歳でオラトリオ、13歳でオペラを作曲し、ミラノ音楽院、サンタ・チェチーリア音楽院で学んだ。その後米国に渡り、カーティス音楽学校で学んだ。帰国後ミラノ大学に入学し、文学と哲学を並行して専攻。 大学卒業後は音楽教師となり、その傍らクラシック音楽の作曲家として活動を開始。
1942年以降、映画音楽の作曲も始めた。
1951年、当時新進映画監督として注目を集めたフェデリコ・フェリーニと出会い、その後自身が亡くなるまで、フェリーニの映画音楽を数多く手がけることになった。
フェリーニ監督以外の映画音楽も多数手がけ、1968年にはフランコ・ゼフィレッリ監督の『ロミオとジュリエット』の音楽を担当した。同作品の「ワット・イズ・ア・ユース」はグレン・ウェストンが歌っている。
フランシス・フォード・コッポラ監督の『ゴッドファーザー』の音楽はロータの代表作となり、「愛のテーマ」は多くの人々に親しまれた。
1975年と1976年の2回来日しており、1976年の来日時には、国内11か所で自作を取り上げたコンサートを開催し、自ら指揮棒も振った。
1979年、 67歳のとき心臓発作によりローマで死去。
映画音楽
フェリーニ監督作品
白い酋長(1951年)
青春群像(1953年)
道(1954年)
崖(1955年)
カビリアの夜(1957年)
甘い生活(1959年)
ボッカチオ'70(1962年)
8 1/2(1963年)
魂のジュリエッタ(1965年)
世にも怪奇な物語(1968年)
サテリコン(1969年)
フェリーニの道化師(1971年)
フェリーニのローマ(1972年)
フェリーニのアマルコルド(1973年)
カサノバ(1976年)
オーケストラ・リハーサル(1979年)
その他の映画音楽
アンナ(1951年)
2ペンスの希望(1952年)
夏の嵐(1954年)
戦争と平和(1956年)
白夜(1957年)
海の壁(1957年)
若い夫たち(1958年)
戦争・はだかの兵隊(1959年)
太陽がいっぱい(1960年)
若者のすべて(1960年)
好敵手(1961年)
ボッカチオ'70(1962年) ※ルキノ・ヴィスコンティ版
山猫(1963年)
じゃじゃ馬ならし(1967年)
ロミオとジュリエット(1968年)
ワーテルロー(1970年)
ゴッドファーザー「愛のテーマ」(1972年)
ナイル殺人事件(1978年)
ハリケーン(1979年)
<出典 ウィキペディア>
アカデミー賞
アカデミー賞 受賞
1975年 アカデミー作曲賞:『ゴッドファーザー PARTII』
「ロミオとジュリエット」(1968)
What Is A Youth? (音楽:ニーノ・ロータ)
つぶやき
「太陽がいっぱい」の共演者
残念ながら、フィリップ役のモーリス・ロネは1983年に55歳で、マルジュ役のマリー・ラフォレは
2019年に80歳で亡くなりました。
ロネは「死刑台のエレベーター」などで、ラフォレは「赤と青のブルース」などでも知られています。
またラフォレはシャンソン歌手でもありました。
「太陽がいっぱい」の原作者
パトリシア・ハイスミスは映画の原作者として知られながら、我が国ではその人気は最晩年になってようやく火がつき、彼女の全体像が理解されたといわれています。
米国では、「トム・リプリー・シリーズ」が人気で、1950年代から90年代までロングランしました。
映画は1955年の The Talented Mr. Ripley を元にしています。
ニーノ・ロータの映画音楽
上掲のようにニーノ・ロータが音楽を担当した映画は数多くあります。しかも名作が目白押しです。
そのうち第2弾を投稿する予定です。
いまどきの運動会
先日、孫(小5女子)の運動会に行ってきました。
コロナ禍の影響でしょうか、プログラムが低学年の部、中学年の部、そして高学年の部と分かれていて、保護者等もそれぞれ該当する部のみを観覧するというしくみ。
しかもプログラムはお昼で終了。あっさりしたものです。
だから以前のような早朝からの場所取りなど不要です。
で、孫の活躍はというと、リレー(4チーム対抗)に出場。第3走者の孫の前までは2位~4位が団子の大混戦でしたが、孫がバトンを受けると、みるみるうちに明らかな4位となり、全力疾走したにもかかわらず、気持ちがいいほど潔いドベでバトンを次の走者へ。
そして孫たちのチームは最終ランナーに場内放送で「頑張ってくださ~い」の声がかかり、観覧席から大拍手を受けるほどの大健闘ぶりでした。
でもみんなショゲるでもなく、明るくお互いの頑張りを讃えあっているのを見て、ヤレヤレ、爺やはホッコリでした。
今回もお付き合いをいただき
ありがとうございます。