グリスビーのブルース
珍しい画像を見つけた。
中年の男性とジュークボックス。
![クローバー](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/199.png)
![クローバー](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/199.png)
現金に手を出すな/あらすじ
あ ら す じ
ギャングのマックスとリトンは若い頃からの相棒であったが、初老にさしかかり、共にやくざ稼業からの引退を考えていた。
最後の大仕事と、オルリー空港で5千万フランの金塊強奪に成功、ほとぼりが冷めるまでマックスが隠し持っていずれ換金する計画であった(映画では強奪シーンは描写されず、既に強奪が行われてからの顛末が描かれる)。
静かな隠退生活を待ちながら素知らぬ顔で日々を送るマックスだったが、金塊をせしめた秘密を、日頃から不注意なリトンは自分の入れ込んでいたナイトクラブの若い踊り子・ジョジィに漏らしてしまう。
実はジョジィは、売り出し中の麻薬密売組織のボス・アンジェロの情婦であり、マックスとリトンはアンジェロから付け狙われる事になる。
アンジェロの手の者から危うく難を逃れたマックスは、自身の隠れ家にリトンを匿い、彼の甘さと自分たちはもう若くはないという現実を諭すが、リトンは独断でアンジェロと対決し、拉致されてしまう。
リトンの愚かさに苛立ちつつ、二人の腐れ縁を追想し、マックスは忸怩たる感慨に耽る。ほどなくアンジェロから、リトンと金塊の交換が持ちかけられてきた。
これは罠に違いない、と悟ったマックスは、仁義なき振る舞いに及んだアンジェロを倒してリトンを救うため、旧友・ピエロらと共に、隠匿していたサブマシンガンと虎の子の金塊を携え、取引の場へ赴く。
だが闘いの末に待っていたのは、勝利と呼ぶには余りにも苦い結末だった。
キ ャ ス ト
マックス…ジャン・ギャバン
リトン…ルネ・ダリー
ジョジィ…ジャンヌ・モロー
アンジェロ…リノ・ボリニ(後のリノ・ヴァンチュラ)
私 の 贔 屓
この映画の共演者で、とくに贔屓したい二人
ジャンヌ・モロー
かのオーソン・ウェルズをして「世界で最も偉大な女優」と言わしめたフランスを代表する女優。
「死刑台のエレベーター」「恋人たち」「雨のしのび逢い」「突然炎のごとく」「夜」「エヴァの匂い」「審判」 ほか
女優であり、脚本家であり映画監督であり、そして歌手でもあった。
リノ・ヴァンチュラ
イタリア生まれ。幼時にフランスに移住。
W.W.2後、プロレスラーに。
ジャック・ベッケルに見いだされ本作に出演。
「死刑台のエレベーター」
「モンパルナスの灯」
「冒険者たち」
「シシリアン」
「バラキ」
「レ・ミゼラブル」 ほか
フィルム・ノワールやギャング映画に多く出演し、存在感のある演技で注目された。
「死刑台のエレベーター」で
共演した二人
ジャン・ギャバン
パリ・モンマルトル
ジャン・アレキシス・モンコルジェ。これがギャバンの本名である。パリ9区ロシュシュアール大通り23番地に生まれた。いわゆるモンマルトルの片隅である。父はミュージックホールの役者で母は歌手だった。彼は当然のように芝居の道に入っていった。
1930年の「誰にもチャンスが…」を最初の映画出演とするならば、1976年の「聖年」は95本目の映画だった。この年の11月、ギャバンは鬼籍に入る。72年の生涯だった。戦前
「地の果てを行く」 1935年「望郷」 1937年 「大いなる幻影」 1937年「陽は昇る」 1939年
ジュリアン・デュヴィヴィエという監督との出会いがギャバンに幸運をもたらした。「地の果てを行く」である。さらに「望郷」でギャバンはその名声を不動のものとする。
ジャン・ルノワール監督との出会いもギャバンの演技の幅を広げるのに幸いする。「大いなる幻影」が然りだ。
翌年のマルセル・カルネ監督との「霧の波止場」での好演も注目された。
1939年に勃発したW.W.2が激化するに伴い、ギャバンはアメリカに移住する。アプレ・ゲール
1945年、W.W.2が終わるとギャバンは帰国し、マレーネ・ディートリヒやダニエル・ダリューらを相手に十数本の映画に出演する。そして1954年、ベッケル監督と出会い本作で主演。その結果、ヴェネツィア国際映画祭男優賞を受賞する。
その後の代表作は…「フレンチ・カンカン」 1954年「ヘッドライト」 1956年「地下室のメロディ」 1963年「シシリアン」 1969年「猫」 1971年「暗黒街の二人」 1973年「愛の終りに」 1974年「聖年」 1976年 「天声人語」に見るジャン・ギャバン像
鈴木明著「ジャン・ギャバンと呼ばれた男」よりお借りしました
…そのときから、あらゆる新聞が、雑誌が、それぞれの立場から「ギャバンの死」についての感想を掲載した。多分その中で、朝日新聞の「天声人語」が、最もすぐれた文章であったろう。このコラムには、次のように書かれている。
「去年、フランスのジスカールデスタン大統領が映画監督や名優たちをエリゼ宮の昼食会に招いたことがあるが、この時ジャン・ギャバンは『都合が悪い』と断ったという。本音は『俳優は道化だ。えらい人と握手をするためにのこのこと出かけてゆくつもりは毛頭ない』ということだったらしい。都会のはなやかな表舞台には興味はもたず、暗い世界に一瞬目が光るという男、というのがギャバンの役どころだった。背徳のにおう男、裏街道の人間、食いつめもの、外人部隊の兵士、脱走兵、ギャングなどの役柄で男の激情の瞬間を演じ続けた。そのギャバンの姿に青春の日々を追う「中年以上」の人々が多いはずだ。私生活でも自分の世界をかたくなに守る人で「フランスのテレビは国営だから、自由がない。絶対に出ない」という説をおし通し、『私に哲学があるとすれば、それは金銭哲学さ 』と広言して強い金銭欲をかくそうとはしなかった。ギャバンが半世紀近くも名声を保つことができたのは、その農民的な容姿のせいだという人がいた。パリの下町に生まれたが、このごつごつした姿、顔はいかにもフランスの大地がはぐくんだ農民像を思わせる。映画監督の篠田正浩氏にいわせれば、ギャバンには都会悪という衣をきこんだ農民の姿があるという。飛行機ぎらいで、渡米の時でさえ船便を利用したという話だが、この人にはエリゼ宮よりも、ノルマンジーの自分の農園で暮らす姿の方がよく似合う。フランス映画の人気はすでにアラン・ドロンやジャン・ポール・ベルモンドに移りつつあるが、たとえば近作『暗黒街のふたり』で老保護司にふんしたギャバンの枯淡な味には、花伝書のいう『しおれた花の風情』があった。黙って突っ立っているだけのさりげない表情にも、計算しつくした演技があるのだろう。まったくの偶然だが、四十年前のギャバンが出演しているルノワール監督の『大いなる幻影』を見た日に、その死を知った」
ある新聞は「一つの時代が終わった」と書いた。ピエール・フレネ、ミッシェル・シモンも、つい最近死んだのだった。しかし、他のスターとは違って、ギャバンの肉体は死んだけれども「ジャン・ギャバン」という名は生き続けた。それは死んだギャバンも想像ができないほどの、ゆるぎない生命であった。
つぶやき
ギャバンが生きていたら、今月17日で120歳。少年の頃に観た「ヘッドライト」という映画のことを今でもよく憶えている。
妻子ある中年のトラックドライバーとドライブインで働く若い女性との許されない恋。あの映画に出演したギャバンの実年齢は51~52歳だから、役は年相応だったか。ざっと70年ほど前の話だ。子ども心にあぶない展開になっていくな…と感じた。早い時期に破綻が予想できた。
その後、数度に亘りこの映画を観た。その度にギャバンは巧い役者だなと思った。
ドンパチの親分衆の役もうまく嵌まるが、そればかりではないぞ…と言いたい。折り返し点を過ぎた中年の男性の、庶民の生活に生じた非日常にあがく姿。芝居は自然だった。
自然と言えば、ギャバンは食事をする芝居がうまいとの評価がある。名優高倉健は「食事の芝居はギャバンを見て勉強した」と言う。他にもジブリの宮崎駿、評論家の淀川長治、川本三郎などもギャバンの自然な芝居を高く評価している。
ヘッドライト(1956年)
ジョゼフ・コズマのテーマ曲をお楽しみください
☘️ ☘️ ☘️
写真嫌いのニャンコ ノリくん
元気です
ありがとうございます。